学校文法は難しいのか難しくないのか
from 2026/03/03
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何かセンスが欠けているのか、性質として向いていないような気がする
日本人が日本人に教える義務教育課程の学校文法と、外国人が日本語を習得するための国語の文法解説はまったく異なったものであるらしい。たぶん当時の自分が求めていたものは後者の方だったのではないか。もし触れさせられたのが後者の方であったなら、その存在意義にすぐさま得心が行ったのではないか
逆にあまり難しくなかったのだが、何が違うのだろうかSummer498.icon
学校文法って(国際的な水準の)言語学の視点から見るとあんまり成熟していないんだよなぁとボコボコに批判しておいて、ムズくはなかったんかい(セルフツッコミ)。
ちゃんと考えると矛盾がいっぱいあるから難しいはずなんだけど、なんで難しく感じなかったのだろう
文節(国文法)に分離する作業を直感的にできるSummer498.icon
ネとかサとか挿入して音読すればいいだけだから。
単語に分離する作業を簡単にできるSummer498.icon
文節は自立語ー付属語でできているので、その境界を見ることになるが、単体で意味を表せるものと、単体では意味不明なものに分ければいい。
活用形は活用型自体をそらんじることをしなかったがSummer498.icon
活用型に続く代表的な助動詞から活用形を復元するのは簡単にできた。
行かない。行きます。行くぜ。行く人。行けば。行け。
学校では何も気にしていなかったが、活用に関する学校文法の理論はところどころ誤っている
誤っているという表現は語弊があって、正確には概念の切り分け方や整理の仕方が成熟していないというだけなんだけど。
まあ、どう表現してもボコしてるのには変わりないか。
「う」が「未然形に接続する助動詞」に分類されているが、実際は「う」に接続するためだけの活用形があったり、
上一段・下一段活用の連用形から「ない」(未然形に接続する付属語)に接続したり、
終止形と連体形の区別が実質的になかったり、
かといって完全にないわけではなく、形容動詞でだけ違いがあったり
綺麗だ。綺麗なもの。
その形容動詞自体が形容詞と分ける必要があるのかという疑問が生じたり
→ 活用と付属語で散々見た
これだけ文句を付けられる上で特に苦手意識を持たなかったということは、良い回答に見える勘所は押さえられていたのだろう。
それぞれのエピソードに対して、いやそれはムズいよとツッコミがあれば所謂センスの部分がわかりやすくなる