Da8
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さらに調べていきますと幽冥界にはそういう「 どこにも所属する場所がない魂がたくさんいる」 という事が分かってきました。
それを「 はぐれ集合魂」 とでもいうのでしょうか…そもそも集合魂のカテゴリーに入れてもいいものかどうかさえ疑問ですがそういう存在がありました。
そしてそのような集合魂( 大きめのエネルギーを持ったほぼ単独に近い魂ですが) は、芸術家に多いという事も判明しています。
そしてそうしたアーティストの集合魂( 魂) は、幽冥界の外れにある場所にまとまっています。
ピカソやダヴィンチも同じく芸術家の集合魂とされますが、やはりほぼ単独でエネルギーが非常に大きな魂です。
ジョンと異なり彼らはエネルギーが大きいので幽冥界の中でも上から下まで割と自由に行き来できるようになっています。 つまり一般的な集合魂がいる6次元界に近いところまでも行けてしまうというような場合もあるのです。
それではビートルズの4人はすべてそのアーティストの魂にカテゴライズされるのでしょうか。
そこを少し調べてみました。
そうすると一応4人はアーティストの部類には入りますが、一個一個の大きな魂を持っているのはジョンだけでした。
あとはジョージ・ハリスンが弱く持っていただけです。
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残るのか
色々書いて来ましたが、結局彼は地球に残るのでしょうか、残らないを選択しているのでしょうか。
今の心境を深く見ますと、どうも地上に残した子供のことが気になっています。
つまり、
「 見守りたい」
という情が彼をして「 残る」 方向に傾けていますが、まだまだ微妙なところです。
ここでいうところの「 情」 には2種類ありまして、自己憐憫を土台にしたマイナスの「 情」 と、愛や慈しみをベースにしたプラスの「 情」 ではその持つ意味が全然異なってきます。
マイナスの方に高じてしまいますと自分が空っぽになってしまうので、地球には残れないでしょう。
逆にプラスの情ですと残れますが…どうもそのあたりが微妙なところのようです。
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( 注:この見開き右側の片面、322ページ目は丸々余白になっている) 
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第33章 紫式部
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| 
| 平安時代の作家、歌人
| 
| 生没年:980頃~1020頃
| 
| 出身地:不詳/現在の京都府?( 日本)
| 
| 
|  藤原冬嗣の後裔、越前守為時と右馬頭・常陸介藤原為信
| 
| の女( むすめ) との間に生まれる
| 
|  19歳頃から歌を詠み、999年に右衛門権佐藤原宣孝と
| 
| 結婚するも数年後に死別、その後中宮彰子に仕え、日記
| 
| ( 『 紫式部日記』 ) をつけながら長編小説『 源氏物語』 を
| 
| 書き上げた
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|  宮仕え後の消息は不明
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清少納言と紫式部
清少納言と紫式部は色んな場所で比較されていますが、実際は二人は顔を合わせたことはないようです。
二人とも一条天皇の奥さんに仕えた女性ですが、清少納言の方が先に仕えています。
清少納言が仕えた定子さんが亡くなり、清少納言もお役御免となりまして、その後一条天皇は彰子さんを妻にしています。
その彰子さんに仕えたのが紫式部でした。
ですから二人は会ったことはないのですが、清少納言が「 枕草子」 で紫式部の旦那やその周りのことを少し揶揄して書いていたのを見て、紫式部も後に「 紫式部日記」 で清少納言のことを「 品がない」 「 もっと女性っぽくこう書くべき」 と書いています。
二人の性格はだいぶ異なっており、紫式部は結構きつい性格で「 私は」 というのが強い人で、
「 私はわきまえている」
「 知ったかぶったりしないし女性としてのたしなみとか距離感」
「 そういうものも私はわきまえている」
彼女は小さい頃はお転婆だったのですが、周囲にギュッと締め付けられています。
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そこで学んで、
「 自分は機転がきいて賢いからそれを逆手にとって隠してきた」
「 でもあの人( 清少納言) はひけらかして狡い」
自分もそうしたいけど出来ない。
そんな感じの一種の嫉妬を感じているようでした。
清少納言はちょっと発達障害のような所があって、人の気持ちとか空気があまり読めなかったようです。
ただ羅列するエッセイといいますか、思ったことをそのまま出してしまう…いうならば現代風の女性でした。
それを自由といっていいのかと思いますが、それが紫式部は少し羨ましかったということのようでした。
清少納言は割とさっぱりした女性でしたが、紫式部は内部では妬みや嫉妬が結構渦巻く女性でした。
でもそれを表に出すのは嫌だという見栄っ張りでもあったのです。
だからこそ「 源氏物語」 が書けたのだということもあります。
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本当の名前
日本文学研究者の上原作和氏は、紫式部の夫である藤原宣孝に、
ももという
名のあるものを
時の間に
散る桜にも
思いおとさじ
という歌があり、
その「 もも」 というのが紫式部の幼名、通称かも知れないとしています。
