侮辱らしき言葉を受けた側だけが反省の弁を述べている今の状況は大変歪なものに、自分には映っている。
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侮辱らしき言葉を受けた側だけが反省の弁を述べている今の状況は大変歪なものに、自分には映っている。 自分の認識が歪んでいるからそう見える可能性は排除できない。でも、そう映っている。
合ってると思いますSummer498.icon
たとえ仮に相手側が社会的によい/規範的/適応的と、今現代のこの場所において認識されるような振る舞いへと変更がなされたとしても、自己の不安や困惑といった心情の提示、自身の理路補強のための確認なき解釈や問いかけ、ましてや侮辱の繰り返しのみによって、他者に対してその行動変容を促すことは、まったくもって正統ではなく、とうてい容認し難い。結果や結論が仮に正当であったのだとしても、です(大事なことなので2回書いた)。このようなことが続くことは、不誠実であるという次元ではなく、市民としての資格の放棄ではないのか。 対等性が回復しないのならば(少なくとも保留されているうちは)、当該テーマに対して、意見を述べることも、(それはたとえ侮辱の相手でないにせよ)他者に意見を聞くことも、許される状況はそう多くないのではないか。
この状況でどうして議論の中身について話し続けられるのか率直に言って理解できない。
健全な主体は、たとえ実際にはそうでなかったとしても「私のことかもしれない」と内省する。
こういう内省を持ち続けるのが大事だと最近特に強く思うcaki.icon
自分も例外ではない。上で書いたことはもしかしたらそのまま自分に返ってくるかもしれないだろう。
それでも表明せずにはいられなかった。まだまだやね。