無宗教とはなにか
のりしろ:カラマーゾフの兄弟におけるキリスト教についての話
この人達のいう神、自分のなかで一番近いのはおてんとさまだな〜となり、自分の信仰のベースを知る キリスト教に対する知識があるのと、ベースにキリスト教的世界観があるのは全然違うことなのだなと思う あなたはどういう宗教を信じていますか?Summer498.icon
という質問を適切な日本語にするなら「あなたが持っている常識にはどんな名前がついていますか?」となる
……と聞いたことがある
例えばこれに「無宗教です」と答えると「私には常識がありません」と言う感じのニュアンスになって、 とてもおもしろい、宗教ってつまり世界をどう捉えているかという話だと思っているので、たしかに無宗教というのがありえないというのはなんとなくわかるcak.icon
無宗教だという人たちは、既存のor名前のついたフレームワークに従って世界を捉えているわけではないということなのではないかと思っている
既存だが名前がついていないフレームワークに従って世界を捉えているけど、「宗教」を理解していないがために「無宗教です」と答えるケースが(日本人の場合は)多そうSummer498.icon
自分の信仰を吟味したうえで「無宗教です」という結論になっている人はどうなっているのだろうか?
既存のor名前のついたフレームワークに従って世界を捉えているわけではないというのがあり得るのだろうか?
神頼みをしたり初詣に行ったりお守りを買ったりして、超自然的存在をなんとなく信じている
悪いことをするとバチが当たるという考えも宗教的
相手からすると「いやいや何らかの常識はあるだろう。常識がないなんてことあり得るか?」と感じられる
すなわち文字通り「信じられない」「想像もつかない」「あり得ない」
この質問に適切に回答しようとするなら「仏教」とか「神道」といったものではなく、
「私の信じている事柄は日本において一般的に広く信じられている事柄です。
それは空気のように広がっており、
それ以外の事柄を信じている人と出会うことは日本においては基本的には珍しい。
このため、私が信じていることには名前がついておらず、もしも名前をつけろと言われたら、日本語をそのまま借りてイッパンジョーシキ(一般常識)と呼びます」
という感じだろうか