その事実を知る前に私に降ろされた式部の幼名、通称が、
「 おも」
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でした。
「 おも様」 と周囲から呼ばれています。
「 もも」 と「 おも」 では似てはいますが、やはりちょっと異なります。
何故なのかを検証してみました。
結果、書き文字は「 もも」 でした。
当時の女性名には植物や果実の名称がよく使用されていましたので、「 桃」 の「 もも」 が正式な名前です。
ただ呼び名は「 おも」 が正解でした。
ある一定の身分が上の人たちは、自分の幼名や通称( 実名) を公表したくないという習慣があったようです。
それは「 名前にかけられる呪い」 などを忌み嫌うということが大きく作用して、本名を呼び合わないという暗黙の決め事( 慣習) がありました。
それに加えて、訛りに近い言語変質があり、「 もも」 を「 おも」 と変換されたままで、発音時の通称にしてしまっているということがあったようです。
「 おも様」 と呼ぶのは周囲の親しい人たちだけで、通常は夫の官名( 中納言) 、役職( 正五位) で呼んだり、自身の式部を付けて「 藤式部」 、あるいは単に「 式部」 としていました。
また自宅のある通りの名前や住所で呼ばれることもあったようです。
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紫式部の容姿
確認してみますと、
「 普通」
と出て来ました。
ただし当時の美人は、しもぶくれのぽっちゃり系がすごい美人ということですから、当時の人並みはブスではなく、今でいいますと割合美人の部類に入る方でした。
ほっそりとしていて、キリッとした顔立ちで、今だったら立派な美人でしょう。
近代に出ていた紫式部
色々検証してきましたが、紫式部は新しい地球に残るのでしょうか。
「 生きたい」
とお答えがありました。
彼女はすでに集合魂に戻っていますが、印象として集合魂自体が女性の集団のような感じがしますが、そ
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のあたりはどうなのでしょうか。
そもそも集合魂に女性系、男性系というのはあるのでしょうか。
確認してみますとそこにはあまり確固とした性は存在しないようです。
彼女の集合魂は「 女性の権利を主張する」 という感じの…ウーマンリブくさい雰囲気を匂わせています。
ウーマンリブとは書きましたが、ちょっとニュアンスが異なるかもしれません。 どちらかといいますと
「 気が強い系」 の集合魂として良いかと思います。
「 自分が何かやりたい」
「 何かを出したい」
文学でも何でも、ちょっと目立ちたいという感じの雰囲気がありますが、ジョン・レノンの奥さんのオノ・ヨーコのひたすら「 自分を出したい」 、「 自分を認めろ」 というのではなく、自己顕示欲ではあるのですが、それなりに社会に影響を与えつつ、啓蒙もしていくという方向性があります。
それでは紫式部として出ていた時、彼女は( 制約はたくさんあったでしょうが) 納得した生き方が出来たのでしょうか。
聞いてみるとどうも納得していないようです。
それでも当時の女性としては結構注目を浴びて最先端をいっていたような気がしますが…
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紫式部
「 まだまだ、もっともっと」
どういうところで納得できていなかったのかを聞いてみました。
紫
「 学問」
「 もっと学びたかった」
「 もっと制約なしに」
ならばあんな時代に生まれるよりも今の時代に出て来た方がよほどいいんじゃないのかな、と確認すると、
「 もう出てる」
と意外なお答えがありました。
正確に表現しますと、
「 出た」
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という過去形で答えていますので、おそらく過去にすでに出ていたのかと思われます。
そこでここから検証に入ります。
まず場所はやはり日本に出ていました。
職業は女性で奥むめおという政治家をやっています。
ただ時代は近代ではあるのですが、今ではなくちょっと昔に出ています。
たとえ少しでも、以前の日本では女性の地位や権利は結構制約がありました。
制約なしでもっと自由にやりたいというのなら、どうして現代に出てこなかったのでしょうか。
そこを確認しますと、どうも思いっきり自由ということではなく、ある程度制約がある時をわざわざ選んで出て来たようでした。
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奥むめお
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| ・奥むめお
| 
| 婦人運動家、政治家
| 
| 生没年:1895~1997
| 
| 出身地:福井県( 日本)
| 
| 
|  日本女子大学卒業後、労働組合期成会の機関紙『 労働世
| 
| 界』 の記者を経て「 新婦人協会」 を結成( 1920年) 、平
| 
| 塚らいてう、市川房枝らとともに女性集会の自由を認めない
| 
| 治安警察法第五条二項の改正を実現する( 1922年)
| 
|  その後、協会が内部分裂の末に解散するや自身の団体
| 
| 「 職業婦人社」 を設立( 1923年) 、雑誌『 職業婦人』
| 
| を刊行し、「 婦人消費組合協会」 の設立や託児所兼集会所
| 
| 「 婦人セツルメント」 を全国展開するなど生涯を通して婦
| 
| 人運動に取り組み、1947年~1965年までの18年間
| 
| は参議院議員も務めた
| 
┗―――――――――――――――――――――――――
「 むめお」 という女性にしてはちょっと変わった名前ですが、書き文字は「 梅尾」 と書きますが、読みは「 むめお」 です。
