否定的なテキストとの付き合い方
否定的な感想の場合Summer498.icon
否定的な感想を書くのは肯定的な感想を書くよりも簡単だ
まず、良いもので溢れかえっている現在において、悪い点を述べることは簡単なことだ
周りにあふれる良いものとの違いを述べて、「XXがない!」と言えばよい
一方で、良いものを褒めるのは難しい
良いものがどう良いのかを具体的に褒めるには、その良いものが属するジャンルのあらゆるものと比較したと言える程度の標本が自分の頭の中にあること、また、その良さを表現する語彙が要請される
このため、褒めたいけど褒め方がわからないということが発生する
その時に手っ取り早く褒める対象を上げようとして、何かを比較対象にして下げることで相対的に褒める対象を上げようとする人がいる。
この場合も比較対象にして下げる方が鼻について否定的な感想だなぁという印象を受ける
逆に、先程その良いものが属するジャンルのあらゆるものと比較したと言える程度の標本が自分の頭の中にあることを要請したのは、
あらゆるものと比較して自信を持って具体的にどういう良い性質があるのかが言えるのならば、比較対象を用意せずとも良い性質を述べるだけで褒められるためだ。
以上のようなことを考えて、否定的な感想を見た時は「これを書いた人は肯定的な感想を書けるように精進したほうがいいなぁ」と思うようになった。
ギャグマンガが好きでよく読んでいたのが肯定的な感想を書く練習になっていたかもしれないイタロー.icon
ギャグマンガはこちらにそれを許容できる余地があるかどうかの勝負なので
許容しつつツッコむ力も必要なのだけれど
ポプテピピックに対して如何に優れた感想文を書けるかSummer498.icon 逆に悪い付き合い方
否定的なテキストを書いた人の人格を否定したり、理解を拒絶したりすることSummer498.icon
その時その瞬間は良いが、
次に同じものに出会ったときに、またそうするのかい?
その次は?
それで、人生で何回それを繰返すんだい?
Summer498.iconの場合はそれだと見るたびにクッソ疲れるし、問題が本質的に解決してないからこれは止めたほうがいいなと思った。
理解しないのは本当にその通りだと思うイタロー.icon
理解しすぎて、その意見に過剰に引きずられるのもアレだが
それは理解しているのか、あるいは、単に鵜呑しているような気もするSummer498.icon