What's wrong with the female nude?
要約
女性は劣勢な地位に置かれている(女性の従属)
女性の従属の主要な要因は、男性が「女性の従属」を「性的に魅力的」とみなしていることだ(エロス化)
女性をモノとして扱うこと(モノ化)は、そのモノを性的に魅力的なものとして読み取る眼差し(メイルゲイズ)とセットになることで「女性の従属を性的に魅力的とみなす行為」となる
女性はこのメイルゲイズを内面化し、みずからモノ化することによって性的に魅力的であろうとする。これが女性の従属を生み出している。
オフトピ
昭和期まで人前で乳を晒すのはよくあった的な記事を連想mtane0412.icon
「女性の従属」という用語は、女性の劣勢な地位、 [社会的]資源や意思決定へのアクセスの乏しさ……を指す。したがって、女性の従属とは、女性の男性に対する劣勢な地位を意味する。無力感、差別、制限された自尊心と自信の経験は、組み合わさることによって女性の従属をつくりだす。したがって、女性の従属は、権力関係が存在し、男性が女性を支配する状況のことだ。
Sultana, Abeda. "Patriarchy and Women s Subordination: A Theoretical Analysis." Arts Faculty Journal 4 (2012): 1-18.
イートンは女性の従属をつくりだしている主要な原因のひとつとして「男性の支配と女性の従属」の「エロス化(eroticization)」をあげる。エロス化とは、イートンによる説明から考えるに、「あるものを性的に魅力的なものとすること」(src1)
エロス化=あるものを性的に魅力的なものとすること
男性が女性の従属を性的に魅力的なものとみなす
女性もまた従属を自身の女性としての性的魅力として自己理解する
女性は、男性への従属という不平等な関係のなかで女性としてのアイデンティティを形成する
モノ化=ほんとうはモノではないものをたんなるモノとして扱う
(by マーサ・ヌスバウム)モノでないひとをモノとしてとりあつかう(treating person as an object)ということには、次のような異なる意味がある
経営者からみたときの労働者はこれで、ごく一般的に行われていると思う基素.icon
自律性の否定(denial of autonomy)。その対象が自律的であること、自己決定能力を持つことを否定する。 不活性(inertness)。対象に自発的な行為者性(agency)や能動性(activity)を認めない。 代替可能性(fungibility)。(a)同じタイプの別のもの、あるいは(b)別のタイプのもの、と交換可能であるとみなす。 毀損許容性(violability)。対象を境界をもった(身体的・心理的)統一性(boundaryintegrity)を持たないものとみなし、したがって壊したり、侵入してもよいものとみなす。 所有可能性(ownership)。他者によってなんらかのしかたで所有され、売買されうるものとみなす。 主観の否定(denial of subjectivity)。対象の主観的な経験や感情に配慮する必要がないと考える。 (by Rae Langton)
体への還元(Reduction to body)。体や体の部分と同一のものとして扱う。 見た目への還元(Reduction to appearance)。第一義的に感覚に対してどのように見えるかという観点から扱う。 沈黙化(Silencing)。沈黙したもの、話す能力が欠落したものとして扱う。 眠れるヴィーナス
彼女の意識の欠落=完全な受動性と脆弱性を強調
ポーズ=性的に敏感な部分への最大限の視覚的なアクセスをもたらす
絵画における女性のヌード作品のいくつかは⑴女性の性的モノ化の表象であり、そして、それによって⑵鑑賞者に視覚的な性的快を供給するものであることが示された。
性的モノ化の表象である女性のヌードが鑑賞者にエロティックな快の供給を可能にするにはある「ものの見方」が必要になる。というのも、モノ化の表象はただのモノ化の表象でしかないからだ。
モノ化を性的に魅力的なものとして読み取る見方が必要なのである。
女性を第一義的に性的なモノとしてみる見方がメイル・ゲイズ
人間はいかなるジェンダーを問わず、性的なモノである以前にそれぞれにユニークなキャラクタと自律的な意志をもつ。にも関わらず、そうした人間的な特徴に注目せずに、性的なモノとしてのみみなすことが問題とされる。
望みもしないのに第一義的に性的なモノとしてみなされるとすれば、彼や彼女の自己決定権を侵害していることになり、それは多くの場合問題視されるであろう。
うーん、まあ「生身の人間」にそれをやるのは問題だ、という主張までは理解できるnishio.icon
賛成するかどうかはさておき、主張はわかる