紫式部の時が「 桃」 を「 もも」 と読み、呼び名は「 おも」 でしたから、何やら共通項がありそうですが、今回集合魂から派遣されて来た魂は紫式部の時の魂とは構成要素が異なりますから自ずとその生き方も異なっているはずです。
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( 魂の集合魂やそこから出て来る「 小魂( 通常の私たちの魂) 」 の詳細は宇宙全史で学んでください)
時代的にはやはり女性が政治に参画するにはそれなりの制約があった時代でした。
その時代に男の政治家連中に色々いっているわけです。
「 女のくせに」 とか「 女ごときに」 とかいっている世界で、いきなりやっぱり認めさせたというのは画期的だったようです。
しかしどうも、
「 あんでもありな時は燃えない」
「 困難な時の方がエネルギーが湧いちゃう」
そういっています。
しかし本当は今( 現代) が一番困難な時なのですが、圧力を困難とみなす集合魂ですから、分かりやすい時に出たという事がいえるかも知れません。
それにしても紫式部が奥むめおとは想像もしませんでした。
もちろん紫式部の時の魂そのものが転生して来ているわけではないのですが、7割くらいの要素はもって来ていますのでかなり近いともいえます。
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それぞれの魂の要素が異なるとはいえ人の転生をはかることは中々難しいものでした。
現代に反映する藤原・源氏
この奥むめおを調べていますと面白いことが分かってきました。
奥むめおとして降りて来るとき、式部の時の周りの環境も引き連れて来ています。
つまり紫式部の同族といいますか、自分と関係にあった藤原一族を引き連れて出て来ています。 例えば式部の旦那さんであった藤原宣孝、その後関係があった者なども共に出て来ていて、胸に勲章をつけている人などもいて( 名前の特定が面倒でやっていませんが) それなりの政治家になっています。
そうして奥むめおとしてその時代に活躍できるようにバックからフォローしています。
清少納言などは逆に排除されていますから一緒には出て来ていません。
また式部の父母も出て来ていないのですが、これは政治閥的な関係者だけが奥むめおをフォローしようとして出て来ているのです。
また現代の政治家や経済人、企業家、地主などにも藤原一族、また源氏系、そして橘系も多数降りて来て活躍しています( 橘は源氏の裏に隠れるようにしていますが、そこそこ強い勢力を誇っています・なお平氏系はあまり出て来ていないようです)。
特に藤原系は呪術的な傾向が強く、抜き出てエネルギーを他から巻き上げて、自分たちだけの派閥を時流に乗せるというようなことをしています。
これは集合魂としての塊ではなく、一種の派閥のようなもので、あの世であちこちの藤原関係の集合魂が、
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「 ちょっとまとまって出ていきましょうか」
そんな感じで降りて来ています。
( なお徳川や豊臣、信長関係なども主流ではないようです。 彼らは藤原、源氏系がメインの今の世の手下のような形で存在しています)
最後
紫式部は一度正式な結婚をしていますが、子供を一人産んですぐに旦那( 藤原宣孝) は亡くなってしまいました。
その後彼女は独身を通しますが、当時のいわゆる通い婚のような形で、一人男性がついていました。
紫式部にとってはパトロンでもあり恋人でもあった男性ですが、歴史的にはその男性の名前は明らかになっていません。
確認してみますと、式部のところに通ってくる人を「 公達」 と呼んでいますから、それなりの身分の男性だったと思われます。
彼の名は藤原道長といいますが、彼は宮中の勢力争いではそれほど武闘派ではなかったのですが、頭はよく情も深い人で、勢力図をキープするためにあちこちに情報源( 人材) を確保していました。
その一つが紫式部であったということがあります。
しかし単に彼女を利用したというだけではなく、それなりに情も交わしていましたし、面倒も見ていました。
式部は974年に生まれ1031年に亡くなっています。
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57歳でしたから当時としては長生きの方でした。
病気とかではなく老衰で安らかに死んでいます。
場所は田舎の方で京都と奈良の中間にあるさびれた田舎で何人かの侍女やお付の人間に看取られています。
割と大事にされていたようで、生活に困ったという感じはありません。
もちろん道長が手当てをしていますが、直接面倒を見ていたというわけではなく、お金を持っていたので、そちらでフォローはしていました。
彼女の最後の言葉です。
「 つきはみかよの…」
で意識が途絶えています。
おそらく辞世の句を読もうとしていたのでしょうが、そのまま亡くなっています。
何を詠みたかったのでしょうか。
「 今生では今夜の三日月のように中途半端で、自分の思いはすべて成就したわけではないが、次に生まれて来るときは、思いっきり好きなように生きて満月のように納得して死にたい」
そういう歌だったようです。
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第34章 ネルソンマンデラと
キング牧師
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| 
| ・ネルソン・マンデラ
| 
| 
| 政治家、弁護士
| 
| 生没年:1918~2013
| 
| 出身地:ウムタタ( 南アフリカ共和国)
| 
| 
|  大学生時代から反アパルトヘイト運動に参加しANC( アフリカ民族会議)
| 
| に入党、盛んに活動を行うが1962年に武力闘争組織「 民族のやり」 での活
