「本気」「常識」「普通」という言葉を使いたくない理由
昔野球部だったのですが
「本気なら自主練はこれくらいするだろう」「本気なら移動はダッシュするだろう」
という言葉の無意味さに頭を悩ましていました。
「本気」というのは、人によって定義が違うし、他人の「本気」はコントロールできないし、観測すらできない。
コントロールも観測もできないものは、建設的な改善ができない。
つまり、他人に「本気」を求めるのは、極めて不健全な状態を生む可能性が高い。だから避けるべきです。
同様に「常識」「普通」という言葉も同じです。
「普通、ここまでやるよね」「常識的に考えて、ここはこうすべき」
この普通とか常識って何なん?
やっかいなのが、もっともらしい言葉なのがやっかいなのだ。
もっともらしいから故に解決しない。
解決するためには、みんなが観測できる言葉で行うことです。
例えば
「本気になろう」ではなく「グラウンドでは常にダッシュしよう」の方がマシだ
「普通、ここまでやるよね」ではなく「納期の3日前に一度確認のメッセージを送ろう」とか「3Dモデルデータを送るときは、この項目を確認しよう」とか、具体的に誰でも観測できる表現でコミュニケーションすべきだ
これが起こるのは、業界や職種が違うもの同士でコミュニケーションするときに起こりやすい
例えば、アニメ業界とゲーム業界の「普通」は違う。
普通が違うのに「ここは普通の感じで」とコミュニケーションしたら、それはトラブルになるのは当たり前だ。
もう「本気」「普通」「常識」という言葉を誰かが使ったら、すぐに具体的な観測可能な言葉に変換しよう
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文化によって暗黙の了解が全然変わること、認識されないがち。。