東の訂正可能性をユビキタス言語の危うさから勧める人
言葉の「定義」にこだわる人がIT系(とくにエンジニア)には多いと思います。定義というものを過大評価しすぎで摩擦が生じやすいんですよね。『訂正可能性の哲学』を読めば、定義というものの頼りなさと、そのかわりに何を実践の指針にすればいいかが分かるはず。おすすめ。 文系を軽視(あるいは馬鹿に)している理工系の人が残念ながら少なくないと思います。しかし、「定義とは何か」といった話は、つまり言語や思想の話は、文系の領域です。謙虚に学ぶべきだと思いますよ。エンジニアも言語を使って世界を理解し、モデリングし、プログラミングしているわけで、半分は「文系」職種といえます。
エリック・エヴァンスがドメイン駆動設計論で唱えた「ユビキタス言語」も危うい指針。「用語警察」の温床になりかねない。言語を無理に統一すべきでないコンテキストも多いのですから。その点で、同じ本のコンテキスト論にはなぜか言及が少ないのも気になります。サブジェクト・ドメインとコンテキストは表裏一体なのに。 補足:同じ本のコンテキスト論にはなぜか言及が少ないのも気になります。
→エンジニア諸氏の言及が少ないことが気になる。つまり、コンテキストの話にはあまり関心が持たれていないか、理解されていないのではないか。そういう懸念です。
オブジェクト指向設計論(ドメイン駆動設計論)における「コンテキスト境界」の問題は、『訂正可能性の哲学』でいうところの「家族的類似性と訂正可能性によって開かれた共同体」の問題と同じ構造をしているんじゃないかという着想。 定義の危うさについて肌で感じたい時は生物の定義についての議論を探せばよいと思うSummer498.icon
100以上の定義が試みられていたはず(そんなに思いつくものなのだろうか)