ゲーム内の架空のキャラクターにまで「彼女の自己決定権が〜」とやるのは飛躍があるように感じる
女性はメイル・ゲイズを内在化し、その見方を通して、「不活性さ、受動性、毀損性、自律性の欠如をみずからの性的魅力とみなして自己理解を行なってゆく」。これは女性の従属をエロス化してしまうために、さまざまなジェンダーにおける平等を重視する立場からは問題であるとされる。
うーむ、なるほどnishio.icon
「ある環境Xによってある個体が不適切な自己理解に陥る、これは環境Xが悪い」か
「その不適切な自己理解が悪い」という反論もありえるよな
女性のヌード表象が総称的(generic)であることによって。女性は同じポーズ、そして同じ顔や肌の色や身体的特徴をもつ識別できないようなものとして描かれる
なるほど。総称的な表現だから、具体的な個人を描いたものではない絵であっても「実在の女性に対する自己決定権の侵害」である、というロジックかnishio.icon
先ほどの「ゲームのキャラクターなのに?」に対する回答はこれだな
「総称的な表現」は女性という概念に対する表現という意味?基素.icon
絵でも写真でも女/男という概念
そう「これは特定の個人を描いたものではなく、女性という概念を描いたものである」というロジックnishio.icon
よく「絵だよ?」「実在の女性じゃないよ?」「加害されてる人は存在しないよ?」という反論が行われているが、それに対する反論の原理はこれなんだなぁ、ということ
憲法学説からの批判が流れてきた基素.icon
以下は高橋和之(東大名誉教授)『表現の自由』(有斐閣、2022年)82頁の解説
フェミニスト(フェミニズム)は、「ある種のポルノ」は「社会に存在する女性の差別構造の反映」するもので、その「構造を強化・再生産」し「女性差別をイメージにより伝達」するから「禁止」すべきと主張する。しかし、【1/4】
「映像は文字情報のように思考回路を通じてメッセージを伝達するのではなく…意識あるいは無意識に直接的に一定のイメージを植え付ける」側面はあるものの「その影響のメカニズムは未だ十分には分かってはいないし,文字による表現では対抗しえないほど」の「影響力をもつわけではない」から、【2/4】
「『表現』の段階を超えており,『行為』と捉えるべき」というフェミニズムの理論には「いささか無理があるのではないだろうか」
このように高橋教授は批判し、その上で「表現により意識に悪い影響を与えるから規制が許されるという論理を認めると,表現の自由は崩壊する」と警鐘を鳴らします 【3/4】 さらに、高橋教授は「表現の自由は,コミュニケーションを通じて互いの意識を形成・変革するために保障されている」とし、「ポルノが悪い意識を植え付けるというのであれば,それに対応する方法は,対抗言論であるべき」と説きます
これが憲法学説からのフェミニズム理論への正当な批判です 【4/4】
男性がはだけており、女性だけが服を着ている絵画はほぼみられない、とイートンは述べる
男性のヌード作品と比べて、女性のヌード作品は圧倒的に数が多い。…こうした大量の女性のヌード作品によって、「性的なモノとしての女性」という女性のステレオタイプ化が行われている可能性をイートンは指摘する。
うーん、そういう主張の仕方をすると「じゃあヌードの男性が主体性なく、着衣の女性によって性的モノ化されてる絵をたくさん作れば平等」ってなっちゃうと思うがnishio.icon
そして、それはそれで喜ぶ男性がいっぱいいそうな…
女性はクリエイターとしてではなく、たんに身体とのみ結びつけられており、そこから男性がマスターピースをつくりだすような生の素材として結びつけられている
まあこれに関しては、過去の文明においては実際に生身の女性を「性的な絵を描くためのデッサン人形」として使ってたとは言えるだろうなぁnishio.icon
「現代でも女性はクリエーターではない」と主張するのは無理があると思うな
ストリップ劇場の女性ファンが書くノートの話nishio.icon
まず見たこともなかったので、実際にストリップのショーを見せていただいた。想像とはまるで違うので本当にびっくりした。いきなり始まったのはどう見てもアイドルのような衣装を来た踊り子さんたちで、本当にかわいらしかったのである。ストリップ劇場になんとなく抱いていたウェットな雰囲気とはまるで違っていた。
その次に始まった小宮山せりなさんという踊り子の演技を見て、また意表を突かれた。彼女の衣装と演技は、まるで女児アニメの世界から飛び出てきたようなかわいらしさだったからである。月に乗って宙を舞う姿は、魔法少女アニメのED映像のようであった。
他にも宝塚を意識したような男装があったり、セリフのない寸劇が繰り広げられたり。それぞれよく練られ、厳しい稽古をくぐり抜けねばできない舞台がそこにはあった。
