ラジオ番組で伊藤亜紗ゲスト回を聞きながらメモ
2025/4/27までエリアが首都圏ならradikoで無料で聞ける
GROWING REED | J-WAVE | 2025/04/13/日 24:00-25:00
from 2025/04/13
24:00からのJ-WAVEの岡田准一の番組で、伊藤亜紗がゲストなので以下に話されていることをリアルタイムにメモしながら耳を傾けるterang.icon
伊藤先生は美学が専門
美学は感性を扱う
感性はずっと馬鹿にされている
岡田:美学って美術?
哲学から見たときに曖昧にしちゃうやついい加減にしちゃうやつみたいに思われているが、十八世紀半ばくらいに感性は感性として考えましょう、というふうになった。直感的かもしれないが、いいよねと判断する力が人間にはある。そういうものを研究しよう。曖昧なものを言葉で分析する、言葉で分析するとよりわかったりする。そういう学問が美学。
その中で芸術も対象として扱う。よく出てくる。
基本、体の研究者と思っている
いろんな体の違い、人によって体が違うよね、みたいなことを分析してみたり。体を軸にいろんなことと確認しながら実験している
体と感覚ってどうなってるの?今
ようは頭で考えることよりも体でやっていることの方が面白いんじゃない?ということ
感性はまさにそうだが、美しいって思っているその思いはすごいはっきりしているのに、なんで美しいと思うの?って聞かれるとちょっとよくわからない。説明ができない。
人間の知性だとそう思った理由はちゃんと言える。目の前に昆虫がいてこれは蝶々だと思った。なんでかといえば「足が六本あるから」みたいに言える。でも感性はなぜか言えない。その部分が面白い。面白さがあるんじゃないか
身体と感性の関係は曖昧ではあるが、両方とも知性を超えるというか、よくわからないけどやっていること、そういうことに自分は興味がある
伊藤さんって見えないことに注目されているの?
みんなと違うところを見たい、なんか逆張り体質がある気がする
岡田:体ってどういうふうにとらえているの?見えないものが注目されている時代になると個人的には思っている。体のことも教わってきてないから知らなすぎる。可能性を秘めていると思うが使いこなせていない。勝手に歩けるようになっちゃったし。自然に立つとか歩くとかできてきたけど、本当にうまく立つって何?使ってない神経とか使ってない筋肉とかある。そこらへんの話を聞きたい。
障害を持っている方とかの話を聞くと、もう1回話を作り直すみたいなところがある。片足を事故で亡くした人。それまでの体は両足がある前提で動かしていた。でも片足がないOSになったときに、前に使っていたアプリが使えなくなる。それまでできていなかったことをなぜできるようになったのか。
体で何が起きている?これが近著『体はゆく』の内容
一般的には脳が体に命令を出して体が動いていると思われている。
普通はそれでいい。
立とうと思ったら立つ。
でもこの考え方で行くと、「できなかったことができるようになる」ってことが起こらないことになる。
どういうことかというと、脳からするとできないことは想像がつかないのでできないし、体からするとちゃんと命令出してくださいとなるのでできない
だから体が、脳からの命令じゃないところで、なんかできちゃう、ということが起こる。それを反復訓練することで安定して脳から命令を出せるようになる、ということが起きる。
できないができるになる契機がこの辺りあると思われる。
実際できないことって、いざできると、意外とこんなことか!簡単なことか!となる。
運動とかピアノとかそう。体が覚える。指が覚える。これは脳で覚えているのか?
実際は脳が学習をしていると思われるが、本人としては命令した覚えもないほど体が自然と覚えるのではないか。
ピアノを早く打鍵するときの研究では、早く打鍵することができるグローブをつけてピアノを弾くと、体が初めて「早く打鍵する」ということを覚える。これを繰り返すと、そのグローブを外しても、できるようになる。
なんかそう言えば最近どこかで聞いたな、このニュースterang.icon
そもそも、「できる=優れている、ってことではない」と新刊に書いてあるけどどういう意味?
