自由な意見と配慮に欠けた言葉を一緒にしないでください
一つ前の投稿で、コラボについての批判の声に
「
私は私の好きな方や尊敬してる方とコラボさせていただいています。
それに対してマイナスの意見を持つのも構いません。
ただ、ご本人達が見える場所に書き込んだり、
それに対してまた見える形でリアクションして賛同の声を上げてしまうような
想像力も優しさも配慮もない無神経な方々に私は作品を届けたいとは思いません
」
と毅然とした態度を表明していた。
昔から似たようなことが音楽界隈では発生しているSummer498.icon
Ado 以外のアーティストでも
可哀想とは
1. 弱い立場や逆境にあるものに対して同情し、何とか救ってやりたいと思うさま。
2. 同情やあわれをさそうさま。
これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概(いちがい)にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想(かわいそう)だ、不仕合(ふしあわせ)だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。(夏目漱石『坊っちゃん』1906年)
これを見ると、YYが可哀想というのは
「YY が弱い立場や逆境にあるものだ」あるいは
「YY は同情やあわれをさそう状態になっている」
また、「可哀想」と言っている発言者 S$ _{=\rm Speaker} が勝手に同情しているのを主語を YY にして語ることで自己投影している 本当に
弱い立場や逆境にあるか あるいは
同情やあわれをさそうか
は時と場合による
そして、それが本当であるかに関わらず S が勝手に YY に同情すれば S から「YY が可哀想」という発言が得られる
なぜこんな発言が出るか
XX に歌わせるなんて YY が可哀想というのは、
「XX に歌わせた せいで YY が弱い立場や逆境にあるものだ」あるいは
「XX に歌わせた せいで YY は同情やあわれをさそう状態になっている」
ということを意味するが、
これは発言者 S による勝手な同情であることは先にも述べている
ココで発信者 S が XX を嫌いだと仮定すると
「XX に歌わせた せいで YY が弱い立場や逆境にあるものだ」あるいは
「XX に歌わせた せいで YY は同情やあわれをさそう状態になっている」
という発言を S がすることは想像に難くない
ところで、これはホントに《中傷》か
まず、XX の印象を貶めている
先の引用に基づけば XX に歌わせるなんて YY が可哀想は
XX に歌われることで
YY が弱い立場や逆境にあるものだ あるいは
YY は同情やあわれをさそう状態になっている
つまり、
XX は YY を弱い立場や逆境に追いやっている
XX は YY を同情やあわれをさそう状態に追いやっている
ということを言っている
これは XX の印象を貶めている
YY が可哀想 が偽であれば、
XX に歌わせるなんて YY が可哀想も偽なので
印象悪い かつ 偽の主張 なので これは《中傷》に当たる
YY が可哀想 が偽であると考え得るので、これは《中傷》に当たると考え得る
ホントに
YY が弱い立場や逆境にあるもの あるいは YY は同情やあわれをさそう状態
なのかは調べるのがメンド……調査を要するのでこんな言い回しになる
ー議論ここまでー
感想戦
やっぱり《中傷》について考察する時点でどうしても自分が《中傷》してしまうなSummer498.icon
発言者 S の内心を勝手に推測して印象悪い事を言っている
内心を推測しているので偽である可能性がまぁまぁある
《中傷》か否かの判定の方には問題は少なそうだが
なぜこのような発言が出るかの推論の方で《中傷》している
基素.icon
自由な意見の中には配慮に欠けた発言があるという構造なので、もちろんその集合は同一ではない(そういう意味じゃない)