| 
| 動が原因で逮捕される
| 
|  終身刑を言い渡されるも1990年になって白人政権との交渉の末に釈放さ
| 
| れるやANCの議長に就任し再びアパルトヘイトの撤廃に精力的に努め、その
| 
| 功績によりノーベル平和賞を受賞( 1993年) 、翌年には南アフリカ初の黒人
| 
| 大統領に就任した
| 
| 2013年、肺感染症を再発し死去
| 
| 
| ・キング牧師
| 
| 
| 牧師、公民権活動家
| 
| 生没年:1929~1968
| 
| 出身地:ジョージア州( アメリカ)
| 
| 
|  学業優秀で高校時代は飛び級を重ね15歳でモアハウス大学に入学するもベン
| 
| ジャミン・メイズの影響で17歳で牧師になる決意をしクローザー神学校に入学
| 
| ( 1948年) 、その後もボストン大学神学部の大学院へと進み1954年に
| 
| はデクスター・アヴェニュー・バプティスト教会の牧師となった
| 
|  その翌年にモンゴメリー・バス・ボイコット事件運動を指導したことから公
| 
| 民権運動のリーダーとしての頭角を表し始め、1964年に成立した公民権
| 
| 法の制定に貢献し、ベトナム反戦運動にも積極的に関与するなど意欲的に活動
| 
| したが、1968年にメンフィス市内のロレイン・モーテルのバルコニーで白人男性ジェームズ・アール・レイに撃たれ死亡した
| 
|  1963年のワシントン大行進において行った演説( 特に「 アイ・ハブ・
| 
| ア・ドリーム( 私には夢がある) ~」 のくだり) は20世紀を代表する名演として
| 
| 名高い
| 
┗―――――――――――――――――――――――――
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ネルソン・マンデラ
キング牧師とネルソン・マンデラと聞きますと黒人解放運動の騎手とすぐにピンとくる人たちですが、このお二人は地球に残るのでしょうか。
まずは最近亡くなったネルソン・マンデラを見ていきます。
世界的にもノーベル平和賞を授与された彼を悪くいう人はあまり見当たりませんが、彼は地球に残らないという選択をしています。
南アで反アパルトヘイトの闘志として一時は投獄され、大統領にまでなった彼ですが、どうして地球に残らないのでしょうか。
これは南アフリカの実態を知らないと中々分かりにくいお話しなのですが、南アフリカだけではなくほぼアフリカ全土に深く根付く民族・部族間の確執・抗争が大きく影響していました。
それはお互い相容れない「 憎悪に近い齟齬」 といったらいいでしょうか、長い歴史の中でのものですからもう「 業」 と呼ぶべきものになってしまっているものです。
つまりマンデラは黒人解放運動をしてはいましたが、それは彼の部族と彼の部族に友好的な黒人だけを、その解放運動との関わりを持たせていたといってもいいのです。
仲が悪い部族は放置されていましたし、今でもそのままです。 それは世界には報道されていませんし、一般人はほとんどその実態を知らないでしょう。
ネルソン・マンデラはその部族間の業を主に母親から受け継いでいます。 また部族社会では当たり前のよ
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うに受け取られていましたから、彼の無意識には「 部族間の差別」 という刷り込みが初めからありました。
ですからそれは仕方がないといえば仕方がないのですが、それでも南アの奴隷解放運動というその運動に影響があったのが問題でした。
南アの黒人差別問題( アパルトヘイト) は全体として改善されて来ています。 しかしそこにしかみんなの目がいっていなくて、他の問題は抑えられ、すべて抹殺されてしまっています。
表面の成功の裏にあるまったく変わっていない問題、虐げられた人たちの思いはいまだズッシリとわだかまっているのですが、それはもはやなかったことにされてしまっているのです。
以前のアパルトヘイト時代は南アの全国民の約9割が差別され虐げられていました。 そして今はそれが3、4割にまで減ってはいますが、その3、4割の人たち、忘れ去られた人たちにもっと凝縮して反映してしまっているのです。
実際アフリカでは私たちの計り知れないこうした部族間、民族間の憎悪が深く根付き、どんなに表面上の黒人対白人という図式の確執を取り除いても問題は解決しないのです。 そしてまたそれは中東などでも同じパターンで紛争がやまないということがあります。
さてそれではネルソン・マンデラはなぜそうした部族間の確執を放置してしまったのでしょうか。 先ほども少し書きましたが母親からその思いを受け継いではいますが、「 あの部族とは仲良くしちゃいけませんよ」 というような具体的な教育を受けているわけではありません。
それはもちろん陰始の指示によるものなのですが、例によって「 あの部族は駄目だから放置しろ」 というような具体的な指示ではなく、むしろ「 気分」 のようなもので「 あの部族は嫌」 という感じの嫌悪感のよう
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なものを受け継いでいます。
そういう感覚がマンデラは自分にあるということに気づきます。
しかしいつの間にかそれを全面的に受け入れてしまった自分をすごく嫌悪し、「 もう自分なんかいない方がいい」 という諦めが「 生きられない」 「 生きたくない」 という方向にいってしまっています。
それはある意味「 母親に従うしかない自分」 に諦めることであり「 母親を選んだ」 自分を嫌悪するということでもあったのです。
それでも彼は普通の人と比較すると、限界はあったとはいえ黒人解放運動をあそこまでもっていったというのは世界が認めるまでもなく素晴らしいことではありました。
●それでもダメなのでしょうか
月読之大神
「 それでも本人なんだよ」
