ほくそ笑む
外に干した洗濯物がカラカラに乾いてくれて嬉しい
嬉しいというよりは意図した結果になって満足感を感じた、ということかも
日本語にはこういう時に使える「ほくそ笑む」というピッタリ(?)な表現がありますね 悪事が上手くいったときに使うイメージもありますが... 一説に、「ほくそ」は「北叟」が転じたもの。北叟とは、「塞翁が馬」の塞翁のことで、その塞翁が嬉しい時も心配する時も少し笑ったということから。 その塞翁が嬉しい時も心配する時も少し笑ったという記述が気になったので、実際の用例だとどうなっているのか調べるcFQ2f7LRuLYP.icon
https://gyazo.com/1182f1fd5e566afe2a0219cef9e873c6https://gyazo.com/30f896760cb2e0ac58a55ae186e67e97
大事な「賢きつよき馬」がいなくなっても「別に悔しくないです」といって歎いてない
聞きわたる人、いかばかり歎くらんとて、とぶらひければ「悔しからず」とばかりいひて、つゆもなげかざりけり。
その馬が似たような馬を引き連れて戻ってきても「喜ばしくないです」といって気色に出ない
かゝれども、又「喜ばしからず」といひて、これをもおどろくけしきなくて、
古今著聞集(1254頃一旦成立)でもほぼ同一の文章であるようだ 塞翁が嬉しい時も心配する時も少し笑ったどころか、全く笑っていない
壒嚢鈔 (正保三年(1646)に出版)巻二、三五「少しえむを、ほくそわらいと云は何事ぞ」 https://gyazo.com/d9e91cb79f2c86bbcba34bf2ec73ed54https://gyazo.com/6280999fe249f0057951195cedd415f8
北叟が笑を、ほくそ咲と云成せる也。喩へば昔唐の世に一りの老翁あり。王城の北に居する故に、是を北叟と云ふ。塞翁が事なるべし。此翁は世間の無常を観じて、君に仕て名利を貪る心もなく、私を願て財宝を貯る思もなし。歎く可き事にも少し笑ひ、喜ぶ可きことにも少し咲ふ。是悦も憂へも、皆萬事夂(おえ)ず。皆夢なる理りを、能知て、一切の事に少しわらふ也。是を俗語に、ほくそわらいと云なるべし。 夂はふゆがしら/すいにょう。「終」の古字であるらしい
妻鏡(13世紀末ごろ、無住著)にもほぼ同内容の記載があった https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_e0894/bunko31_e0894_0005/bunko31_e0894_0005_p0004.jpg
北叟顔 俚俗、喜慍面色に止まらざる者を爾云ふ。蓋し事を塞翁に取れり。
「俚俗の言葉で、喜怒が顔色にとどまらない者をこう言う。思うに塞翁の逸話を元にしているのだろう」 俚俗は「田舎びている」とか「いやしい」「鄙俗」を指す
相中俳優のわたり台詞もしくは侍女の言葉なんどは頗る俚俗なる言葉にして(小説神髄〔1885~86〕〈坪内逍遙〉)
面白いcFQ2f7LRuLYP.icon
妻鏡の系統(どんな時も少し笑う)と沙石集・古今著聞集の系統(全然動じない)の2つが見られる点
諸本間での差異を見ていくともっと興味深いこともでるかもしれない
現代の思い通りに事が進み、しめしめと一人で笑う。と少し離れている 昔だと笑いと利害とが関係なかったのに、現代だと利益と結びついている