マンガワンの件、自分のFediverseアカウントで色々考えを書き出していた
from 2026/02/28
nyarla.icon
マンガワンの件、自分のFediverseアカウントで色々考えを書き出していた
nyarla.iconとしては「作品の表現と作者を結び付けるべきではないが、作者と作品は結び付く」というのが基本的な考え
今回の件は間違いなく作品を毀損していると考えている
実際のところnyarla.iconは該当作者の著作を読んだことは無いので、作品自体の評価はできない
J・K・ローリング氏とハリー・ポッターシリーズがそうだけど、このケースでも作品の価値は毀損されている
これは主にトランスフォビアが原因だけど
よく「作者と作品は分けて考えろ」という主張があるけど、nyarla.iconとしては肯定できない
と言うのも、例えば作品で世界平和を訴えるような表現を行う、差別主義者の作者がいたらどう考えるか
他、不穏当な発言を続ける人物のソフトウェアを、倫理を求められる企業が使い続ける事の可否など
実際の例として、Ruby on Rails の原作者である DHH 氏が近年不穏な発言を繰り返している
これに関しては、一部開発者によるオープンレターも書かれている
ただし GitHub のどこにあったかは失念
また、これを使い続ける企業の倫理はどうなってるの?と言うことは当然問われる
特に資金提供をするスポンサーは、プロジェクトの代表者が不穏な発言を支持するのか?と問われる
この辺りが不当だとはnyarla.iconは考えない
なんかファイルシステムの作者が殺人犯だったことあったようなnishio.icon
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・ライザー_(プログラマー)
問題は原作者や出版社側の行動だけど、これは下記のように考えている
1. 加害者としての責任と義務を果した後であれば、名義を変えて作品を出しても問題はない
これは被害者への謝罪・服役・賠償金の支払いなどをほぼ終わらせている、という事が前提
この前提が成立していないのなら、その人物が表に出る正当性はない
特に社会的な制裁である服役前とか、服役中に作品を出すことは認められないと思う
賠償金の支払いも済ませておくのが前提、とは考えたけど、これは経済力にも依るな、と思う面もある
加害者の経済力が弱かった場合、社会復帰と賠償金の支払いを同時に行う必要があるため
無い袖振れぬ、というのもあるけど、賠償金を払えないなら餓死しろという取り立てはできないはず
一般論として、この前提がある人間を表に出すな!は被害者救済も遠退くと考えている
と言うのも、仮に加害者が特定の分野でしか活動できない人物であった場合、収入を得る手段が無くなる
そうなると賠償金の支払いも滞ることになるので、金銭面・経済面で被害者は泣き寝入りになる
また加害者がすべての責任と義務を果した後での社会復帰を認めないことは、一種の「キャンセル」だと考える
鬼畜外道な行いをしたものは、社会復帰してはならない、と言うことになれば、なぜその人を生かすのか?となる
社会からの恒久的追放を目的とするのであれば、生かしておく必要などない
社会秩序の維持を目的として、上記を目指すのであれば、処刑が一番確実な刑罰となる
しかし今のところ刑法はそうなっていない
非人道的な発想に立ったとしても、殺す以外の選択肢は結構ありそう基素.icon
強制労働、人体実験等
(こうした方がいいと思ってはいない)
また、「殺す」という選択肢は不可逆なので誤りだった際の取り返しがつきづらい、死刑自体の残虐性、サドンデスになるので萎縮効果も大きいなど論点はたくさんありそう基素.icon
2. 加害者が鬼畜外道の行ないをしていたとしても、それを見た第三者は一線を引いた行動を採る必要がある
今回の件で第三者が作品の公開停止を求める行為はキャンセルカルチャーそのものだと考えている
これはnyarla.iconが復讐の正当な権利者は被害者とその委託を受けた代理人のみ と考えているため
今回の件で加害者が外道な行ないをしていたからといって、それを見た他の人間が加害者へ加害する正当性はない
世の中のキャンセルや炎上は非のある人間はいくらでもいたぶって良いと捉えがち
しかしそれは加害者への加害であって、正義でもなんでもない
nyarla.icon は昔から加害者への加害についてはキレてきた人間なので、なおさらに容認できない
3. とは言え、今回の件で作者や出版社・編集部の周りから人が引いていくのは当然の流れ
責任や責務を曖昧にした行動を採ったのだから、その対価は当然支払う流れにはなる
特に作者の行動にドン引きして この人たちと関りたくない…… と思うのは自然な感情
nyarla.icon はキャンセルカルチャーに反対する者として今回のキャンセルも否定はするけど、近づきたくはない
ただ、人の非を見て去っていく、という行為も、ある種のキャンセル的な面はあると思う
個人から個人への忌避であっても、これが積み上がれば社会的排除は完成する
例えば この人はウチでは雇えないが積み上がれば、その人にとっては社会的排除として機能するのと同じ
一人一人の合理的行動の結果が、集合して特定個人・集団の社会的排除や排斥に繋がる面は確かにある