存在しない悪意は見出してよい
日々の生活の中で他者とうまくやっていくための警句として、という文脈と切り離して、このフレーズが一人歩きすることに統治性への懸念を感じる 意図の有無に関わらず構造的暴力に対して「存在しない悪意」を見出してきたからこそ、現在の(かつてより幾分マシな)公正な社会があるのだと考える
例えば
家父長制に対するフェミニズム
未開と呼称された社会への野生の思考
脱構築がターゲットとした二項対立の〈声〉の側
上のような大文字の歴史のことでなくとも、例えばマイクロアグレッションなどを指摘しようとしたときに、「——てしまう」と(存在しない)悪意を見出した側が「悪い」ことであるかのような規範は、発話者の口を封じることへつながるんでなかろうか。
たしかに、マイクロアグレッションをした側が指摘されたときに「そういう意図はなかった」と説明することはしばしばありそうnishio.icon