知識は隠されてると思う
インターネットやスマホでどこでも多くの知識が得られるようになったけど、適切な人に適切なタイミングで届いているのかというと難しい。
10代のときに、これからどうやって生きていったらいいんだろうかと強く悩んだことがあって
じゃあこういう問題や疑問に直面したときにどう対処していくのが無難なのかを知る方法が全然分からなかった。今も分かってるとは言えないとはいえ、マシな対処ができてるようには思う。
「どう生きていったらいいか。」と疑問に思ったら
”生きていく"の内容は何か。職業か、社会的地位か、交友関係か、価値観か、住む場所か、信仰か、それらの組み合わせか
その疑問を持った動機は何か。体調が悪いからか、人間関係に悩んでいるからか、思春期特有の一過性のものか、自分の本性から出てきた重要なテーマなのか
どうすれば解決すると考えられるか。友人がいればいいのか、社会からの責任から離れればいいのか、認めてくれる共同体があればいいのか、お金があればいいか、哲学や宗教を本格的に学ぶ必要があるのか
具体的にどのような生き方があるのか。そのどれがよいと思うか
この問題の解決に役立ちそうな情報はどうやったら手に入るか
あたりのことを考えるのがおそらく無難なんだろうと思う
じゃあ当時の自分が何をしていたかというと、「どう生きていったらいいんだろう」という言葉と漠然とした不安感で頭が満たされたままフラフラしていただけだった
こういう、何というのか、問題に適切に対処する方法、無難に考える方法みたいなのを誰も教えてくれなかった感じがしている。もしこれを見て考え方の筋が悪いと思ったら未だに自分には隠されてるんだろうなと思う
たぶん、当時人と交流を持たなかったのも原因な気がしている。あまり整理できていないのだけど、知識はテキストというより、共同体や人間関係の中に閉じていてそこにアクセスできない人間には隠されているものだと感じている。
塾講師をしていた時、高校三年の男の子の勉強計画を見たことがあった。彼が言うには「本番までこの文法書の問題を毎日30個解こうと思います。」とのことで、残り日数を元に計算してみるとその文法書を20周くらいする予定になる。
理論上の値で、実際は3周くらいしたらざっと見返す程度に移行するのかと思っていたらそうではないらしい。
このときは自分が言って修正したけど、こういう分かってる人には当たり前のようなことを一体誰が伝えてくれるのだろうと思うことがある。
人との交流を避けてしまうと、わざわざ言わなくても分かってるようなことに関する知識がごっそり抜けてしまう
わんど.icon
自分の、
わんど.iconわんどの問い
子供に教えるべきことはなにか
経験や学習によって変わるものはなにか、変わらないものは何か
人は大人になると何が変わるのか
学校で教えないけど知っておいた方がいい知識とは
この辺りを答えられる大人になりたい。
というのと近そう。
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会社に入ってからならいくらでも得られる情報なのに、
それがわからないせいで見当外れなことをしてしまったり苦労する。
新卒に混ざって過ごした後、
記憶を持ったまま時間を戻して就活生になれば、
少なくともその会社の面接では苦労しないと思うんですよね
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苦労しないのか、やっぱり大変なのか気になる。