「 本人が生きるのを受け入れられなかったということは、そういうことなんだよ」
●それでは自分に甘い人は多少の陰始波動を纏っていても地球に残れるのでしょうか
「 自分に甘い人は、やったことというのは、それもやはり魂には返ってくるのよ」
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「 だからネルソン・マンデラはやったことの対価が大きいから、自分が嫌だと思わなければ、自分で自分を許せば残れるんだけどね」
「 でも自分がもう消えてしまいたいと思ったら、対価もへったくれもなく消えてゆくのよ」
●この人は本当にまじめな人なんですね
「 真面目だね」
「 熱い人だよ」
●それ故でしょうか
「 故だね」
「 キング牧師」
キング牧師もまたギリギリのところにいます。
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つまり残るか残らないか…気づくか気づかないかそこがギリギリなのです。
月読之大神と私( ●) の問答です
●( 私)
彼はアメリカの黒人解放に貢献したと思うのですが
月読之大神
「 解放しようとはしたけれど、そのルーツというか、その思いがキリスト教の教義にがんじがらめになっている」
●牧師ですからね…それではキリスト教に関わっている人たちはみんな駄目なんでしょうか
「 そうでもないのだけれど、そのキリスト教へのこだわり具合というか…洗脳具合かな」
●教会からの洗脳ですね
「 そこにがんじがらめになっていると中々気づきにくいようだね」
●でも結構命はって黒人解放運動を引っ張っていった方なんですが、それでもダメなんでしょうか
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「 そうだね」
「 表面的に立派なことをやってもやらなくても、最後の最後に自分が生き残りたいか、生き続けたいかという気持ちが湧いてくるかどうかなんだよ」
●彼は湧いて来ていないんでしょうか
「 瀬戸際だね」
●何故湧いてこないのでしょうか
「 責める気持ちがすごく強い」
●何を責めるのでしょうか
「 キリスト教を責めたり自分を責めたりね」
●キリスト教を責めるのですか…やはりキリスト教が間違っていると思っているのでしょうか
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「 どこかで思っているね」
●キリスト教は別に責めてもいいんじゃないでしょうか
「 キリスト教は責めてもいいよ・でもその自分を責めてしまっているね」
●自分を責める…
「 で、その責める自分を責めるところで杭を打ち込まれているから…」
「 親から受けた陰始の薫陶のようなものをね」
●ああ、キリスト教を敬わないといけないとかですね…黒人解放運動は別に悪いことではないですよね
「 そうね」
●そこですか、キリスト教の部分なんですね…あんな人でも
「 恨みつらみとかだね」
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「 どうしても何かで押さえつけてる感じだね」
「 それを解放してしまっていいんだけどね」
●黒人差別に対する恨みはあまりないですよね
「 そっちの恨みはいいのよ」
「 キリスト教へのだよ」
●キリスト教へのどういう恨みですか
「 救ってくれない」
「 うそつきみたいな思いだね」
●何を救ってくれないのですか
「 こんなに苦しんでいるのに神は何で自分たちを救おうとしないのか…それね」
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●ああ、自分たち黒人の話ですね…なるほど本来そういう恨みは抱いてはいけないんですね
「 責めているからね」
「 そこに葛藤がある」
●そこに陰始がつけ込んで「 地球を離れようね」 ということになるんですね
「 ちょっと複雑かもね」
●キリスト教の教えがすべてだと思ってしまっているんですね…そこに矛盾を感じて、でもそう感じる自分を責め、しかしキリスト教にも疑問を感じて…
「 だから彼はこんな世界には生きていたくない」
●でもキング牧師は本当の地球を知ったらいいんじゃないんでしょうか
「 知ったら残りたいと思うだろうね」
●それならどうなのでしょうか
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「 最終的にその地球の本当の姿を知りたいと思うのかというのも、また彼の選択なのよ」
●今彼はあの世にいますけど、この宇宙全史のような情報は入って来ないのでしょうか
「 欲しいと思ったらね」
●そもそもこれからの地球の推移を見ていたら自ずとわかるんじゃないのでしょうか
「 自分が囚われてる世界にいたら遮断されちゃうのよ」
●見えないんですか
「 見ようとしない限りはね」
●あの方は本当に素晴らしい方だと思うのですが
「 でも結局本人がどう考えるかなんだよ」
●私みたいに自分に甘い人間が一番いいのでしょうか
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「 自分に甘いっていうことは世界が広がるからね」
( このあたりはジョークに近いニュアンスでお応えいただいています。 あまり本気になさらないでください)
●何か腑に落ちないですね
「 やったことが返るだけだからさ」
「 シンプルだと思うんだけどねぇ」
●私などよりよほどすごいことをした方だと思うのですが
「 それぞれの魂がまぁ求めていることだから、どれがどうこうっていうわけでもないんだよ」
●う~ん、私にはあのような生き方は出来ませんね
「 しなくていいんだよ」
「 あなたはあなたの生き方で」
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●こんなチャランポランで残れるんでしょうか( 自分のことです)
