スーパー銭湯=デジタルデトックス=瞑想
スーパー銭湯(スパラクーア)に来ていますnishio.icon スマホが持ち込めない!(当たり前)
つまり思いついたことを書き留めることができない
強制デジタルデトックスだ!
こんな時に1番目に思いついたことを「手放したくない」って思っちゃうと、それをずっと考えてしまう で、自分が「手放したくない」という執着を持っていることに気づいて「それは、本当に価値のあることですか?だったら一旦外に出てメモしたら?それほどでもないなら覚えておこうとしなくて良いのでは?」と問いかける
その結果「手放す」を選択して、スーパー銭湯を満喫した
というようなことを言うと、よく
「自称普通の人」に「普通の人はそんな難しいことを考えないでもスーパー銭湯でリラックスできる」とか言われる
他人のことは知らんがな
普通の人がどうとかではなくあくまで「自分の苦しみを減らすこと」が初期仏教の目的
ちなみにその「手放したくない」と思った最初の思考、「サマタって擬音語でいうと「スン…」だな」だったので、割とどうでもいい 手放したけど風呂から上がったら思い出せたし
自分もよくスーパー銭湯に行くけど、確かにあれはデジタルデトックスinajob.icon
入浴してしばらくはあれこれ思いを巡らせるが、そのうち考えが堂々巡りみたいになって、もういいやってなって何も考えなくなる感じになる
脳だけだとメモリが少ないなーみたいな気持ち
瞑想のことは全然知らないけどこれも一種の瞑想みたいなものなのかな?(ページ名を見つつ)
瞑想のゴールとしてよく言及される「無心になる」に関して「よし瞑想をするぞ」と肩に力の入ってる人が「無心になれるぞ、無心になるぞ、って考えてしまって無心になれない」って悩みを抱えがちだが、実は無心になってる状況って既に体験してますよ、という話nishio.icon こういうのは自分も心当たりあるsta.icon
風呂でいつもそうなる(何か進展させるぞと意気込んで浸かるが、脳だけだとメモリが少ないなーみたいな気持ちなど性能面ですぐに頭打ちになって「もういいや」→ぼーっとする)
自分で選択できるようになると強そう その結果「手放す」を選択して、スーパー銭湯を満喫した
これとは違う精神状態だけど、何かの作業に集中してる時も無心というか、その動作のことのみを考えるような状態になるなinajob.icon
ハンダ付け
編み物、縫い物
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