譲歩に関する極端な思考実験
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昔、ちょっとは譲歩できないのかと言われたことがある。
極端な場合を考えてみよう、それが通ったら末法でしょうという要求を10個されたとして、1つも譲らなかったら「譲歩してない」自体は当てはまるが、それが通ったら末法なので譲歩しようにもできない。
10個も末法要求の例を考えるのがムズいから3個とか5個ということにしようかな。
1. Aを殺したい、2. Aの家を焼きたい、3.Aの財産を全て奪いたい
B「どれか譲歩できませんかね」
A「ばかやろう」
逆もやってみるか。自分が出している要求が末法すぎる場合
譲歩で解決で来なさそうな例を作るのが大変
例えば「D に存在してほしくない」は「D の顔を見なくて済む所に自分が引っ越す」か「D に何処かに引っ越してもらえば」文字通りには解決していないが取り敢えず落ち着く
1. 誰でもいいからアレしたい
2. どの家でもいいから燃やしたい
3つも思いつかん
この場合のオチは「そんなことしたら大変なことになりますから、抑えるか欲求が出ないように治療しましょうね」
通常の要求のやり取りの範囲でこのようなことは発生しないが、そのような欲求を持つ人間が居るということ自体は凶悪犯罪の犯人の供述を読むと理解できる。
多分、譲歩の意味を取り違えている。
相手の要求を部分的に丸っと飲むことじゃない。
それはそれで、「ゼロサムフィールドAでは負けておくけど、ゼロサムフィールドBではよろしくな」という方法がある。
私にとってはもう価値が無くなったが相手にとっては価値のあるものを渡して、私にとっては欲しいものを手に入れる……のは譲歩というか取引
譲歩できるものと出来ないものの違い
要求:自分がしたいだけのこと
真理:例えば 1+1=2 は譲歩しようがない
公益:譲ると公益に反するもの
それを通したら末法だろうとか
それを通したら衰退の未来しかないだろうとか
何を一丁前に公益の代表面しているんだという説はある
譲れない時は結局譲れないなりの理由があるわけだから、それを書き出すのは対話として大事。
自分がそう思い込んでいるだけのことに気付けるかもしれない。
結局表現が大事になってくる