ウィトゲンシュタイン
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ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン(独: Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年4月26日 - 1951年4月29日)は、オーストリア・ウィーン出身の哲学者。イギリス・ケンブリッジ大学教授となり、イギリス国籍を得た。以後の言語哲学、分析哲学、科学哲学に強い影響を与えた。
ざっくりいうと、彼は主に言語について考える哲学者だった。
哲学者の中でも自分で最初に提唱した理論をあとになって自分で徹底的に論破するという面白いタイプ
なので、最初に提唱した理論の時期を前期ウィトゲンシュタイン、後に論破する時期を後期ウィトゲンシュタインみたいに「前期」「後期」でわけて語られることが多い。
前期
言葉は世界の図である
言葉一つ一つが現実世界の事実と一対一で対応していると考えていた
ソシュールと考え方が似ている
「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」
事実として書くことができない「道徳」や「人生の意味」については論理的な言葉で語ることができない(哲学では題材にできない)と切り捨てた。
後期
言葉は「道具(ゲーム)」である
#言語ゲーム
言葉を使うことには、チェスやサッカーのように「遊び(ゲーム)」に似ているという考え。
百合という言葉も、オタク界隈では女性同士の同性愛を指すが、一般的にはただの花であるように状況によってルールが変わる。
家族的類似
全てに共通する「本質」なんてなくて、なんとなく似ている特徴が繋がっているだけだと主張した。
本質という言葉は「それら全てに共通する、たった一つの正体」という意味だけど、ウィトゲンシュタインは「ねーよ」と言い切った。
例えばゲームの本質は何だろう?
勝ち負けがあること?
電車でGO!やシムシティに勝ち負けってあるか?
ルールが有ること?
ただ戯れるVRChatはゲームじゃないのか?
楽しむこと?
苦痛や仕事としてゲームをしている人は?
ということで、すべてのゲームに共通するたった一つの特徴というのは見つからない。
ウィトゲンシュタインはコレを家族の顔に例えた。
例えばA・B・C・Dさんの4人家族がいたとする。
AさんとBさんは「鼻」が似てる
BさんとCさんは「目」が似てる
CさんとDさんは「口」が似てる
けど全員共通しているパーツはない、でもなんとなく同じ家族だとわかる。
これは本質があるから同じ名前で読んでいるのではなく、重なり合う似たような特徴が鎖のように繋がっているからそれらをまとめてカテゴリとして読んでいるだけ。
後期ウィトゲンシュタインの言っていることはなんとなく粘菌っぽいHelloPeople.icon
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一つ一つはバラバラなのに、いつの間にかつながりや結びつきが強くなって一つの塊のように見える
塊の中心は明確にその塊だと認識できるが周縁に行けば行くほどその境界線がわかりにくくなる
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前期
C.G.ユングが『タイプ論』にて「自我の膨張」(《自我》が肥大化して《自己》と一体化し、内界と外界の認識の境界が曖昧になること)として言及した現象
要するに体質的に思い込みと先入観が激しくなりやすい人物像
命題5.631「思考し表現する主体、そのようなものは存在しない」――『論理哲学論考』
現実世界からのインプットが欠けている状況で内心の価値判断のみが先走ると、次第に知覚が歪められてゆき、形式上学的な命題のとおりにこの世界が動いているなどと錯覚するようになる。