「なんか……」の言語化
from 2024/03/21
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「なんか……」の言語化
発言の違和感とかは、分析する方向で話を進めていくと、「あ、なるほどね、発言Aと発言Bが矛盾してるって思ったから違和感を感じたんだ」と原因が分かることがある。
無人のエレベーター(あるいは、エレベーターのドアが開いたときに中に誰もおらず、しかもやけにエレベーター室内が明るく感じられたという体験)に対する「なんか……」は、それについて分析してみようと思うどころか、それ自体を感じることすら自分にはできない。が、この短歌に多少の「共感」を覚えるということは、感じうるポテンシャルは持っているはずだ。(制約はかかっているが、全くセンスが無いわけではないはずだ。)
人といて話に夢中になっている、スマホを見ている、焦っている(環境への反応でいっぱいいっぱいになっている)という状態だと、「なんか……」という自分のフィーリングに気づくこともできないし、ましてや、それを分析する準備すらできない。(例えば、メモ帳を開いて、「なんかエレベーターが怖かった」と書き留めておく とかもできない。)
余裕は大事sta.icon
「なんか……」というフィーリングの捏造はおそらくできない
→ この事情は素材狩りをする理由になる
車を運転していて、「なんか変だな」と思い、タイヤを見るとネジが緩んでいたりとかはある。あるいは、「おいおい、ネジ緩んでるなあ?」とか「うわパンクだ」とか直接分かることもあるだろう。その後、「タイヤ見たらパンクしてたんだよ」などと、それを出来事として話したくなることもあるだろう。
類推。エレベーターが開いて「なんか……」と思い、それを観察した結果、〈それ〉の原因が光だと分かることがあるかもしれない。そのとき、それを話したくなったとき、「光がさ、なんかさ、あれだったんだよ」と言っても、何も伝わらないだろう。そこでポエムが要請される。
タイヤの場合、その話を聞かせた相手が「だから何?」と言ってきたら、「違和感あったら確認したほうがいいってこと!」と教訓にできる。そういうことは繰り返され、かつ、同じやり方で対処できる。一方、詩の場合、「だから何?」と言われて、教訓を述べることはできないだろう。また、対処も何もない。