『蜻蛉日記』
『蜻蛉日記』(かげろうにっき、かげろうのにっき、かげろうにき)は、平安時代の女流日記文学。作者は藤原道綱母。天暦8年(954年) - 天延2年(974年)の出来事が書かれており、成立は天延2年(974年)前後と推定される。上中下の3巻よりなる。題名は日記のなかの文「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」より。
上巻の跋文より
夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾について書き、また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先での出来事、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談についての記事がある。藤原道綱母の没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に筆が途絶えている。
蜻蛉日記 - Wikipedia
from 2023/07/10
蜻蛉日記
夫に長文お気持ち和歌送る場面のことが頭に残っているcFQ2f7LRuLYP.icon
恋歌には「型の恨み」とでもいうべき風習があり、つれなさを詰るのはよくあること
該当箇所では型を超えた本気の恨み節を送っており、見てて「こんなん渡されたら家帰りたくなくなるな〜」と思った
https://gyazo.com/25dd95a9baeed81f12d205643e6cc797
物集高見 監修 ほか『校註日本文学叢書』第4巻,広文庫刊行会,大正7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2627929/1/273 (参照 2023-07-10)
https://gyazo.com/5d9788b57f25e2a9613f61146f9d4b31
やっぱ長ぇわ
上中下巻からなる
上巻:天暦八年(954)~安和元年(968)
八年
藤原兼家の求婚
父藤原倫寧の陸奥守赴任
九年
懐妊、藤原道綱出産
出産後一月で夫が他の女の下に通い始める
町の小路の女
嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る
百人一首歌
康保元年
秋、母の死
二年
母の一周忌
三年
兼家病む
この日記において、作者と兼家との心の交通が(たまさかでこそあれ)なされた場面であったcFQ2f7LRuLYP.icon
四年
五月、村上天皇崩御。冷泉天皇即位
安和元年
初瀬詣
跋
日記名の由来の箇所があったcFQ2f7LRuLYP.icon
中巻:安和二年(969)~天禄二年(971)
二年
三月、左大臣源高明配流
安和の変
閏五月、作者病む
遺書を書く
下巻:天禄三年(972)~天延二年(974)