CC-BYである必要って何?
タイトル悩むmtane0412.icon
CC0、考えてみると確かに無茶苦茶なことができるわけではないmtane0412.icon 著作物乗っ取れたりしちゃうのかなーとか思ったけどできなそう
いかなる権利も保有しないことと、それが別の人の著作物として認められるかは別問題だし認められないだろう
「いかなる権利も保有しない」という宣言が分かりづらいのかも
この作品の権利は公共に帰するということ?
権利は公共のものなので誰のものにもならない
となるとCC0の著作物を元に別の著作物がどんどん生まれるのでCC-BYとかで実現したかったことはこっちのほうが効果的にできちゃったりする?
CC0を取り込んだコンテンツが出典を明かさないことが出来ると理解しているinajob.icon
乗っ取りとまではいけないけど近いことが出来そう?
CC0コンテンツを自分のものだと思い込ませることができるかどうかがポイントかなmtane0412.icon
今の時代すごく難しい気がする
内容に特徴があるとCC0でありつつ本来の作者を想起させるみたいな技もできるかな?
attributionで担保しようとしてたものは担保できてないし、他の方法のほうが有用に見えてきたmtane0412.icon
https://gyazo.com/b2ce804f0eeed3d88f68d1cb4ee434ba
このPublic domainの絵が僕の創作物ではないということはウォルト・ディズニーへのattributionではなく、これがウォルト・ディズニーのミッキーマウスというキャラクターである証拠が簡単に見つかるから
この絵を販売したり改造したり再頒布したりはできるが「これは僕が書いた絵です」というのは単なる虚偽
この絵に関して自分の権利を主張しようと思ったら何らかの独自の創作性を発揮しないといけない
CC0は人々を創作する方向に動かしそう
CC-BYは一定の枷があるがそれがないのでスピードがでる
これに関してはすでに著名な作品なので状況が違う気がするinajob.icon
マイナーな作品でもCC0として発表しているわけだから創作者のトレースは可能ではないですか?mtane0412.icon
草の根的な作品が出てきたときにそれがCC0で使い勝手が良いと、作者の情報なしで出回ることになりそうinajob.icon
その後どうなるかまだ考えがまとまっていない
でもそれは今までもそうだった
これを防ぐのも自分の発信をちゃんと残しておくことにみえるmtane0412.icon
少なくとも後世にエビデンス付きのquoteとそうでないquoteに分けられそう
作者の情報無しでもいいから高速に世に影響を与えることがCC0付与のモチベーションmtane0412.icon
自分の起源を主張したいときは後世の人間にもトレースできるような形で発表するようにすればいい
起源を主張したいという目的でCC-BYは実はそんなに意味がない
やはり、ある時点に自分がそれを作ったのだということを第三者がトレースできる状態にすることが本質
ユニークな作風だといらすとやみたいにブランドを確立するケースもありそう 草の根的な作品のイメージがどんなのだろうmtane0412.icon
小さなオフイベで何かを作った
口約束で使っていいっすよって感じ
CC0ではない
CC0のライセンスを付与して発表
発表してるのでトレース可能
発見可能な状態にしてないのももちろん自由
逆に言うとCC0の状態でちゃんと見つかる状態にしておくことが重要
そこまで探してくれる人がどこまでいるか、という話かな?inajob.icon
CC BYなら成果物にそこへのポインタを強制できる
探す人がいないというのはCC-BYでも変わらん気がするなぁmtane0412.icon
権利を剽窃する側に常にバレるリスクを背負わせるという方がしっくりきている
「これこの人が考えたって主張してるけどずっと前にこの人がやってますよ」
自分がポッドキャストのBGMで使っている音楽、CC0の物なのだけど、これは元データを探すのが大変そうinajob.icon
媒体によりそうだ
音楽が検索しにくいという特性に関連しているnishio.icon
これでinajob.iconが自分で作曲しましたと言っても確かになかなか見つからなさそうmtane0412.icon
そういうリスクを無意味に負う人が果たしているのか
この状態がCC0で危惧する「乗っ取り」かどうかmtane0412.icon
「世の中(あるいは特定ドメイン)のほとんどの人がAの作品XをBが創作したと思っている」くらいを想像してる
実際は「世の中(あるいは特定ドメイン)のほとんどの人はAもBもXも知らない状態で、BがAの作品Xを創作したと主張している」
CC0の目的はXを世に広めることなのでBの行為はAにとってムカつくけどまずXが知れ渡ればいい
Bを発見したら注意すればいい
Xが広まれば広まるほどBの悪行は露見しやすくなる
inajob.iconが自分で作曲しましたといって販売するとしたら
「この人作曲できたっけ?」っとなって調べそうmtane0412.icon
Rakuchordとか作ってるからできそう...
