『蜻蛉日記』
『蜻蛉日記』(かげろうにっき、かげろうのにっき、かげろうにき)は、平安時代の女流日記文学。作者は藤原道綱母。天暦8年(954年) - 天延2年(974年)の出来事が書かれており、成立は天延2年(974年)前後と推定される。上中下の3巻よりなる。題名は日記のなかの文「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」より。 上巻の跋文より
夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾について書き、また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先での出来事、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談についての記事がある。藤原道綱母の没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に筆が途絶えている。 蜻蛉日記
夫に長文お気持ち和歌送る場面のことが頭に残っているcFQ2f7LRuLYP.icon 該当箇所では型を超えた本気の恨み節を送っており、見てて「こんなん渡されたら家帰りたくなくなるな〜」と思った https://gyazo.com/25dd95a9baeed81f12d205643e6cc797
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やっぱ長ぇわ
上中下巻からなる
八年
九年
出産後一月で夫が他の女の下に通い始める
秋、母の死
二年
母の一周忌
三年
兼家病む
この日記において、作者と兼家との心の交通が(たまさかでこそあれ)なされた場面であったcFQ2f7LRuLYP.icon
四年
安和元年
跋
日記名の由来の箇所があったcFQ2f7LRuLYP.icon
二年
閏五月、作者病む