フリーランスは自由なのか
受託だけだと自由じゃないのでは
わんど「半分受託+半分自社開発」
キャッシュエンジン
そもそも自由の定義を決めたくて、僕にとっての自由とは「自分の意志にのみ縛られる事」
なので、受託自体が自由というよりも、フラーランスで働きたいという純度100%の意思決定をしている時点で自由になる。
という、暴論をぶつけてみる
このままだとただの頭おかしい人になっちゃうので、「自分の意志にのみ縛られる事」を自由の定義にした経緯を話しゅ。
ちょうど1年前、仕事0貯金0(むしろ借金あった)でサイバー辞めて起業しちゃったので
一旦金稼ごうと思い、2ヶ月で1000万円作ってみた。
別に好きな仕事でもなかったので
「あれ?一旦仕事しなくてよくね?」と感じ
鎌倉に拠点を移し、全国プラプラする生活を半年間過ごしていた。
最初の1ヶ月は何にも縛られない生活が快適だったんだけど、ある日こう感じたんですねえ。
「なんか仕事してえ」
「なんかアウトプットしてえ」
「お金稼ぐのも大事だけど、自分自身を100%で表現してえ」
「何にも縛られない生活、めっちゃ辛え」
と。
よくみんな自由になりたいとか言うけど
自由ってめちゃくちゃ孤独で辛い。
何にも縛られない生活って、まじで暇だし、楽しいの最初だけだし、クソつまらん。
この上級ニート期間、コーチングを受けながら、自分はなんのために生まれてきたのか
何を求めてるのか自分の心と対話してたんですよね。
すると、真理を見つけるまでは辛いのですが、去年の12月くらいから明確になったんですよ、
つまり、自分と社会との関係性、解像度が高まった。
「可能性をぶちあげる」(ジールスみたいでごめんなさい)
という人生でブレることのない信念が見つかったんですね。
この人生を、自分含め誰かの可能性をぶち上げるために使うんだって。
(そう思った経緯は省略します)
ある種、この時点から僕は「自分の信念にのみ従う」生活に移行され
これこそが本当の自由だと感じたんですね。
今やってる事業も教育系で、「誰かの可能性をぶち上げてる」
もう仕事してるその瞬間が信念に沿っているで、楽しくて、自由を感じるんですよ。
「自由になりたいだと?お前自由ってめっちゃ辛いよ?覚悟できてる?孤独だぜ?
自分と向き合って、誰でもなく自分の人生を考え抜く勇気あんの?」
って主張してる本なのですが
ヒトラー政権ができる前、ヨーロッパは絶対王政から民主制に移行され
「何かに縛られる生活」から「自由に仕事も生き方も選べる生活」に変わったんですね。
すると世界恐慌が重なったこともあり、国民は仕事がなくなり、貧困に陥っていくんですよ。
すると、国民は気づくんです。
「あれ?自由って意外と楽じゃねえし、辛いなと、誰かに縛られる人生の方が簡単じゃん」ってね。
そこで出てきたのがヒトラー様
「私があなたたちの仕事も人生も保証します!!!!」
それで自由から逃走した国民たちによって作られたのが、ヒトラー政権であり、ナチスであるのです。
要は、人って漠然と自由に憧れてますけど、自由と孤独はセットになるので
その孤独と向き合って自分の軸を定め、社会と関係を創っていくという行為を
多くの人にとっては、できないし辛いんですよね。
「明日からあなたは自由です、何しても良いので、自分で稼いでください」
ってなると多くの人にとっては大変辛いことになるでしょう。
だったら、自由あるいは自由に付随される孤独から逃げて
誰かが決めたルールに縛られるのが多くの人にとっては楽なんです。
ただ、ほんの一部の人が自由に付随される孤独とうまく付き合えるんです。
その付き合い方とは、人を愛することと、創造的仕事と言われていて
生憎前者については3ヶ月以上異性と交際続いたことない僕にはわからないですが
後者についてはなるほどなと思うことがある。
自分という人間から溢れる想いを形にして、社会に価値を提供していく。
ある種「自分の信念」にしばれれて生きていくということ。
この行為こそが、何かと繋がってる感じを得られるし、孤独を癒してくれてるなあと。
めっちゃ話逸れましたが
そんな理由で自由とは「自分の意志にのみ縛られること」だと思ってます。
孤独と向き合い、絶望し、自分自身を見つけ、それを社会にぶつける。
自分の生き方を定義する、その意志を貫き続ける、それのみに縛られる。
それが本当の自由です。
何にも縛られない生活は、自由なんかじゃありません。ただの苦痛です。
「自分の意志にのみ縛られる事」=「自由」
の定義面白い。
世の人が求めているのは、純度100%の自由じゃなくて、適度に縛られた中の自分の自由感なのかもしれない。
ちなみに、私は「会社員+個人活動」という生き方に非常に「自由」を実感して生きています。
会社に縛られる、という感覚より、会社の期待値と自分の期待値を調整して、自分がやりたいようにやっている感覚があるからですかね。
会社 = 会社のネームバリュー, 組織内の調整能力, 社会との調整能力
フリーランス = 自分の名前のネームバリュー, 社会との調整能力
会社の場合、社会との接点の前に、会社内の組織調整が必要で、それが苦手な人は独立したいと想い、それが得意な人は会社の方が相性がいいのかなと (私は得意で好きです)
一方で、会社で働いていると、個人のネームバリューや実績があげにくいという弱みがあります。
それは将来的な自由 = (会社だっていつつぶれるかわからないし、やりたくないことやる時がくるかもしれない。) を犠牲にしていることになるので、それが苦痛の人もいるかもしれません。
私は、会社で働きつつ、個人に実績やネームバリューが乗っかる仕組みが大事だなと思っています。(なのでTwitterを大事にしている)
「自分の信念」
僕も「人を活躍させる」「新しい事例を作る」といった信念があるので、楽しいのかもしれないです。
一方、多くの人にとって「自分の信念」を見つけるのって難しいよなぁと思っています。(日本の教育のせいだと思っている)
「自分の信念」を実感するために、自分の中の大きな原体験が必要だと思っていて、普通の生活をしていると「自分の信念」が見つかるような体験しないのでは?というのが悲しいと思っているところです。
僕も高校時代にぶっとんだ体験をして、上記の信念をもつようになりました。
これ考えたくないですけど「ぶっとんだ体験」を正当化したい、という気持ちが「自分の信念」になっているんですかね。
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などはフリーランスのメリットだけど、
コロナ禍でリモートワーク主流になって相対的にメリットが下がった