( ここで突然五井先生が割り込んでこられます)
五井先生
「 目の前のことを全力でやるしかない」
「 それでしょう」
この本の中で紹介させていただいた他の人たちでも私は納得できない方がたくさんおられます。
みんなそれぞれ何とかしようと思って地上に降りて来ておられます。 でもそれぞれ何をしようかと思っているところは異なり、引っかかるところも違います。
月読之大神
「 でもそれを、99・9%で思ってるんだけども後の0・01%とか0・1%でもっていかれちゃうのよ」
「 陰始にね」
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「 すくわれてしまう」
「 でもそれはそれで…」
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第35章 ヤマトタケル
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| 古代日本の皇子
| 
| 生没年:202~243
| 
| 出身地:不詳( 日本)
| 
| 
|  景行天皇と播磨稲日大郎姫の息子として生まれる
| 
|  父の命に従い西は九州地方、東は東北地方まで遠征し土
| 
| 着の民を次々制圧するも東征からの帰路で伊吹山の神に
| 
| 挑んだことが原因で病を患い、故郷の大和に辿り着くこと
| 
| なく「 能褒野」 という地で果てたとされる
| 
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神話としてのヤマトタケル
ヤマトタケルの神話は少しくらいなら皆さんご存知だと思いますが、その正式な発祥は古事記( 712年) と日本書紀( 720年) にあるようです。
それぞれヤマトタケルに関してだけでもかなり異なる記述がありますが、いずれの史書も天皇家に都合のいいように書かれたものですから、実際に古代の日本を調べてみますとバカバカしいくらいにお粗末な歴史が展開されていきます。
それは世界史でも同じですが、人類の歴史はまさに愚かさの歴史といってもよいと思います。 いつまでも自分たち( 支配者) の都合のいいように改ざんされた歴史を、都合のいいように受け取る自分たち( 被支配者) であることをやめ、真実を直視する時代に入って来てはいるのですが、果たしてその変革を受け入れることが出来るのでしょうか。
地球原人としてのヤマトタケル
本来この本ではヤマトタケルを収録する予定はありませんでした。
しかしガンジーの章を収録する中で陰始と地球原人のハイブリッド( かけ合わせ) が存在するというお話しが出まして、それでは何かその具体的な例を歴史的な著名人で挙げて欲しいとお願いすると、かろうじて「 ヤマトタケル」 という名前が出てきたのです。
かろうじてというのは純粋なハイブリッドではなく、色々ややこしい事情があるようですので、ここでは
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その事情も含めてやや詳細に掘り下げていきます。
陰始が地球原人とのハイブリッドを造るというのはたまにあるようなのですが、それは陰始という存在は地上に出たとき、肉体が非常に弱い存在が多いということがあり、地球原人の頑強でエネルギッシュな肉体との融合を望む場合があったからでした。
永い地球の歴史の上ではそういう模索を陰始もやっているのです。
それは単に狡猾な頭と健康な肉体が欲しいという単純な理由からだけではなく、そういう混合された血をたまに陰始の系統に入れておかないとまずいという何やらよく分からない理由があったからでもありました。
さてそのハイブリッドとしてのヤマトタケルですが、先ほど「 かろうじて」 ハイブリッドという中途半端な表現をしてしましたが、それは頭が陰始というのではなく、つまり狡賢いとか陰険だというわけではなく、陰始に操られている地球原人という感じになっていたのです。 しかも肉体も地球原人といった割にはそんなに強くはなく、ハイブリッドといってもどうもその程度だったようです。
タケルは景行天皇の子供ですから、景行天皇とその妻のかけ合わせなわけです。 そうしますとその親のどちらかが陰始系でありどちらかが地球原人ということになります。 そこを探ってみますと、陰始系は景行天皇ですが、純粋な陰始系というわけではなく、陰始に操られている人間で、母親の方は物静かなほとんど自分の意見などいわないようなおとなしい人ですが( 意見をいわないというより意見がない) この人も陰始系になります。
そうするとヤマトタケルはどこから地球原人の血を入れているのでしょうか。
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よく調べてみますと景行天皇の異母系の姉というのがいて、それが原人でした。
そうするとタケルはその母親の姉の子供だったのかと思ってしまいますが、ややこしいですが景行天皇の異母のお姉さんとタケルのお母さんが異母姉妹だったということのようです。 どうも地球原人とダイレクトに血がつながっているというわけではないようで、彼が陰始と地球原人のハイブリッドとはいいましてもいわゆる「 なんちゃって」 ハイブリッドのようで、そのためヤマトタケルが肉体的にそう頑強でもなく、思考形態も陰湿、陰険ということでもなかったのです。
もし本当に陰始が地球原人のエネルギッシュな血が欲しくて、それを家系に入れたいのならなぜダイレクトに景行天皇の異母系の姉にタケルを産ませなかったのでしょうか。
ここでは景行天皇の母親がそれを阻止しています。 この母親も強烈な陰始系で、もちろん原人の血は取り入れたかったのですが、その原人が強すぎたということがありました。 ただその妹( タケルの母) は原人そのものではなかったのですが、原人のそばにいたためそのオーラだけはまとっていたのです。 そのため同じようだけど少し弱い原人と勘違いして彼女を家系に入れているのです。