↑スマホで読めないゾーンnishio.icon
第三者が「これは私が発明した」→ただの嘘つき
いろんな人に使ってほしいのに第三者が権利を独占してしまうのを防ぐのが目的か
イラスト・楽曲のケースinajob.icon
いい感じの曲集 ・ 特定のテイストの画集 みたいにまとめて使われて、オリジナルへのポインタがないケース
別に誰が作ったとも言っていない
利用者も誰が作ったかを気にしない、気にしても辿ることが困難
作者としては、辿ってきてほしいという欲求があるケース
例えば似たような作風でオリジナルの作品を受注したいとか
CC-BYが刺さりそうmtane0412.icon 知見を集めるコミュニティ
知見をコピーされることに抵抗はないが、そういう知見を集める場があるという情報を、必要な人に届けたい(=コミュニティを活性化させたい)
知見を紹介する対価として、コミュニティの紹介を要求する
CC-BYはまさにこういう使われ方が良さそうmtane0412.icon
CC-BYでもやばいやつは剽窃するし、CC-BYで引用元表記してたような人たちはCC0でも引用元表記しちゃうんだろうなと思ったmtane0412.icon
そうでもないnishio.icon
しかし「派生させてこんなのを作ったよ」と元の作者に僕は伝えてる
Scrapboxに書いとくかw(今思いついた)
この種のRemixに関して、CC-BYだったらどうだったか
可能ではあるが「元々は〜の作ったもので、それに手を加えた」と書く必要が出てくる
たくさんの人が関わったアイデアはAttributionまみれになる
ポッドキャストでのBGM、後から編集して入れてるので音声に入れるのが面倒でやってないinajob.icon
というかそれが面倒なのでCC0から選んでる
Descriptionに入れるのもやってないな、、
テレビ番組のエンディングとかよく考えるとすごいですねmtane0412.icon
YoutubeがCC0の音源をいち早く整備したのを思い出した
ニコニコもニコニコモンズ頑張ってたけどすごい分かりづらかった記憶
結局、条件色々でCC-BYが多かったり、そもそも違法アップロードが多くてそれを精査するコストがあった
配信とか動画をやってるとCC0音源を使ってるのが当たり前なので気になった曲とかがあったら調べてる
CC-BYに求めてたものがCC0でもworkしてそう
自分でもPublic Domainのやつはわかるやろって言って引用元コピペしないときあるなmtane0412.icon
リスペクトの向き方は変わらないということを表現しようと思ったのだろうが、attributionの有無が必ずしもリスペクトの有無というわけでもないということに意識が向いたかも
自分の本にパブリックドメインの画像を載せたときは、結局パブリックドメインである証拠を探して出典を明記する羽目になったからな…nishio.icon
アメリカ海軍の問い合わせ窓口にメール投げたような気がするw
もうひとつの例は、パブリック・ドメインに属する論文の扱いです。著作者が死亡して既に長い年月が経過している論文、著作などは、著作権法上は自由に利用してもよい共有資源のようになります。ところが、古い論文の記述であっても、それをcitation なしに自分の記述であるかのように自分の論文にとり込めば剽窃になります。ですが、著作権侵害にはならないでしょう。
このように、citation が必要な理由は、著作権法にあるのではなく、学術的なコミュニティの規範・慣行にあると考える方が適切です。