井の中の蛙
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(されど空の青さを知る)というのはどこからきた言説なのだろうか?
Google検索のサジェストに井の中の蛙大海を知らずされど空の青さを知る 近藤勇と出てきている
2012年の時点で調べている人がいた
河井寛次郎(1890‐1966)が「井蛙知天」と書いていたらしい 初出はどこなんだろう?
「井の中の蛙」
日本国語大辞典では『玉塵抄』(1563)の用例が最初 「子陽は井の中のかいるとここらに云つれぞ」
「せいていの蛙」では平安末まで遡る
識見の狭い人をたとえていう。井の内のかわず。井蛙(せいあ)。 *本朝無題詩〔1162~64頃〕四・初夏雨中即事〈中原広俊〉「仁恩独隔山中木、徳沢未覃井底蛙」(日本国語大辞典)
公孫龍が問いて、「自分も幼いころから学び、議論の達人だとうぬぼれていたところ、荘子にはどうもかなわない。どうしたら荘子を(議論で)やっつけることができるだろうか」
公子牟のたとえ話
蛙が東海の鼈(スッポン)に向かって生活を自慢する
蛙は井戸の中で暮らしている
他に住んでいるぼうふらやえびがに、おたまじゃくしを見ても自分にかなうものはない
井戸を我が物顔に暮らす楽しみはちょっと他にないぞ
鼈が東海の話をする
千里千尋ではおさまりきらない
それでも水のかさの増減はほとんどなかった(くらい東海は大きいよ)
蛙はたまげてしまった
公子牟はちょうどこの蛙のようなもので、荘子の言葉をとやかく言うのは土台無理な話である