ハイコンテキスト言語
日本語でもローコンテキストの言い方はできる
むしろ分かりにくいし、美しくはないが
わかる、日本語でローコンテキストなコミュニケーションを強行することが可能であるとしたとき、日本語はハイコンテキストな言語であるという主張は成り立たないのではとモヤモヤしていたはるひ.icon ここの英語・米語の話に違和感は感じないはるひ.icon
言語そのものにコンテキストの高低があるというより、その話され方に傾向があるとかいったほうがしっくり来る
「ぼくはうなぎだ」「こんにゃくは太らない」が成立する言語、ハイコンテクストでしかなくないですか?cman.icon
「ローコンテキストな言い方ができる」ことは「ハイコンテキスト言語である」ことへの反論になってないと思う
「人間は直立二足歩行である」に対して「いや人間だって手足を地面につけば四足歩行できるだろ!」って言っても反論にならないと思うし
一般的にハイコンテキストな使われ方をして、言語の仕様として省略を認め、積極的に肯定しているのだからハイコンテキスト言語でいいのではと思う
日本語以外には詳しくないけど、そういうの他の国でもあるんじゃない?という気がして少し調べるとそれっぽいのが出てきたinajob.icon
識者の意見を聞きたい