本番
夜と霧に「人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあこれからが本番だと思っているうちに終わってしまう。」という一節があった。
なんだか自分は20代、特に学生の時はあまり自我がなかったような気がする。現実とは常に半透明の膜を隔ててみているようで今この瞬間が自分の人生であるという感覚が希薄だった。一人だけの映画館で誰かの人生を見ているように感じるときさえあった。
これからが本番だと思っているということは、ずっと練習だと思っているのか、練習のうちに終わるんじゃないか、ちゃんと練習になっていればいいけどよく思う。
学生、特に大学生の時はとにかく息苦しかった。いつも閉塞と不安があってなんかの神経症なのではとずっと思っていた、自分が何に不満で何を恐れているのかよく分かっていなくてなにも分からずできない自分にイライラしていた。
正体のわからない閉塞感を自分の生まれや障害、社会や親、顔も分からない誰かのせいにきっぱりとできるほど、鈍感にも子供にもなれなかった。
ここではないどこかに行きたい。遠くに行きたい。どこかにもっとよいもの、本当の人生があるはずだそんなことを思っていた気がする。
自分の人生が希薄と感じたり、ど息苦しかったりするのをどう脱却したのか、自然とそうではなくなったのか気になります 彩.icon
直接的な要因か分からないですが、人の靴を履いて世界をみようということを繰り返すと希薄さは減った気がしますね。