先にショーを見てなかったら、スタッフの方に持ってきていただいた女子トイレノートに書かれてた意味がさっぱりわからなかったかもしれない。
一部抜粋してみよう。
ダンサーのかっこよさうつくしさなきました。 2回目です。またきます!
北海道から矢沢ようこさんを観に来ました!!が、 皆さん本当に素敵で魅入ってしまいます♡ また絶対来ます!!
本当に感動して勇気をもらいました!!!! ありがとうございました♥♥♥♥♥
昨今ではこうしたストリップショーの客の半数が女性であることも珍しくないのだそうだ。
@pomaru310: そもそもセーラームーンの作者の武内直子氏(と担当編集のおさぶ氏)は当時のロリコンブーム楽しんでる側で、蛭児神建氏が編集長やってたプチパンドラをキャラにしちゃうぐらい影響受けてるんですわ… (と三十路のおばさんは思っている)
https://gyazo.com/6fbad7ef41d208fb72e6d9cebda91931https://gyazo.com/fe51dc070e61153707e7b8a432928fd6https://gyazo.com/96526c2a368e596b93355b4b043db95fhttps://gyazo.com/e9df7d8f6707f126ea1956c27224930c
表紙めちゃ良いはるひ.icon
イートンは「あらゆる女性の裸体の表象=わるい」と言ってるわけではなく「西洋の芸術史のうちの女性のヌードという視覚的表象のジャンル」は男性の支配と女性の従属という関係を芸術の名のもとに美化してしまうために問題があるとする。こうしてフェミニズム批評の問題意識が決して不条理ではないことを示そうとしている。
西洋芸術史に限定するならまあわかるnishio.icon
ソシャゲの広告では「芸術の名のもとに美化」は起こらない
ここまで踏まえて「ゲームの登場人物である女性型のキャラクターを、特に主体性などなく単なる飾りとして掲示した広告」について何が言えるかnishio.icon
うーん、服装が性的でなかったとしても「女性はそういうシチュエーションで単なる見た目が綺麗な飾りとして使って良いモノである」というモノ化ではあるよな
だから「そんなにエロくないだろ」は反論にならない
これを問題だと思わない女性もたくさんいる、という主張に対しては「それらの女性はメイルゲイズを内面化して不適切な自己理解に至っている状態だ、これは好ましくない」と反論するかな
ある人の自己理解が「正しい」かどうかを第三者が判断するのも自己決定権の侵害だと思う
このような論理を使うと他人の意識を自分がオーバーライドできるので納得感が薄い基素.icon
「あなたがXだと思っているのは実はYなんです。あなたがXだと思っているのはかわいそうなことだ。Yなのに。」と言われると反論できない(反論してもその反論は思い込みと見做されるため)
カルト宗教や陰謀論も同じ構図ではnishio.icon
「我々はYだと知っている、あなたはXだと思い込んでいる、かわいそうに」
これは結局、社会の多数派がある理解Xを正しいと思っている時に「理解Xは正しくない、理解Yが正しい」と思っている人はどう振る舞うか、という話な気がするなぁ
まあ、筋が悪いけども注目を集めることで、理解者を増やすことにつながる、ということかなぁ
反発者をそれ以上に増やしてる感じはある
ここまでを踏まえて考えるとまあまあ理解できる
@Tsurigane_mushi: 例のJR大阪駅のバニーガール(高1設定)の絵、先にソシャゲ公式で発表されたときのオタクの反応をご覧いただこう 見事に「えっろ」「えちちち」の声があふれてるのに、何故か広告になってオタク以外の人が「性的」と指摘すると、「どこがエロなんですかぁ~」と集団で襲撃 オタクの誠実さがよくわかる https://gyazo.com/34cbb4c047d583b6ffe3ba1bd3ab2b24
https://gyazo.com/9073c8bf17680d359951dda6e7d05782https://gyazo.com/4ab7b4f884292b4b62a457e975baeff7https://gyazo.com/56122813668e6bde1b3aa979b8867ec7
@Tsurigane_mushi: 見てすぐわかるように、あの絵はソシャゲ公式がゲームのプレイヤー向けにエロく仕上げたものをそのまま広告に流用したもの そりゃ問題になるのも当然 ゲームの中なら問題ない絵も、それを公的性の高い広告とすると「未成年女子をどこでも性的モノ化扱いしていい」という社会的意味付けを持つのだから 引リツ323件
コメント数不明ですけど、
うち3件なら圧倒的少数ですけど…