景行天皇の母親は陰始からの指令を受けて原人を家系に入れようとはしていますが、その指令は明確な文章による指令ということではなく、何となくそういう嫁をこの子に添わせたいという気分のようなもので指令が来ています。 そのため気分といいますか好き嫌いで選択していきますので、そういうぼんやりとした結果になることが多いようです( 陰始といえど地上にその意図を明確に反映させることはそう簡単ではないようです)。
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ヤマトタケルは巫女( シャーマン) だった
ここではヤマトタケルの歴史上の真実を細かく検証することはしません。
ただタケルという人物の大まかなプロフィールを解明しておかないと、この本のテーマである「 彼が地球に残るかどうか」 の検証が出来ませんので、もう一つの大事な要素である「 タケルの巫女性」 を検証していきます。
伝承ではタケルは非常な力持ちであったとなっていますが、実際に力はそんなになく、決してムキムキマッチョでもなく、少しナヨッとしていて、ハンサムであったともいわれていますが、確かに様々な色を纏えるマルチな美貌はありました( これも理解しにくいですが、今風でいいますとあのマスク美女の「 ざわちん」 さんのような感じで、素顔は特別どうということはないのですが、衣装を変え化粧すれば色んな女性に変化できるという風貌でした)。
それではタケルの巫女性とはいかなるものだったのでしょうか。 巫女というジャンルは女性のものですが、タケルはかなり女性っぽい部分がありましたので神官( 宇宙全史では男性の巫女版をこう呼びます) とは呼称せず、巫女とカテゴライズします。
また巫女、神官というのは上位の存在から通信を受ける能力を有するものをいいます。 「 上位」 といいましたがその存在は「 支配する」 あるいは「 コントロールする」 という意味で「 上位」 という位置づけになっていますが、決して「 良い」 「 悪い」 「 正しい」 「 間違っている」 という判定基準でないことは承知してお
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いてください。
このタケルの場合も受け取る通信は「 陰始」 からのもので、事実関係に信憑性があるため「 本物か?」 と判断してしまいますが、タケル自身( タケルの魂) はその通信との間で葛藤します。
景行天皇
タケルの懊悩を云々する前に彼を取り巻く環境を簡単に書いておきます。
まず彼の父である景行天皇ですが、当時はまだ天皇という単語は存在しませんでした。
日本の統一もまだで、ほぼ統一されるのは米原平原に都が造られた、仁徳天皇の前後あたりで、天皇という呼称もその頃からのものになります。
それまでは「 大君」 とか「 大王」 と呼ばれていました。 つまり景行天皇の頃はまだ地方の大豪族の一つに過ぎず、そこから他の豪族を併合していって次第に日本を統一していったのですが、そうした記録は古事記か日本書紀に頼るしかないのですが、共に天皇に都合よくまとめた「 天皇神話」 に過ぎず、綺麗ごとに纏められた寓話や嘘で固められた史実とされるもの以外の真実はどちらにも見出せません。
少しテーマがずれてしまうのですが、ここで日本史に関わる基本的なことを少し書いておきます。
景行天皇の時まだ天皇という呼称がなかったと書きました。
日本史における天皇の呼称は古事記、日本書紀によって始まっていきます。
そもそもこの頃の日本語はどなっていたのでしょうか。 そこから少し調べてみました。
当時使われていた日本語はあまり複雑な言語形態を持たず、かなり単純なものでした。 当然北方から入っ
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て来た言語、大陸( 中国、韓国) 系のもの、南方( 沖縄方面) 系とそれぞれの言語が入っていましたが、基本シンプルでしたから、北方系の人たちと南方系の人たちが戦になり、終戦後どのように和睦をしているのかを見てみますと、そんなに言葉に困ってはいないようでした。
やはり言葉自体がシンプルですから、身振り手振りを交えたもので大体通じていたようです。 ただ今でいうところの通訳のような人がいました。
南方の言葉も北方の言葉も大体わかるという介添え役のような人間がいて、それは結構あちこちで重宝されていたようでした。
しかし現代の日本語の語原となる日本語がほぼ確立されてったのはこの時代よりももう少し後になります。
それは先ほど少し触れましたが古事記、日本書紀という( 創作された) 歴史書が核となっているのです。
記紀は共に大和言葉で書かれていますからその大和言葉を日本語に統一していこうという意図がありました。 しかしそこには言語の統一ということだけではなく、天皇という系譜を作り上げることで自分たち支配者層に都合のいい歴史を古事記、日本書紀により創作していったのです。
とりあえずこうした歴史書を出してしまえば早い者勝ちで、他が出していないからそこに集約するしかなく、日本の歴史も、天皇という系譜も、日本語さえも記紀に集約され、記紀から徐々に波及していったのです。
( 実際に記紀は500年後半位の頃から作り始め、近畿の人たちがそこから約100年かけて編纂しています・言語の統一ということでも、特別「 いろは」 や「 あいうえお」 等の言語規則を定めていったということではなく、記紀を作ることですべての価値づけを中央( ヤマト) 集権という形に導いています)
月読之大神
「 まず自分達の正当性というかルーツ」
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「 そっちを確立させるためだけどね」
「 いち早く名乗りをあげてしまう」
