辞書をまめに引くことで言葉の硬度が上がった感じがする
from 2024/03/29
辞書をまめに引くことで言葉の硬度が上がった感じがする
これはこれでいい
柔らかくできるようにもしたい
↓で書いたように、硬くなるとものの見方がはっきりする
はっきりするのはいいが、固定化するとも言える
言語は変化するものでもあるし、固定化した見方に止まるのはもったいない
だからときには箍を外して遊びたい
言葉の硬度、気になるcFQ2f7LRuLYP.icon
たとえば明治の文豪の文章は言葉の硬度が高そうである(森鴎外の文章を念頭に置いている)
森鴎外 舞姫 の冒頭を読んでみたが、端正な文章だなと思ったseibe.icon
過不足なく表現されている
語の品位が均質で快適
「硬度が高い文章」と言っても良い
「強度がある/高い文章」といいたいかも
ちなみに私は現代文以外の語彙がからっきし無くて読めないので辞書を引きまくった
洋行などなんとなく推測できる語でも
すると他の語も読めるようになったように感じた(実際には読み進めていないので未検証)
近代の語彙を仕入れているのかと思う
外国語を読めるようになりたいときもこうすればよいのかも、と思った
言葉の意味がはっきりする感じseibe.icon
デジタル大辞泉では「はっきり」の意味として物事の輪郭などが、きわめて明瞭であるさま。と書かれているが、まさにその通りで、語が指し示す意味の範囲・輪郭・境界線というものが明瞭になってくる
例:信用と信頼
どちらも根拠が十分ではなくても信じるということはあるのだが、
信頼の方が、頼りにする、たのみのつなとするという要素が強い
信用は、頼りにするというニュアンスは少ない。また、根拠は信頼よりかは確からしい
「信じて用う」なので(?)、頼るというよりはスペックが十分というようなイメージだろうかyosider.icon
……と理解した
また、語のネットワークから作られるフレームワークが見えてくることで、各語間の位置づけが明快になってくる
「良い」「悪い」の背後にはなんらかの水準が想定されている
「どう」と問うとき、それは方法(状態のこともあるが)を問うていて、方法の前提には目標・目的がある
「好き」というのは個人的な偏りである
「論理的」というのは筋道/道理にそって考えているということで、じゃあ道理というのは何だというと、哲学でいう真や善が関わってくる
……という感じ
そんなことが辞書に乗っているわけではないのだが、関連する語の語釈のネットワークから、浮かび上がる感じ
はっきりするに従って、言語で表現しやすくなる
包丁を研ぐことで切れ味が良くなり、食材を切りやすくなるようなもの、、かなあ
偶然にも4月の目標が「意味があやふやな言葉に出会ったらすぐに辞書を引く」なので、より頑張ってみようと思ったnejimaki.icon
結果の如何に関わらず感想知りたいですseibe.icon
他の人はどういう感想か知りたい
4月末を楽しみにしておいてください笑nejimaki.icon
記事書いたり造語したりする立場としてよく引くが、そう思うsta.icon
割と多義語なんだなぁというのは学び
最近でいうと「工学」とか「技術」とか
この言葉は多義的でnつの意味がある、この文脈ではどれが使われているか……みたいな見方ができるようになる
引くと思ったより語の指す範囲が広かったり、思ってもいない語の意味が載っていたりするの確かにあるseibe.icon
ノリと雰囲気で言葉を選んでいるので耳が痛いHiro Aki.icon
辞書をなるべく引くように心がけたいが、「この単語はこの使い方であっているのか?」という自問の時間が必要なので、もう少しゆっくり考える意識が自分には必要かもしれない
理解の有無に関わらず引いてみるとだいたい知らないことが載っている or 知っていても理解が深まるので楽しいseibe.icon
一方で費用対効果(引くのにかけた時間も含む)はあると思う
試して引くのが効果的な場面についての知識を得るのがよいのかなと思う
(今は引きすぎていると思うので自戒を込めて)
バランス難しいですよねsta.icon
個人的には必要なときに引いた分だけは深める、くらいが良さそうかと結論つけてる