『論衡』の「夏鑪」「冬扇」
『論衡』の「夏鑪」「冬扇」はその冒頭、逢遇篇第一に載っている https://gyazo.com/401faff3ac4c67d9b698c9b8c3ea4143
最後の行にあった!
https://gyazo.com/e1c95cb311c9edc2bd6c6119740cbdb9
遭遇篇は「君主とのめぐりあい」について述べる篇であるようだ
…世俗之议曰:“贤人可遇,不遇,亦自其咎也:生不希世准主,观鉴治内,调能定说,审词际会。能进有补赡主,何不遇之有?今则不然,作无益之能,纳无补之说,以夏进炉,以冬奏扇,为所不欲得之事,献所不欲闻之语,其不遇祸幸矣,何福佑之有乎?”
世界大百科事典では無益の能を作(な)し,補ふこと無き説を納(い)るるは,猶ほ夏を以て炉を進め,冬を以て扇を奏(すす)むるが如し。亦た徒らなるのみと訓読していた(「夏炉冬扇」の項)
東洋文庫46の訳だと
世間には、こんな論議が行われている―賢人ならば、めぐりあえるはずだ。めぐりあわないのは、やはりおのずから自分のせいなのだ。生きてこの世に望みをかけ、主君をあてにし、治乱のあとを観察して、才能を養い説を立てる。そして目通りする機会をねらい、才能をささげ補佐しようとするならば、どうしてめぐりあわぬということがあろうか。
ところが、いまそうではなしに、役にもたたぬ才能をささげ、補佐の用をなさぬ意見をたてまつり、夏に炉をすすめるようなことをし、冬に扇を差し出すようなことをし、(主君が)望みもしないことを行い、聞きたがりもしないことばを申し上げたりなどすれば、それで災難にでもぶつからなければ幸いというものだ。どうして果報などがあるだろうか―。
主君に対して役に立たない才能をささげることのたとえとして使っているのがわかる。
(余談)この一節、人に望みもしないことを行い、聞きたがりもしないことばを申し上げたりしがちな自分に刺さってぐったりしたcFQ2f7LRuLYP.icon
进能有益,纳说有补,人之所知也;或以不补而得佑,或以有益而获罪。且夏时炉以炙湿,冬时扇以火。…
才能をささげてお役に立ち、意見をたてまつって補佐などするなどということは、だれでも知っている。しかし、補佐しなかったために果報にありつくこともあるし、役にたったために罪におとされることもある。それに、夏でも炉は湿りをかわかすし、冬でも扇は火をおこすというものだ。
上のディスを踏まえつつ「夏炉」「冬扇」の効能も伝えていた