「 自分達が中心なんだという名乗りをあげてしまうことね」
「 王朝としての名乗りというか」
さてそれでは再び景行天皇のお話に戻ります。
( ここでは面倒なので景行天皇という呼び名のままで書いておきます)
彼は自分が天皇になる前に兄弟を殺しています。 地位争いでしたが、この男は自分以外は敵だとみなすような人で、たとえ親兄弟であろうが子供であろうがすべて自分のライバルで、地位や財産を脅かすものとして見ています。
元々非常に情が薄い人間で自分しか愛していない人物でした。
史書では景行天皇の命に背いた兄の大碓を弟のタケルに連れて来るように言い渡し、タケルがその馬鹿力で兄を殺してしまったので、恐れてタケルを九州征伐に行かせたとありますが、実際は景行天皇が大碓をタケルに殺すように命じています。
この時タケルは兄を「 紀ノ川」 ( 今の和歌山県) に逃がし、父の景行天皇には「 殺してしまいました」 と
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そこらにあった背格好が似た野ざらしの死体の顔をつぶして加工し、それを見せて納得させています。
その時は景行天皇も一応ほめていますが「 自分も同じような目に合うのではないか」 と内心はタケルを恐れています。
そのあたりから彼はタケルを自分のそばから遠ざけるために地方への征伐に行かせるようになります。
幼い頃タケルは近所の子供たちと一緒に遊ぶごく普通の子供でした( 当時は豪族の子供も農民の子供も同じように外で遊びまわっています)。
その頃は普通の子供としてタケルも幸せでした。 しかし父から「 あそこに行って領地を奪って来い」 と命令されるようになるとタケルの中で葛藤が生じていきます。
タケルには「 父に認められたい」 という子供としての情がありました。 その情に周囲の者から吹き込まれた重苦しい言葉がまとわりつきます。
タケルは巫女ですから父親から愛されていないということは知っていましたが、周囲の女性たちから「 お父さんの気分を害してはいけないよ」 「 そうすると私たちが困ってしまうから私たちのためにちゃんとやってね」 みたいなことを、母親の周りにいる叔母などの女性たちから吹聴されています。
「 自分を認めるんじゃなくて、お父さんのために、自分を我慢しなさい」 みたいなことをガンガンいっています。
自分のことしか考えていないものすごいクズの集団です。
それでタケルには吐き気がするほどのプレッシャーがいつもあったのです。
それでも「 これをやったら認めてもらっていつかここから逃れられるんじゃないか」 という思いは常にあったのです。
しかし次から次から出征を命じられ、「 愛されてはいない」 と分かってはいても「 認めてほしい」 という
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思いが濃くなっていったのは否めないところでした。
オトタチバナヒメ
ヤマトタケルの妻( 正式ではないのですが) であったオトタチバナヒメも同じようなことをいっています。
彼女は伝承ではタケルの遠征時に同行した際、海上で嵐にあい、その身を海に投じてタケルの船を守ったとして日本の女性の鏡とされている女性ですが、彼女もやはりタケルに「 お父様に認められることがあなたの幸せ」 といっています。
彼女は彼女で小さいころからそういう風に洗脳されて来ています。
それを英才教育というのかどうかは怪しいのですが「 一族存亡のカギを握るのはあなただよ」 風なことを延々吹き込まれているのです。
ちなみにこのオトタチバナヒメも巫女でして、陰始の影響は深く受けています。
彼女が身を挺して海に飛び込んだという「 美談」 は、彼女なりの考えで「 自分が犠牲になるという形で中心人物になれるという何かを残す」 という思惑が深くありました。 その行為は決して純粋な愛の行為ではなく、自らの名誉欲に準じた汚れたものでした。
よくそんなクズがそういう行動が出来るものかと思いますが、
月読之大神
「 クズだからよ」
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というお答えが即座に降りて来ています。
ただ彼女の中にはそういう名誉欲だけのためだけではなく「 その人のためになりたい」 という思いもありました。
巫女というのは一種の「 生贄」 という意味合いもあり、そういう意味ではただ良い格好したいからだけではなく「 その人の記憶に刻みつけたい」 という思いもあったのです。
それでもクズはクズなのですが、それはもう私たちがこの宇宙のクズということと同じような意味合いでの「 クズ」 ということになるのでしょうか。
近代まで残っていた「 封建制度」 という名の呪縛は、すでにこの頃から「 家系」 「 血筋」 「 身分」 「 男尊女卑」 等の「 自分( たち) を守る約束事」 として人々の心にはびこっていきます。
タケルはそうした呪縛や陰始からの指令と自らの純粋な魂との葛藤で苦しみます。
通常は奥底に押し込められていますが、命の危機になるとたまに顔を出します。 命の危機とは肉体の危機ではなく「 魂の危機」 で、父親に嫌われ、恐れられ、気味悪がられ、死んでも構わないからとあちこちの戦に派遣されている自分がどうにもいやになってしまう時、そういう時にはタケル自身の本心が顔を出しています。
逆に肉体の危機には陰始がタケルを救っています。
計らいごとでちょっと思いもよらないようなことやセオリーにないことは全部陰始の入れ知恵で難を逃れていたのです。
ですからタケルの伝承には統一的な人格があまり見えないような印象があるはずです。 例えばものすごい力を持った豪族、美女に扮したなよっとした細身の男、連戦連勝の戦をこなす豪傑、狡猾な手段で敵将を殺してしまう陰気な将等々、そのビジョンはつかみどころがありません。
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