『創造性はどこからやってくるか』には、一か所だけほのめかすようにニーチェの名が出てくる
『創造性はどこからやってくるか』には、一か所だけほのめかすようにニーチェの名が出てくるイタロー.icon
読んで思うのは、彼が見ていたのは単なるキリスト教批判の先だったんじゃないかということ
ダンテやプラトンのような独断的な人間たちは、私には最も縁遠く、そしておそらくはそのために最も魅惑的である。彼らは、きちんと組み立てられ、かつ確信された、認識の家に住んでいるのだ。一方の者はおのれ自身の家に、他方の者はキリスト教的・教父神学的な家に。――ニーチェ『生成の無垢』 ダンテに言及してた、タイプが違うけど認めてたのね
綺麗な音楽
ワーグナーとニーチェの対立のように、複雑で根深い対立は、どちらが妥当かとか正しいとか判断する/できるものではなさそうだ、つまり、どちらかの側につく、という解決が有効ではないんではないかと思う
彼の多くの和音には何か快適な抵抗感があるが、それは、複雑な錠前を鍵で開けるときのそれと同じである――『生成の無垢』上巻、236
うまい言い方
だいたいにおいてヴァーグナーは法則にかなっており律動的であるが、細部においてはしばしば強暴で非律動的。同上、234
大きな律動的楽段が中絶して、拍節的楽句が残るということは、海洋のごとき無限性という印象を与えることは言うまでもない。しかしそれは一つの芸術手段であって、ヴァーグナーを特徴づけうるような本式の法則ではない。私たちはまずもってそうした法則を得ようと努め、楽段を探し求めるが、繰り返し裏切られ、こうして結局人々は海中に身を投ずる。235
そういえばドビュッシーはワーグナーに影響を受けていた記憶