友達の情報量と大人になってからの友達
https://youtu.be/JDyFEb6NOVI
ゆる言語学ラジオとは言語学を専攻していた水野さんと衒学者の堀本さんによる言語学をゆるく学べる動画である。
その中で「友達の情報量」という話題があった。友達が少ない/できないのは友達を情報量として見ているからではないか?という話。
「お前は友達ができないって悩んでいるふりをしているけれども、お前は友達のことを情報量としか見ていない」
私もとても心当たりがある。実際中学以前の友達とは誰とも連絡を取っていないし、大学外での新しい友達もできていない。
ライターさんと仕事をしているとかなりコンテクストを共有した状態で喋っていたり、識者さんの場合は専門知があるので整理された情報を話してくれたり、(中略)そのテンションをプライベートに持ち込んでしまっている気がします
とても分かる。
大学の友達と喋っている時はコンテクストをかなり共有した状態なので、多くを語らなくても伝わってしまう。全てを説明しなくても会話が進むのはある種の快感さえある。
情報量のある話(その分野を専門とする人の話、例えば大学の授業など)は聞いていて楽しいが、情報量のない話(他愛もない雑談、オチのない話)がつまらなくなってくる。
年々日常会話が下手になっている気がする…
高専の時もそうだったかもしれないが、大学に入ってから新しい知識を求める気持ちが強くなりすぎている。
友達と話していても私の知らない話をして欲しいと思ってしまう。知識欲をプライベートに持ち込んでしまっている。結果友達が減る。
抽象的なことが好きな結果、そりゃ当然友達は減りますよね
恋愛の体験談を話すよりも恋愛とは何かを議論する方が楽しい。
この傾向が強いと他愛もない日常会話適性が低い気がする。
人と喋るより本を読む方が良いと思い始めるとやばい
今新しく友達を作ろうと思うと、共通の話題のある人間、または私の知らない情報をもたらしてくれる専門知のある人間だけになってしまう。
完全に新しい人間関係を構築するのは大人になってからの方が難しい
中学以前のような友達の作り方はもう無理かもしれない
情報量だけが価値あるものなのか?
昔の友人とする思い出話は情報量こそ低いが楽しくはある
情報量だけを追い求めると寂しい人間になってしまいそう
死んだら個人的に蓄えた情報(知恵として確立されていないもの)は何も意味をなさないので
みなさん一体どうやって友達を作っているんだ…
どうやってつくる(きっかけ)
人を誘う
面白そうな人を見つける
人に誘われる
面白そうな人間だと思われる
どうやってつくる(ツール)
だいたいSNS?
創作やってるから?
共通の話題
専門知だけ
に該当してしまう...... (それらだけで十分に友達が多い)
なるべくコミュニティを広げる(興味のアンテナを広げる)ようにしているから?