有標と無標と体制
久住哲.icon
なにか体制を作るなら、有標にしたときのコストがあまりかからないようにしたいなあ、など
依頼はハードル高いが
問題報告はそれよりハードル低い
事実報告はさらにハードル低い
誰かの心理的コストを下げると、誰かがそのコストを負うことになりそう。けど、いわば負荷耐性、みたいなものには個人差がある。負荷耐性ある人(鈍感だったり好きだったり)が更なる有標化を担うってのはありかな。
自分の気持ちを述べるのに大きな心理的障壁を覚える人もいれば、自分の気持ちを抑えておくのが苦手な人もいる。
単純作業に耐えられない人もいる。逆に単純作業が大好きな人もいる。
無標なままにする人(曖昧なままにして実質的にコストを押しつけてくる人など)と戦う必要がある。戦うのは嫌だな。