『禁色』を読んでいる
from 2024/03/02
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三島の本は、頻繁に「贋物」テーマにしている。この世の全てが贋物だと気付いてしまった人間が、どう生きるべきか、というテーマ。たぶん重要なのは、じゃあ何が本物なのか、正しいのか、というところではなくて、贋物が贋物ではない何かになれるのか、少なくとも到達できないにしろ目指さなくてはならないんじゃないか、という面白い視点と実践で作られている点じゃないだろうか。もちろん失敗するのだが、そこが重要なのではない。そもそも全て贋物なのだから。変に希望を語るよりかは、わりと前向き。このへんの観点を忘れちゃもったいない気もする。それにしても文体がコミックだ。
『命売ります』は内容もコミカル(コメディ気味?)で「こんなの書く人なんだ」とびっくりした思い出cFQ2f7LRuLYP.icon
三島の作品は掲載雑誌の違いなどで大きく分けて純文学系・エンタメ系があると言われてるようですが、純文学系?でもわりと喜劇要素多いイメージあります、『美しい星』とかドSFだし、短編にも奇想な話が少なくない印象イタロー.icon
新潮文庫の新版『金閣寺』の恩田陸によるあとがきに、「三島の小説は書き割り的だ」という指摘があって、たしかになんでだろうと頭に残っていたけど、『創造性はどこからやってくるか』の中で(ページ忘れたp54~)、日本画では書き割りは認識可能な限界を表し、(それによって向こう側の到達不可能な外部をほのめかすためでもあるかのように)あえて平面的に書かれているということが言及されていて、日本画家の中村恭子氏の「書割少女」などが紹介されている。このへんを読んで、個人的に「つながったな」と思った。到達不可能な外部への志向が、書き割り的表現につながっていた、あるいは相性がよかったんじゃないか。さらにこのへんがLes yeux clos: 大江健三郎と三島由紀夫の文体をめぐるメモとも関連して、理解が進んだ希ガスる
この三島の認識を進めると、死生観や行動哲学にもつながっていくのだろう。つまり到達不可能なものを目指しながら畳の上で死ぬのはどうなのか、という問題。苛烈だナア……(当方老子主義)