ネット上の文学考察文学
われながら「ネット上の文学考察文学」なるタイトルびみょおおおおイタロー.icon
ネット上の文学批評文学
ネット上の文学批評的な記事(ざっくり)にはこういったものが多いと思ふ
文学について書いているうちに、生き方論や道徳論や常識論、ひいては人生論になっていく、もしくは最初からエンジンとしてそういう見方をとる、その場合の指針は書き手の基準
たとえば作者の生き方や読者の生き方を叱ったり断罪する言説(生き方は書き方と読み方の両方を含む)
そういう記事を書き読む方が興奮する人がいるのは理解できる。こういった記事を書くのは悪いことではまったくないのは前提として、イタロー.iconはそういった記事を読むと疲れと苦手みを覚える、とくにそこにある程度の論理や諧謔(もしくは書き手自身に対する皮肉)がない場合
苦手なのは、おそらく収斂していく先が生き方VS生き方みたいな果てしない戦いになっていくからだろう。読んでも「で、文学どこいった?」と置いてけぼりにされる それはいやなシリアスさ、で、怒られているようでハラハラする。ほぼ匿名の相手に叱られたくはない
まとめると、じめじめした作品はともかく、それをさらにじめじめ批評するのは伝統か流行かわからないけどもなるたけ距離を置きたい
自分語りは別に気にならないと思う(いや、少し近いかもしれない)。むしろ、記事を書いてる人のレベル(?)が高いほど感じることが多いけど、優れた考察して、精緻に分析して、いろいろ書いて、けっきょくその人の確信してる道徳や心の拠り所で結論づけられると、とたんにこれは文学についての考察というかこの人の文学だ……!と感じてしまう。考察が文学で何が困るのかというと、それはフィクションとして提出されるべきものだと思っちゃうから。だけど多くの場合、とうぜんフィクションとして構想された作品よりかは「考察文学」はおもしろみに欠ける。その結論づけのなかに、笑いとか自己反省とかがあるとまだいいんだけど。このへんは、感じ方がわかれると思われる。自分も明確に読みわけてるわけではない。ただ、文学批評とフィクションはわりと悩ましい距離感のものだと思っており、ネット上だと特に未処理の情念が生のまま出されるからウっとなる、という胃弱的感覚イタロー.icon