@Tsurigane_mushi: これはJR大阪駅の萌えエロ絵広告的なものを批判するときのポイントなんだけど、本当の問題は「単に性的」なことでなく、「(未成年女子等を)『性的客体化(モノ化)』することで、『未成年女子は性的に扱っていいモノ』と社会的に意味付ける」ところにあるので、そこに踏み込んで批判するのは大事と思う @Tsurigane_mushi: 「女性の性的客体化」は「女性は性的なモノとして扱っていいモノ」という社会的な意味付けを生むことによって女性の主体性を奪うので、「単にエロい」という問題ではなく、明確に「女性差別」の問題になる そこをはっきりさせるためにも、特に広告問題では「性的客体化」の視点まで踏み込むのがいい @Tsurigane_mushi: また「単に性的」とだけ言うと、また表自園児が何とかの一つ覚えで「性嫌悪の風紀委員」だの、「(女性下着の広告は性的客体化ではないのに)女性下着の広告はどうなんですかぁ~」とか始めるので、連中に変に付け入れさせないことに加え、より多くの人に問題を伝えるためにも踏み込み方は大事にすべき 「未成年女子が背中の大きく開いたバニー服を着ている画像を公共機関の広告として掲示することは、たとえそれが架空のキャラクターであったとしても、実在の未成年女性に対して『社会はそういう振る舞いを良いことだと考えている』とメッセージを発することになる。私はこれを好ましくないことだと思う」ということだよね
発端の人
脅迫や殺害予告には法的措置を講じる構えを示している。
私は上記の広告について、女性の性の商品化が顕著であり、驚いたことを表現しましたが、 規制については何も言及しておりません。
議論がこじれそうな「表現の自由」の話題はさらりとかわしてる
Insofar as erotic art and in particular the female nude makes male dominance and female subordination and objectification sexy, this chapter argues, it eroticizes the traditional gender hierarchy and in this way is a significant part of the complex mechanism that sustains sex inequality. To substantiate this claim, she offers a close analysis, supported by a long list of examples, of the different ways in which artworks belonging to the genre of the female nude can be sexually objectifying. She also lends some much-needed precision to the concept of the male gaze, and addresses two serious objections to her particular feminist approach. Firstly, if visual representations typically trade in tokens, not types, then the question arises how a picture can objectify women in general. Secondly, since many consider objectification to be a normal and even healthy part of human sexuality, one might wonder what is wrong with sexual objectification in the first place? This chapter concludes by underlining a significant difference between pornographic works and the traditional female nude: the latter not only eroticizes but also aestheticizes the sexual objectification of women, and does so ‘from on high’, art's venerated status investing the traditional nude's message of female inferiority with special authority, making it an especially effective way of promoting sexual inequality.
