秩序 ―― 2026/04/08
nyarla.icon
昨日得た知見であるところの「自治厨するな」、なんでnyarla.iconはそう言う傾向が出るのかを考えていた 結論を言うと「自治と規範意識を求められる」場に普段は居る、と言うことが関連しそう
開発者コミュニティの場合、プロダクトオーナーが行動規範を制定し、参加者はそれを守るという暗黙の振る舞いがある これはプロダクトを開発する上で、本筋とは無関係の嫌がらせなどを防ぐために自然と行われている
この点について、昔はなあなあだったけど、近年では行動規範を制定することが当たり前になった
その上でこの振る舞いは井戸端に似つかわしくない、と言うのが昨日私に対して深掘りが発生した理由なのだと思う
書いてる途中にごめんだけど日記ページでの話ですnyarla.icon
もう少し正確に書くと、nyarla.iconのツリーの話
なんか関係なさそうなので消したSummer498.icon
あー!あれか!はるひ.iconさんとのやり取り。
そう、それです!nyarla.icon
あれは「井戸端に似つかわしくない」じゃなくて、「私が嫌だと思った。その私の感情を深堀りしよう(自己探求)」だと思う。Summer498.icon
なるほど?nyarla.icon
私はあの一連の流れで「あ、これはこの場では嫌がられることをやってしまったのだな」と解釈していた
「この場」というのは井戸端を指してます
事実nyarla.iconは場に秩序を求めがち
秩序がなければ機能しない場もあれば、秩序がなくても回っていく場もある
恐らく井戸端は後者
今のところそれで回っているが、いつ回らなくなってもおかしくはないtakker.icon
とはいえ今までそれで回って来ただけでも十分奇跡
秩序がないというのはその空間の秩序を認識できていないだけなのかもしれないSummer498.icon 首狩族の行為は無秩序で野蛮に映るかもしれないが、彼らは首狩りという行為で問題を村同士の争いにまで発展させないようにしている。 なるほど、確かにそうかもしれないnyarla.icon
「秩序がない」ではなく「自分が理解できる」秩序がない、と言うべき話なのかも
秩序を敷くという行為は歴史的には、西洋が侵略先の植民地の原住民に「文明化されていない」「秩序がない」と決めつけて現地人を "処刑" "教育" した行為と通じるものがある。Summer498.icon
ここのところは意識して頭を切り替えないとたぶんnyarla.iconは上手いこと行動を調整できないので、そこは直したい
なんか色々とツッコみを貰った影響で「私は西洋的価値観を無自覚に内面化しすぎていたのでは?」と言う感覚になってきた ここは中田考先生の著書か何かで言っていたような気がするな 確か「帝国の価値観から脱却するのには苦労した」とか言ってらっしゃった覚えがある
確かに無自覚に内面化された価値観を引き剥がすのは難しい、と言う話は「頭では」分かる
しかしでは「 頭では分かる」からと言って体得できているか、といえば、恐らく出来ていない
よって頭で理解できても体得できない限り脱却したとは言わないので、ここが最大の難所であるのだと思う
賤民や賤職だと(自分あるいは社会が)思っているものを実際に見に行けば良いと思うSummer498.icon
人によるかも。
私は見に行く時に「そんなに悪い人たちじゃないだろう」決めてかかりながら行ったので良い影響があった。
この「自治厨するな!」への対策、「nyarla.iconは○○が嫌だったのでwho.iconはそう言う振る舞いを止めて欲しい」
と「自分を主語にして」言うのが適切なんではないか?という考えに辿り付いた
で、相手をぼかしたい時は「nyarla.iconは○○が嫌なので、そういう行動は止めてほしい」ぐらいか
ここで言う「不徹底」は「自分を主語にする」という事への不徹底
あーでも、もっと単純に「nyarla.iconは○○という行動を見るのは嫌です。理由は××で〜」と続ける方が良さそう?
