さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生れて
久住哲.icon
「ゐる」
〜しつづける という意味。
倒置法
「この冥き遊星に人と生れてさくらばな(が)陽に泡立つを目守りゐる」から助詞の省略と倒置法が使われている
「ゐる」の後に「……人と生まれて」がくることで、単純に地球に生まれたという事実だけを述べるのではなく、その感慨が表わされる。
「ゐる」まで読むと、読み手にはある程度の時間桜を見つめつづける人のイメージが浮かぶだろう。それを鮮明にイメージすると、そこに静かな空白が生まれて、何かが入り込む余地が生まれる。そこに〈地球に人として生まれた〉という一般的な事実を置く。
倒置法であることによって、この一般的すぎる事実の提示が感慨の表現にもなる。
考えられた倒置法
倒置法じゃない説
他の人の解釈を読んで、倒置法ではない解釈もありえると思った
「さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星」でひとまとまりの場合、倒置法ではない。
「見守りゐる」が「遊星」にかかっている場合、倒置法ではない。
「冥き遊星」
ここでの「遊」はplayではなく「遊軍」などと同じようなニュアンス
不規則的に動く
持ち場を固定されていない
惑星はplanetes(惑う者)が語源
「冥き」を「暗」でも「くら」でも「溟」でもなく「冥」にしている
ここでの「くらい」は、先が見えない暗さを意味するだろう
「冥土」→死 という連想もあるが、ここでは死はポイントではなさそう
「冥き遊星」で、どこに行けば分からない・当てもない という意味だろうから
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関係があるか分からないが、「さくらばな」にも「くら」という音が入っている。
なにか惨憺たる報道を見たりそのような知らせを聞いたのかもしれない
さくらばなと人が近しいものだという解釈
さくらばなはサクラとして生まれて、人はヒトとして生まれた
同じ星に生まれた2つの種として、サクラとヒトは同じ運命にある
作中主体はサクラとヒトとのあいだに共感を立て(?)ようとしているのかも
作中の今では、ヒトがサクラを見守っている。サクラがヒトを見守ってくれるときもあるか。
「泡立つ」
キラキラ要素が少ない気がする
花は泡立たない。という思い込みをまずぶっ壊しにかかっている
泡立つはきらめくことを表していると思う
単純に、綺麗だというだけではなさそう
あー視点か?
言葉でしか表せない幻想かもしれない
さくらばな陽に……まで読むと、路から桜の樹を見上げて眺める視点が期待される。だが、そこから泡立つと来ることで視点が下向きになる。泡立つものを見上げることはあまりないので。
ここから自分を「遊星」における自分として見るところまで飛躍的に俯瞰する。
ここの地上から宇宙への飛び方と、比喩の選び方がすごいcFQ2f7LRuLYP.icon
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(毎年そうしてきたように)今年も満開になった桜の花を見上げている。私はこの星に人として生まれたがために、先行きの見えない不安にさいなまれている。
もしかしたら桜を見守っているのは「人」ではなく「冥き遊星」かもしれない
「泡立つ」に、木漏れ日のようなキラキラ感とともに、泡のように消えゆく儚さも感じる
陽に泡立つさくらばな、美しく広がっていく感じ。冥き遊星に生まれた人、先行きの見えない、不安な感じ。
倒置法、まず桜を見せることで「人から見た」歌であることを示し、歌の主人公は桜ではなく「人」だと言いたいのかな
でも、主人公は人でありながら、はじめにドンと見せられた桜の印象も強く残る
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一呼吸
沈む
さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生れて
この冥い、行き先も定かでない星に、人として生まれて、今桜の花が陽の光を浴びて咲き、散るのを見守りつつ過ごしている
桜の盛りの陽気のなかでありながら、冥き宇宙に漂う星のたよりなさに目を向けていて、すごいcFQ2f7LRuLYP.icon
倒置の効果を詳らかにしたい
この冥き遊星に人と生れて さくらばな
陽に泡立つを目守りゐる(私?遊星?)
くすみさん、まいちゃんさんが既に考察されている
上の皆さんの考察を読みつつ
桜を星レベルの遠景から見たとき、それは白く小さく泡立つように見えるのではないか
冥い(水の)遊星にある、白く消えやすい泡沫の波花
+1久住哲.icon
人と生まれて、は、(作者が)人として生を受けて、という意でとった
(桜が)人と(一緒にこの星で)生まれて、ではない
桜はおそらく、咲いている時に「自分が冥い遊星にいる~」とかは考えないのではないか。そう考えるのは人の賢しらではあるまいか?
そこに桜と人の間に距離があるように思う
陽を浴びて泡立つ桜と、「冥い遊星」にすまうて、桜のようにはなれない人との対比
「見守りゐる」は此岸の鑑賞者にすぎない、そういう諦めを含んでいるように思う
meganii.icon
「冥き遊星」からしてスケールが大きそう
陽と冥の対比
悲壮感?
「さくらばな陽に泡立つ」
桜花は泡立たない
桜花が「散る」「落ちる」ではなく「泡立つ」。泡立って消えてゆく。
Y軸方向のマイナスではなくプラス方向ってのが意外。舞い上がる感じでもなく、泡立って(消える)。
「目守りゐる」
わからんのでググった。 「まもりゐる」 ずっと見守る的な?
「この冥き遊星に人と生れて」
「遊星」とは「惑星」と同義らしい
「遊星」とあるので、同じスケールで考えると、「陽に泡立つ」の「陽」は日の光ではなく、太陽そのものかな?
悲観的にみて、桜花を日本人と考えると、太陽に昇っていくって、ぽつり、ぽつりと泡立って消えてゆくという印象
「さくらばな」と読んで、桜の木を見上げていたんだけど、「陽に泡立つを目守りゐる」で、ぐいーーんとズームアウトして、「この冥き遊星」で銀河系まで飛ばされた
目守りゐるって、神目線
「惑星」じゃなくて「遊星」としたのはなぜ?
単に古い言葉を用いた?
「惑う」のではなく「遊」を当てたかった?
銀河系の恒星である太陽
還る場所がある(定まっている)さくらばな
太陽を回る遊星のひとつ地球
地球は恒星じゃないので、自らは光らない
役割が定まっていない「人」として何ができるだろうか的な
桜花を日本人と捉えると、ぽつり、ぽつりと太陽へとかえり消えていく、嘆き悲しみ
桜花は還る場所が定まっているが、「自遊」を持った自分はどうすべきか、どこへ向かうべきか