DeepL: エロティック・アート、とりわけ女性ヌードが、男性の支配と女性の従属と客観化をセクシーにする限り、それは伝統的なジェンダー・ヒエラルキーをエロティックにし、このようにして、性の不平等を支える複雑なメカニズムの重要な一部をなしていると本章は主張している。
この主張を実証するために、彼女は、女性ヌードというジャンルに属する芸術作品が、どのような形で性的対象化されうるかについて、長い実例リストに裏打ちされた綿密な分析を提供している。
彼女はまた、男性の視線という概念に必要な正確さを与え、彼女特有のフェミニスト的アプローチに対する二つの重大な異論に対処している。
第一に、もし視覚的表現が典型的にタイプではなくトークンとして取引されるのであれば、ある写真がどのようにして女性一般を客観化しうるのかという疑問が生じる。 第二に、多くの人が客観化を人間のセクシュアリティの正常で健全な部分とさえ考えているため、そもそも性的な客観化の何が問題なのか、と考えるかもしれない。
後者は女性の性的対象化をエロティックにするだけでなく美的に表現し、それを「高みから」行う。芸術の崇高な地位が、女性の劣等性に関する伝統的なヌードのメッセージに特別な権限を与え、性的不平等を促進する特に有効な方法となるのだ。
レビュー
Eaton elaborates an idea developed by MacKinnon (but also with historical antecedents) about how sexual desire, tastes, and standards have been shaped in ways that render women's subordination and men's dominance sexy, a phenomenon that significantly sustains sex inequality, with the female nude an important source of that phenomenon. Using recent delineations of sexual objectification by Martha Nussbaum and Rae Langton, Eaton then very methodically shows how these facets map onto the content of canonical European paintings of the female nude. Some of the patterns she shows include rape and physical destruction presented as sexually attractive, gratuitous inclusion of many women in poses of sexual vulnerability, passivity, violability, and availability, scenarios of surveillance of women in these conditions, and foregrounding of erogenous zones (in an intact body or partial one) in ways that emphasize vulnerability and maximal visual access while minimizing or removing traces of subjectivity. Eaton connects the sexual objectification of women in these paintings to the sexual objectification of women in general by noting that the female nude is almost always presented as both generic and idealized, and furthermore such presentation is systematic, repeated, and pervasive in much of Western art. Her insight that to imagine men presented in these ways "would seem so foreign as to border on the absurd" (p. 304) does, nevertheless, suggest that it is possible that we might one day see such presentations of women in that light too. DeepL:イートンは、マッキノンによって開発された(しかし歴史的な前例もある)、性的欲求、嗜好、基準が、女性の従属と男性の優位をセクシーにするような形で形成されてきたという考えを詳しく説明し、性の不平等を著しく支える現象、その重要な源泉が女性のヌードであることを指摘する。 イートンは、マーサ・ヌスバウムとレイ・ラングトンによる最近の性的対象化の定義を用い、これらの側面がヨーロッパの古典的な女性ヌード絵画の内容にいかにマッピングされているかを非常に整然と示している。
イートンが示すいくつかのパターンは、レイプや身体的破壊が性的魅力として提示されていること、多くの女性が性的な脆弱性、受動性、暴力性、利用可能性のポーズをとっていること、こうした状況にある女性を監視するシナリオ、脆弱性と最大限の視覚アクセスを強調しながら主観性の痕跡を最小化または除去する方法で、(無傷の身体または部分的な身体の)エロジナスゾーンを前景化していること、などである。
イートンは、女性のヌードがほとんど常に一般的かつ理想的に表現されており、さらにそのような表現は西洋美術の多くで体系的に繰り返され、広まっていることを指摘し、これらの絵画における女性の性的対象化を一般的な女性の性的対象化と結び付けている。このような形で描かれた男性を想像することは、「不条理に近いほど異質なものに思えるだろう」(p. 304)という彼女の洞察は、それでも、いつの日か、このような女性の表現もそのように見られる可能性があることを示唆しているのである。
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