できるって能力主義。誰々さんよりできる、一定の基準をクリアしたと思われがち。でもそれだと体とうまく向き合えないのではないか、と思っている。競争して上を目指すような「できる」ではなくて、ちゃんと「できる」とはなんなのか?と向き合ってみたのが今回の新刊。
たとえばAIは基本的に言語的にはわかる。言語的な思考をベースに作られている。でも人間がものを考えるときに、体を使って考える。たとえば重力とは?は体でしか理解していない。自分もAI好きでめっちゃ使っているが、そういうこととの比較で見たときに、体が理解していることがこれから大事になってくるだろうし、その辺が人間に残された可能性なんじゃないかな、とか思ったりする。
『見えないスポーツ図鑑』という本、視覚障害者のスポーツの話題
よくあるのは言葉による実況中継。ラジオとか。視覚情報がなくても臨場感がつわたるような言葉での説明。
それはそれでいいのだけど、どうしてもそれだと伝わりにくい部分や、遅れちゃう部分が出てくる。シュートが入っても、入ってから「入りました!」と実況されてもなんか乗れない、みたいな。
なので触覚に頼る観戦を考えようと思った。
観戦って観るって字が入っているけど、そもそもスポーツって目だけでやってるものだっけ?となった。たとえばサッカーならボールとの触れ具合とかある。
視覚じゃない情報に注目して観戦できないか?ということを考えた。
たとえばフェンシング。フェンシングを触覚で翻訳する。
100均とかで売っているアルファベットのパーツ。HとG。
これを知恵の輪のように組み合わせて、2人の人がH担当とG担当で持って、片方の人は知恵の輪を外そうとする、もう一人は外されまいとする。
見た目は全然フェンシングっぽくない。
でもそれをやると結構フェンシングっぽいと、フェンシングのオリンピック選手がいう。手首を使って、知恵の輪を外そうとする、外されまいとする。
フェンシングをやったことない人も、これをやるとフェンシングってこういう競技なのね、と思える。
こういうことをフェンシングの他にも12種類くらいのスポーツに対してやった。
一番最初にやったのは柔道。
タオルとか手拭いで翻訳した。
もちろん一つ一つの細かな技を翻訳はできないが、選手間のダイナミズムとかは伝わる。実際の柔道の試合を見てなくても、そのタオルを手で触れていると、実際にどっちが優勢かがわかる。
なんだか黙談 -Silentalk-みたいだterang.icon*3
人間関係は目を合わせるとか視覚で語られがちだが触覚的な人間関係ってあるんじゃないかな、と思っている。
岡田:気功師とかの髪が長いのが触覚が敏感だから、という話を聞いた。それでいくと、侍のちょんまげとかも実は触覚を通して敏感になろうとしていたんじゃないか、みたいな。
目に頼る、ビジュアルイフェクト優勢の時代だが、世界の見え方はたぶんいろいろあって、障害を持っている方々なんかはまさに違う見方で世界を見ていると思う。
たとえば、歩いていて十字路に差し掛かると、風の流れが変わったのを感じて十字路に来たことがわかるらしいのだけど、コロナ禍でマスクをつけているとそれがわからなくなってよく道に迷うようになったという視覚障害者の話があった。
一時期、鈍感力とか流行ってけど、敏感であることに戻ってきているのかもしれない
おもろすぎはるひ.icon
ねー。おもろいっすterang.icon
意識できているということは、コントロールできているということ。
武術とか一般の人が昔に比べて知らなくなった。アスリートのものになった。鈍感でいないと生きれない感じ。
建築とかも今しっかりしている。昔と比べると。
たとえば、自分の後ろの壁の向こう側に誰がいるか?は日々ほとんど考えない。
でも昔の人で昔の建築、障子とかだと常に意識していたと思う。それを意識していないと生命が脅かされた。
隣の部屋だけじゃなくて、もっと先の先の遠くに対して研ぎ澄まされていたんじゃないか。
壁の材質が違うとか風が通るとか。
山で狩りをしている方とかは、毎日同じ場所に行くと、何かが違うと感じたりするらしい
おかれた環境で研ぎ澄ましていく、アンテナを広げて気にしているか。敏感にすると生きにくかったりもする。満員電車乗れなくなっちゃったりする。繊細すぎてもよくないし、鈍感でもいなきゃいけないし。
岡田:伊藤さんはこっから先、どうしていくんですか?
大学で最近利他の研究をしばらくしていた。この利他の研究と、先ほどの『見えないスポーツ図鑑』とを組み合わせたような研究を今後はやっていきたい。これが目に見えないと繋がる。山が手入れされていない問題が最近取り沙汰される。山火事とかもあるし。それを身体のアプローチからできないかと考えている。
川に注目
川は山から都会に向かって流れている。水道の蛇口を捻ると当たり前に水が出てくる。
ということは自分が水を使っているときに、山が手入れされているかどうかということを、本当はつながっているはずなんだけど、意識されていない。
とある地域にダムがあって山がある。その地域と関わらせてもらっている。
山に関わる人たち、さまざまな人がいる。
林業の方、ダムを管理している方、行政の方、純粋に自然科学的に森林に興味がある人。
みんな違う視点から山を見ている。
そういう山の見方を、さっきの『見えないスポーツ図鑑』的に翻訳して、ああ林業の人はこうやって山を見ているのだな、というのがわかる装置を作る。
それを下流の人が体験する。
山に普段行かない人がパッと山に行っても山がわからない。
でも林業の人が山をどう見ているか?をわかることができるようなツールを作って、さらにそれを組み合わせたゲームみたいなものを作ることで、複数の専門家の視点から見た山を感じられたり、その山を今後どうしていったらいいかをディスカッションできるようなツールを作ろうと思っている。
山を意識しない人が、山と意識が繋がるような当事者性を持てるような研究を今後はやっていきたいと思っている。
すごいこと考えるなあterang.icon
(番組終了)
久々にtsudaるしたterang.icon
いやあ伊藤亜紗の話、絶対オモロいやろと思ってメモり始めたが予想以上にオモロだった