ストア派
知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人は、判断の誤りから生まれる破壊的な衝動などに苛まされることはない
ストア派は破壊的な衝動に打ち勝つ手段として自制心や忍耐力を鍛えることを説いた。
明朗で先入観のない思考によって普遍的理性(ロゴス)を理解することができると彼らは考えた。
ストア派の最大の特徴は個人の道徳的・倫理的幸福を追求することにある。
「『徳』は自然と一致した『意志』にこそ存する」 この思想は対人関係のような分野にも適用される;
「憤怒、羨望、嫉妬から解放されること」と奴隷をも「全ての人は等しく自然の産物なのだから他の人と対等だ」と認めること。
ストア主義は、非道な権力に抗する際や、災難の続く事態に対峙する際の慰めとなった。
ストア倫理学では決定論が支持される。
ストア的な徳を欠いた人間に関して、邪悪な人間は「車にくくり付けられた犬のようなもので、車の進む方向へどこにでも行かされる」とクレアンテスは考えた。
対照的に、ストア派の徳は人間の意志を世界と一致するものへと修正し、エピクテトスの言うところによれば、「病むときも幸福で、危機の内に在るときも幸福で、死を迎える時にも幸福で、追放されたときにも幸福で、恥辱を受けた時にも幸福」であらしめるために、「完全に自立的な」個人の意志と同時に「厳密に決定論的な統一体」である世界を断定する。 「病むときも幸福で、危機の内に在るときも幸福で、死を迎える時にも幸福で、追放されたときにも幸福で、恥辱を受けた時にも幸福」
Wikipediaの説明はイマイチよくわからないからまともな哲学者が書いた解説を探そうと思ったnishio.icon
ストアでは哲学の目的は das Streben nach Tugend 〈徳の追求〉にありとされ 、エピクロスでは哲学とは das rationelle Erstreben der Glückseligkeit 〈幸福の合理的獲得〉であるとされた。ストアにとっては徳が人生の最高の善であり、エピクロスにとっては幸福が人生最高の善であった。
このようにストア学派とエピクロス学派とは、人生の究極の目的をどう考えるかについて正反対の立場に立ったのであるが、哲学の真の目的は単に知の為に知を求めるところにあるのではなく、哲学目的はいかに人生を処するかにありとした点では同様である。即ち共に praktisch 〈実践的〉なのである。ヴィンデルバントが、哲学は Welterkenntnis 〈世界観〉 と Lebensansicht 〈人生観〉を問題にすると云ったが、アリストテレスの関心はむしろ前者に向けられ、ストアやエピクロスの関心はむしろ後者に向けられているのである。
ジェームス 〔William James, 1842-1910〕 の The Varieties of Religious Experience 〈宗教的経験の種々相〉は、宗教を心理学的に論じたものであるが、彼はその中で次のように云っている。「宗教とは個人が彼等の solitude 〈孤独〉の中にあって、何か彼等が the divine 〈聖なるもの〉と自らが関係していると思っている限りに於て、彼等の有つ感情、行為、経験である、」と。尤もジェームスがいう「聖なるもの」とは必らずしも神である必要はなく、 何か godlike 〈神の如きもの〉であればよい。宇宙とか生命とかいうものに対する全体的反応 total reaction upon life が宗教であり、そこに我々は聖なるものを感ずるのである。
宇宙は単に我を拡大したものではなく、世界は我ではない。世界は我に対するものである。
そして我々はかかる世界を accept [受容〕 しなければならない。
しかし世界の受容の仕方に二通りあるとジェームスは考える。
一つは道徳的にであり、一つは宗教的にである。
道徳的にというのは、世界の全体を支配している法則を認め、それに submission 〈服従〉 することであり、その究極はストアの哲学者達に於けるようにあきらめ、即ち所謂 stoic resignation 〈ストア的断念〉をもってである。従って人が道徳的に世界を受容している時には、 the heaviest and coldest heart <最も重苦しく且つ冷い心〉をもって世界の掟に従っているのである。 しかしこれに反し、cheerful heart 〈喜びの心〉をもって welcome 〈歓迎〉するという受け入れ方もあろう。それが宗教的にということであり、そこでは世界の掟も道徳の場合のように重々しい yoke 〈軛〉(くびき)として彼を締めつけることはない。却 って逆に我々の生命を拡大する所以のものとなる。神からの恩寵となる。
ストア派は人生の究極の目的は徳の追求だと考えた
その徳とは意志が世界と一致すること
=世界に反した意志を持たないこと
世界が自分を病気にするなら、その世界を認める
あきらめ、ストア的断念、世界への服従