串団子
日本の「串に刺したみたらし団子」が中国で「日式だんご」と呼ばれるのをみて、日本でそれができたのはいつなのか気になったnishio.icon
from 2025/02/23
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「お腰につけた黍団子」袋に入れてたと思い込んでいたが紐に通してた可能性が出てきた
https://gyazo.com/b3b052f05c45544092a637825da0ea0c
宇津ノ谷峠と十団子(とおだんご)|ふじえだ東海道まちあるき
唱歌は1911作曲とのことだったqwerty1234.icon
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E_(%E7%AB%A5%E8%AC%A1)
日本の「串に刺したみたらし団子」が中国で「日式だんご」と呼ばれることから、では日本でそれができたのはいつなのかという話をしていた
もともとは小さい団子を竹串の先にひとつ、少し間を置いて4つ続けて刺した串が扇形に10本並び、団子が50個ついていたそうです。
現在の形になったのは大正の頃で、この頃に生醤油の付け焼きだけだったものを、加茂みたらし茶屋のご主人が醤油と黒砂糖を使ったたれを考え出し、子供からお年寄りまで喜ばれました。
みたらし団子の歴史 – みたらし団子の専門店 松尾大社でランチ – みたらし本舗 茶月 –
室町時代にはすでに串ざしの団子があったようで、1600年代には団子は串に5つさすのが普通でした。
この「串に刺した団子は室町時代から」のことを調べてて、串ではなく紐に通している事例を見つけた
とてもきになるはるひ.icon
そもそも「串」を安価に大量生産する技術が必要だよねという話
竹のおかげ?
この時から串が使われ始めた理由がきになる。鉄製のノコギリが一般に普及し始めたから、なのかなと想像Hiro Aki.icon
鋸 - Wikipedia
室町時代に、大陸や朝鮮半島から二人挽きの大型縦挽き鋸「大鋸」(おが)が伝来。以降は節の多い粗悪な材や繊維の入り組んだ広葉樹でも挽いて加工が可能に
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二本刺してて面白い
2本さしたつくねだんごは見る気がするようなしないようなはるひ.icon
複数本刺すとなると、うなぎの蒲焼なイメージ、2本どころか3本以上になるけどHiro Aki.icon
この「十団子」、室町時代の連歌師・宗長の綴った『宗長手記』にも登場しているので室町時代からあったようです。
「折節夕立して宇津の山に雨やどり。此茶屋むかしよりの名物十だんごといふ、一杓子に十づゝ。かならずめらうなどにすくはせ興じて。夜に入て着府」(大永4年(1524)6月16日)
地元の鬼退治の伝承などとも関係して、江戸時代をすぎると、糸でつないだ形に変化して売られるようになっていったようです。
2019年 – 遠州流茶道
糸の方が後なのか
てっきり串が大量生産される前の原始的な形が糸なんだと思った
「杓子」とは
普通に今と同じ「すくうもの」だよなぁ
昔のみたらしだんご
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みたらし団子の歴史 – みたらし団子の専門店 松尾大社でランチ – みたらし本舗 茶月 –
室町人の嗜好 –古記録からみる室町時代の食文化(PDF)
(o3)本文では、主に二点が挙げられています。
団子について
『酒飯論絵巻』の第三段では、餅作りの場面が描かれており、その中で様々な種類の餅が挙げられています。具体的には、温餅、家かちん鎮、餈餅、さらには「団子または大豆餅・小豆餅」として、餅類の一群の中に団子が位置づけられていることが分かります。これは、材料や製法の違いにより、当時どれほど多様な米菓が存在していたかを示すもので、祭礼や日常の食文化の中で、団子の役割やバリエーションが重視されていたことを物語っています。
串について
本文の後半に掲載された食品の一覧の中に「串柿」が記されており、これは串に刺して供する食品の一例として挙げられています。個別に詳細な調理法や文化的意味が議論されているわけではありませんが、多くの食物が季節ごとの特産品や供膳品としてリストアップされる中で、串に刺した形態の食品も存在し、当時の食文化の多様性を示す一端として位置づけられていることが分かります。
「串団子」の形では明確には言及されてないが串柿があって団子があれば串団子もすぐ生まれそうではあるnishio.icon