観察の短歌
from 2024/03/21
観察の短歌
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「観察の短歌」みたいなものがあると思っている。これが誰かのエッセイとかに書かれていたことだったか、ツイートとかで見たのだったかの記憶はないが
鉛筆を取り換へてまた書き出だす文字のほそさや冬に入りゆく〔藪内亮輔〕
「鉛筆の文字」をそれ自体として見なければその「ほそさ」には気がつかない。なぜなら、鉛筆を使うときに見られるのは普通、書く内容であって文字の形態ではないから
正岡子規が俳句と写生についてなにか語っていたような気がするcFQ2f7LRuLYP.icon
明治時代を代表する俳人で歌人の正岡子規は、西洋美術に由来する「写生」(つまりスケッチ)の概念を文学に適用し、俳句・短歌および文章の近代化を図った。子規が西洋美術の概念としての「写生」を知ったのは1894年(明治27年)、知人の画家・中村不折に教わってからである。「写生」を知った子規はこの年の秋、手帖と鉛筆を持って毎日のように戸外に出かけ写生による句を作り、この方法が文学においても有効であることを悟った。1897年(明治30年)、子規は自身のグループ「日本派」に属する俳人たちの句を論じた『明治二十九年の俳句界』で「写生」の語を意識的に用い、以後は生涯に亘って写生論を説いた。
写生 - Wikipedia
高浜虚子に受け継がれる
客観写生 - Wikipedia
「普通言語化されないが日々経験していることを詩的に記述する短歌」みたいなもの
或る特殊な注意・特殊な観察態度がなければ通り過ぎ・経験しそこねるような事象がある
無人なるエレベーターの開くとき誰のものでもない光あり〔小島なお〕
普通は、エレベーターに誰もいなかったとしてもそれを何事とも思わないだろう。「お、1人だラッキー」とかは思うかもしれないが
ましてエレベーター室内の光には注意が向かわない