カルトの要件
無害そうな教会とかお寺や寺院、そこそこ歴史のある新興宗教が宗教の括りに入って警戒されるのに対して、マルチとかサロンとかカルトの集金装置が宗教の名前がつかないので 我々は宗教じゃないですよー と警戒されない課題意識がある
警戒すべきなの宗教じゃなくてマルチとかサロンとか勉強会だろう、という
マルチとかサロンが含まれるけど、無害な宗教が除外されるような法的に使いやすい定義がいるんじゃないかと考えた
何を持ってカルトと呼ぶのか
いろいろありそうだが
基本的には本人から倫理的高台を奪ってリーダー層に委ねさせることで身体か資産を収奪する集団をカルトと呼んで差し支えないのではないか
奪取成功⇒身体か資産の収穫の流れ
家族・パートナーからの切離し又は、宗教二世など同時取り込みがよく問題になるが、それは本人の価値判断基準を決める邪魔な存在の排除に過ぎずあくまでも過程
切離し → カルト以外の倫理的高台が消えた
取込み → カルト以外の倫理的高台がその地位を失い、カルトよりも低位になった
本丸は倫理的高台の確保にあって、確保後に身体資産を本人がもともともっていた繋がりを破壊しながら収奪する集団を問題とすべきものではないか
カルトの要件(仮)
①教義、実践、コミュニティがあること
教義の明文化は要件ではない
明文化してるのは洗脳力がむしろ弱い
教義に反証可能性がうまれてしまう
リーダー層に真理があり、それがステージに応じて徐々に明らかになるほうが洗脳力強め
②教義と実践に、価値基準をカルト側に委ねる仕掛けがあること。または、家族・パートナーとの不和を誘発する禁止非推奨行為があること
例 賞賛を過剰に贈与して大切な人になったあと賞賛と罵倒を繰り返す。セミナーで集中的に仕込む場合もあるし、日常会話から長期に仕込むときもある
真理に近づいた参加者を称賛し認める⇒賞賛の贈与により価値観を僅かに奪う。小さいがとても重要なステップ
他の人は気づかないが私はあなたの素晴らしさが分かると喧伝
参加者が真理の通りの人生でない理由を掘り起こす⇒これまでの価値観の否定&コミュニティの形成⇒コミュニティ皆が信頼するリーダーの倫理的高台の確保
過去の傷を皆で共有。傷を認め合い、傷を深く意識させる。脳がハルシネーションをはじめるまで深掘りする&掘り出したハルシネーションを共有した人物を称賛しハルシネーションのループを渡す 傷の原因になった者を皆で糾弾することで自分たちとそれ以外を作る
真理に近づけない原因を徐々に本人に求める。激励する。激励が徐々にトーンを増すことで本人に負荷をかける。負荷がかかりきってから最後に一気に解放する。お互いによる圧倒的称賛と、各参加者からの教祖への信頼の共有でリーダー層の倫理的高台が確立する
倫理的高台の奪取が進んできたら、食べてはいけないもの(食品添加物の忌避・菜食主義)、楽しいが行ってはいけない行為(飲酒、夫婦パートナー間の性行為、スマホ)を授けることで日常生活を教義の実践の場にする
生活習慣を変えさせることで、周囲の家族・パートナーとの不和を誘発する効果もある。不和の原因は倫理的に低い位置にいる家族・パートナーなので断絶か取込がやりやすくなる
③実践とコミュニティ形成による従来のコミュニティからの切り離しがあること
泊り込みの活動や旅行がある
自分達とそれ以外を区分する体験がある
偶発的だか神秘的な体験を共有させることで集団としての偶発的な体験の発生確率を上げる⇒特別な私たち をつくる
家族・パートナーの勧誘が推奨されている
勧誘失敗⇒価値観の断絶を意識させ切離し
勧誘成功⇒家族・パートナーを教祖リーダーより倫理的に低位におきまるごと支配
カルトとそれ以外の集団の違い
カルトは価値の決定権を本人から奪う。カルトのリーダー層が倫理的高台にいて本人は下、という意識を植え付ける。本人に対する賞賛の贈与で入りこむ。特に本人の身体資産の自己決定において
カルトの掲げる教義は反証可能性をもたない
カルトは参加者が家族・パートナーと切り離される事で利益を得るので、カルトが唯一の所属となりそれまでの繋がりは破壊されることに特徴がある