要約についての考え方の変化
from 2024/04/09
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今までの考え方
テクストの中からいくつかのキーワードを取り出して、それらをうまく組み合わせることが「要約」作業である
最近の考え方
テクストについてのぼやけた像をある程度明瞭化した結果が「要約文」になるが、この明瞭化は殆ど無限に継続できる
その要約作業の終わりは、「こんなにぼやけてるのは許せん笑」という美的感覚の満足によって定まる。
すなわち、宿題として要約を作らなければならない場合、この方法は役に立たない。宿題としての要約は、すべての重要な要素がちゃんとピックアップされているかどうかを評価基準とするから。
愛が強い対象ほど、雑な「要約」は許しがたい。(おいおい、それで語り尽くせたと思えるんか?とイライラできる)
逆に、愛がない対象であれば、雑な「要約」でも許容できる。(それ以上に何かあるの?wみたいな態度をとれる)
本を繰り返し読むうちに、過去の自分の要約文が許せなくなってくる、といったことも起こりうる。なので、読みはじめのときの要約文は取っておいたほうがいいかもしれない
この認識の変化は、『勉強の哲学』を読むことによって起こった。特に、享楽的こだわりによる有限化について書かれた箇所の
2種類あるsta.icon
1 ピースの奴隷。すでに出てるピースを忠実に拾う・取捨選択する感じの要約
2 ピースは参考。すでに出てるピースは「参考」でしかない、使ってもいいし使わなくてもいいし、出てないピース(たとえばその場の思いつき)を使うことさえ良い
ダシにする感じとも言えるだろうか
とはいえピースを主に活用するのはTrue
そうじゃないと要約とは言えなくなる。なんていうか引用における主従関係と同じ構図が出てくる。好き勝手にするけど、(「要約」というからには)ピースが主であることは必要
ただまあ、こういう営みを要約と呼ぶのは抵抗がありそう、別の言葉がいい?
僕は「蒸留」が気に入っている
享楽的こだわりはこっちかなと思ってる