これだとnyarla.iconがどういう行動が嫌かだけの表明になるし、誰がを不用意に刺すことも無くなる
仮に名指しで言う場合には「nyarla.iconはwho.iconさんが取った行動は嫌です」と言った方がいいかな
この場合でもちゃんと理由を説明することを必須とすれば、ある程度は角が立たなさそう
他にも行動を止めたい場合は「who.iconさん、その○○は良くない」という感じが適切か
昨日Summer498.iconさんに対して取った行動が正にそれだった
あれは本当に嫌だったのでnyarla.iconが咄嗟に取った行動だったけど、井戸端では適切な行動だったのかも
あーでもこの考えをもう少し発展させると、
「nyarla.iconは○○という行動は良くないと思う」
ぐらいに留めておく方が良いのかも?
「who.iconさん、その○○は良くない」だとアイ・メッセージになっていないので「nyarla.iconは○○という行動は良くないと思う」の方がいいと感じるyosider.icon この辺りをまとめると、
誰かの行動を止めたい場合
「who.iconさん、その○○は良くない」
で止めて、誰かの行動をたしなめたり、誰かの行動を肯定しかねる場合では、
「××でみた○○という行動、nyarla.iconは良くないと思う」
で主張する方が穏当なのかもしれない
これ好きSummer498.icon
これと似たこと書いてたページを昔見たようなtakker.icon
だれかさがして~
秩序 ―― 2026/04/08
Summer498.icon
秩序と言えば、
秩序 A を理解したうえで、
秩序 A の問題点を認識して、
秩序 A を積極的に捨てた人は
秩序 A に属する人からは秩序を知らない蛮族と勘違いされる。
あったあった。
大陸部東南アジアにおいて、歴史的に低平地の人口集積地に基盤をおく、政府による支配が困難であった巨大な山塊を指す地理学用語。
イェール大学教授ジェイムズ・C・スコットは、2009年に公刊した単著"The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland Southeast Asia"(『ゾミア――脱国家の世界史』)において、ゾミアの概念を用いた。 スコットはそこに生きる複数の民族の文化が継続性を持つということが、近代を巡る従来の物語への異議申し立てであると議論した。
近代の物語とは、人々が一旦便利な近代技術と近代国家に触れてしまえば、いずれ同化するだろうという神話である。
ゾミアの部族はむしろ、近代そのものから意識して避難したのであって、もっと原始的で地域に根付いた経済の中で暮らすことを選んだ難民であると述べた。
谷あいの王国群から見れば、高地部族民は「生きているご先祖様」「水田耕作、仏教、文明を知る前の我らの姿」であった。しかし高地部族民は、谷間で行われている国家形成というプロジェクトの抑圧、つまり、奴隷化、徴兵、重税、傭役、伝染病、戦役といった抑圧から、2000年以上もの間、逃げ続けてきた避難民、マルーンコミュニティとして捉えた場合にこそ、もっともよく理解できるのである。 スコットは序文に続けて、ゾミアはそこに住む人々が国民国家に完全に吸収されていない、地球上で最大の地域であると述べる。
しかしながら、彼らが国民国家に吸収される日はいつか来るだろうと付け加えた。
ゾミアでは並外れて多様な言語が話されているが、平地で話されている言葉とは明確に区別できる。
ゾミアに住む人々と平地に住む人々は、親族構造によっても、少なくとも表向きは区別できる。
ゾミアの社会も「余剰」を生産する。しかしながらゾミアの社会はそれを王や僧侶をサポートするためには用いない。
社会的経済的な差異(地位や持てる富の違い)が不平等であることは、ゾミアも谷間の世界と同様である。
異なる点は、谷間の世界ではそれら社会的経済的な差異が持続しがちであるのに対し、ゾミアではそれらが固定的でなく、地理的に限定されていることである。
ゆる言語学ラジオでやってたやつだ、ゾミア回おもしろかったcaki.icon
あい。それで知った。Summer498.icon
この本は確か衝撃を持って受け止められたんだったかな
少なくともゾミア特集がある
翻って積極的に近代や国民国家から避難した人々を禄に理解せずに蛮族と決めてかかっていたからだろう。