『和訳韓非子』
ところで、漢文を読むにはなるべくなら返り点送り仮名つきのテクストにぶつかるほうがいいけれど(もちろん白文ならそれに越したことはない)、あれは何しろ厄介だから書き下しですませるのも一法だらう。その際、肝要なのは、最近の中国文学者の書き下しによらず、明治大正のもので読むことである。新しい訓読は、語学的には正しいのだらうし、事実、かゆい所に手がとどく塩梅だが、とかく冗長に過ぎて力が弱く、文体感覚を養ふといふ目的にはふさはしくない。その点たとへば田岡嶺雲の『和訳韓非子』などは、自由民権の気分で中国の古典を読むといふ趣があって、当面の目的にぴったりなのである。 文体の辛辣な味を学ぶには漢文に就くしかない、という