アメリカ的幸福
自分が勝っているか、負けているか、だけだ。
フェイスブック見ても見たような写真やコメントばかりだ。
バレンタインの日に花や風船で飾りつけられた自分の席。
おそろしいくらい似通った結婚式のドラマチックな写真。
ラスベガスでミニスカートで乳出して女友達を遊ぶ姿。
家族と笑顔で湖で遊ぶ写真。
全部同じだ。
パーティの写真で溢れかえるSNS。
新車の前でポーズ。
子供が産まれれば毎日ファイスブックにアップデートして愛の詩を書く。
改装した豪華なキッチンでワインを飲む写真。
@usjapan7: アメリカの「幸せ」は定義されていて、それを一個づつこなしていくのがアメリカンライフだ。 豪邸のプールのあるバックヤードでシャンパンが飲めなけらば人生の負け組。
クリスマスは家族写真とクリスマスツリーでフェイスブックを埋めて愛を語る。
全部表層的で、本当のアメリカは違う。
何人かの米国の友人、まさにこの「アメリカ的幸福」の価値観に染まっているな〜と思うblu3mo.icon
「彼氏が膝をついてプロポーズをする写真」あー、そういうことなのかnishio.icon
「そういう写真をSNSに投稿すること」が人生の勝利条件になってて、同級生とかとRTAしてるのか そしてそのゲームはお金がかかるように出来ているので、RTAのためにはお金を最大効率で稼げる仕事(クオンツとか)を選ぶのが最適解になるblu3mo.icon (↑はすこし誇張した表現、流石に「お金を最大効率で稼げるか」だけで人生を考えている人はほとんどいないと思う)blu3mo.icon
どういうことかわからなかったけど、知らないほうがよさそうなのでスルーしておくtakker.icon
移民の国で多様性があるので、なんかちょっと意外かも?inajob.icon
そういう文化の人が多数派という感じなのかな?
米国全体で多数派なのかは分からないblu3mo.icon
観測範囲(米国内の所謂エリートの大学生)の中だと、程度の差はあれどこういう価値観を内面化している人が多数な印象..?blu3mo.icon
まじかよtakker.icon
多様性があるぶん、共通言語としての分かりやすい幸福が注目されがちなのでは、という予想shoya140.icon
+1blu3mo.icon (勘)
バックグラウンドに多様性があっても本人がそれに自信を持ってないと逆に収斂が起きそうnishio.icon
地方から東京に出てきた人のうち、自分に自信のない人が、過度に地方っぽいものを否定して東京的であるものを持ち上げるみたいなアレ
そうじゃない人たちにどのくらい寛容なのか、とかが気になるポイント?
「幸せ」の価値観については不寛容になり得ない気がしているblu3mo.icon
他人の幸せ観を縛る方法が思いつかないblu3mo.icon
人付き合いに支障が出るか?
いじめ?
自分は出ていないblu3mo.icon
生活で不自由はあるか?
賃貸の審査が下りないとか
会社の査定とか
この「幸せ軸」を採用している人Xが、採用してない人Yを自分の「幸せ軸」で測って「あの人Yは不幸だ」と思うことに対してYが見下しを感じるかどうかによる気がするnishio.icon
twitterで大喜利して遊ぶtakker.icon
違うか
日本も高度成長期には三種の神器を買うとか車を買うとかの似たような外的幸せ基準があった気がするnishio.icon
もしかして日本が成長しないから幸せな形が「成長レース」の他のところに移動したのか?
結婚、子供、持ち家、車?biwa.icon
FIREとかはこれに対するカウンターなのかな?inajob.icon 質素な生活を前提としてるように見える