ユーザーイリュージョン
ユーザーイリュージョンとは
パソコンのモニター画面上は「ごみ箱」 「フォルダ」など様々なアイコンと文字が並ぶ。
実際は単なる情報のかたまりにすぎないのに、ユーザーはそれをクリックすると仕事をしてくれるので、さも画面の向こうに 「ごみ箱」 や 「フォルダ」があるかのように錯覚する現象を指す。
「ユーザーイリュージョンは、意識というものを説明するのにふさわしいメタファーと言える。 私たちの意識とは、ユーザーイリュージョンなのだ…・・・
行動の主体として経験される〈私〉 だけが錯覚なのではない。
私たちが見たり、注意したり、感じたり、経験したりする世界も錯覚なのだ という。
https://gyazo.com/f725667a68069555bffcfd981ef43950
「インターフェースは、システムの中で最後に設計される部分だった。
それが、今では最初に設計される。
なぜ最優先に考えられているかといえば、初心者にとってもプロにとっても、感覚器官が接するのはコンピュータなのだ。ゼロックスのパロアルト研究所で、
私と同僚たちが〈ユーザーイリュージョン〉と呼んでいたのは、
システムの動きと次にするべきことを説明する(そして推定する)ために誰もが作り上げる、単純化された作り話である」
つまりユーザーイリュージョンとは、ユーザーが描くコンピュータのイメージだ。
このイメージは、筋の通った妥当なものでありさえすれば、
正確かどうか、あるいは完璧かどうかは、じつのところ問題ではないことに、ケイと同僚たちは気づいた。
たとえ不完全で比喩的であっても、コンピュータがどう作動するのかというイメージがあるほうが、まったくないよりましだ。
したがって、大切なのは、
コンピュータがどう作動するかをユーザーに説明することではなく、
首尾一貫した適切な作り話をでっち上げることだ。
それも、コンピュータではなくユーザーの立場に立って。
現在この単語を記録しているコンピュータは、ユーザーである私に対して、デスクトップのフォルダに整理された一連の
テキストを表示している。私は、出来の悪い章をドラッグして右下のごみ箱に放り込む。一つの章が長すぎるかどうかを知りたいときは、机の引き出しのアイコンから電卓を取り出して使うことができる。
しかし、コンピュータ内部にはフォルダもごみ箱も電卓もない。大量の0と1が並んでいるだけだ。
『ユーザーイリュージョン 』
意識という幻想
2002年8月31日 第1刷発行
2010年1月26日 第6刷発行
著者…・・・ドール・ノーレットランダーシュ
訳者・柴田裕之
ISBN978-4-314-00924-9 C0010
#GUI グラフィカルインターフェイス、(対話型インターフェイス とも) CLIも十分にユーザーイリュージョンされているのではbsahd.icon