Da5
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は一種の催眠をかけられており、自分が無くなってしまうような感じになっていて、生きるマシンと化しています・また彼らは人を洗脳することが非常にうまくて、さらわれて来た女性たちもその後何の問題もなく暮らしているのです)。
ほとんどの者が奇形や業病になっていたのは、一つには数十人の部落内で近親交配が重ねられていたということもありました。 彼らの中ではそういう一般的な「 禁忌」 もあまり意味をなさないといいますか、禁忌とする意識もなかったのです。
しかし彼らも自分たちが行き詰まっているのを薄々感じていました。
普通の人間から見るとものすごい力を持っている者たちなのですが、自分たちの行く末に飽きたといいますか、絶望と嫌悪感を抱いています。
このまま呪われた宿命と共にあればやがては滅びゆく者たちとしての運命は逃れられないと分かってはいたのです。
襲ったその若い男は山中で空海を見たとき( 求聞持法を取得した直後でしたから) 空海が異常に輝いて見えていたのです。 自分たちの境遇と見比べるとものすごく魅力的に見えました。
それがうらやましくもあり、まっとうなものにあこがれていた若者は空海に助けを求めたといってもいいかと思います( 彼の心の中に「 まっとうな力で助かりたかった」 というのが見えます)。
自分だけではなく部落の呪われた宿命から逃れたいという思い、それを空海に求めようとしています。 しかしその約束( 契約) は空海の魂と自在力の交換ですから、空海は瞬時に看破しキッパリと断っています。
本当は空海に素直に助けてほしいと頼めばよかったのですが、男はそういうやり方、助けを求めるという単純な方法を知らなかったのです。
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ですから空海に甘い誘惑としての交換条件を突き付け、それがだめだったら今度は脅しているのですが、空海はそれらをすべてはねのけていました。
例えば先ほど少し書いておきましたが50mの巨木のてっぺんに飛ばされています。 そこはとても生身の人間では降りられないような場所で、空海はそこで3日3晩過ごします。
結局3日目にカラス天狗に降ろしてもらっています。
空海は入山してからはずっと天狗さんに見守ってもらっていました。 だから木の上に飛ばされた時もすぐに頼めば天狗さんの眷属であるカラス天狗に降ろしてもらえたのですが頼んでいません。
それでは何故3日間も木の上にいたのでしょうか。 そこには空海のちょっと変わった人間性が見えるのですが、それはまたあとでまとめてお話しします。
他にも空海は2度崖から落とされています。
これは幻覚に惑わされて足を踏み外しているのですが、結構危なくて2度とも気絶してしまい、やがて自分で気づいてそのまま這い上がっています。
男は空海を殺す気はありませんでしたが、空海の守りも強くてほぼ無傷で済んでいます。
そこまですれば空海もビビッてなびくかと思っていましたが、ビクともしないので諦めています。
さてこの超能力といいますか自在力を使う若い男ですが、彼らは部落全体で力を結集すればたちまち天下が取れるような気がしますが、そのあたりはどうだったのでしょうか。
実際力を合わせてやれば出来ないこともない位の能力はあったのですが、それはやっていません。
世に出るには自分たちの容貌にかなりのコンプレックスを持っていたということもありましたが、それほ
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どの力があるのなら容貌など変えられると思うのですが、どうもそういうことは「 はなから無理」 と信じ込んでいます。
何か縛りがあったようで、彼らを閉じ込める大きな結界がそこにあったのです。
天皇の闇
空海を襲った不気味な若い男の住む部落は、瘴気の湧く土地にありました。
すでに書きましたように彼らは黒魔術的なメソッドを代々繰り返し、禁忌である近親相姦を当たり前のように常習化し、血を濃くしていくことで特殊な能力を手に入れていました。
しかしその異様な風貌や奇形の原因はそれだけではなかったのです。
土地の発する瘴気は負のエネルギーで彼らの能力を一層強くし、身も心も変形させ、彼らをそこに閉じ込めもしていたのです。
そういう習慣に嫌気がさしているのなら、何故彼らは他に移って住まなかったのでしょうか。
それを強いていたのは「 掟」 でした。
大きくは「 許されない」 という掟であり、彼らの狭いコミュニティでないとその力が発揮出来ないという縛りがあったのです。
彼らは作られた集団でした。
彼らを作ったのはもっと大きな力を持った陰始グループで、表向きは天皇に仕える力を持った者たちでした。
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その陰始グループは自分たちでも敵対する者や邪魔者を呪い殺すということはしていますが、もっと具体的な力が必要な時には呪いの村の者たちを使役しています。 その土地の瘴気も彼らが無理やり集めていたのでした。
陰始といえば2012年に抜けた日本の陰糸( 女性) がいましたが( 宇宙全史別巻「 20年後世界人口は半分になる」 参照) 、ここで呪いの村を支配していた陰糸もその日本の陰糸だったのでしょうか。
調べてみますとここで陰始に関する新しい情報が出て来ています。
当時の桓武天皇に仕えていた陰糸は2012年に足抜けした陰糸ではなかったのです。 また別な者で、この時すでに結構なお婆さんで、300年近くを生きています。
しかし2012年に抜けた陰糸は弥生時代あたりから日本のトップだったはずです。
どうも陰糸勢力にはいくつかの派閥があり、日本を支配するといいますか、力を大きく行使できるのはその時代時代によって変わっていたようでした。
2012年に足抜けした陰糸はその時たまたま日本で一番力を持っていた時に抜けたから「 日本のトップの陰糸」 というタイトルを持っていましたが、実際は時と共にその勢力図は変遷していたようです。
その後しばらくして呪いの村は自然消滅しています。
原因は血が濃くなり過ぎて、どうにもならない奇形しか生まれてこなくなったということがありました。 女性は他からさらって来ていますが、土地の瘴気の影響もあり、行き詰まってしまっています。
しかし土地の力といいますか、土地そのもののエネルギーが回復するにつれ、土地の瘴気が消えていきます。
その時期に呪いの村も消滅していったのです。
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瘴気というマイナスのエネルギーは力になるのですが、プラスでもマイナスのエネルギーでも変換する力というのは選択出来るのです。
ただマイナスのエネルギーというのはどうも長続きしないようです。
プラスのエネルギーは私たち生物にとって永久発電装置のようなものがあり、再利用しやすいのだそうです。
それに比べてマイナスのエネルギーは強くドンっと出るのですが、そんなに長くはもたないのです。
ただ共に作れないわけではないですし、必要なので生み出すことは許されています。
空海の正体
山中で修行中に異形の男に襲われて、その自在力で50mという高い木の上に飛ばされて、そのまま降りて来られずに三日間樹上にいます。
もちろん生身の人間では到底降りることはかなわない状況でしたが、空海は天狗さんと仲が良く「 降ろして」 と一言頼めばすぐに降りることは出来たのです。
それをせずに昼も夜も三日間木の上で何をしていたのでしょうか。
実は空海は木の上でウジウジ色々考えています。
ウジウジといったのはちょっと失礼でしたが、本当に色んなことを考えています。 自虐ということでもないのですが「 何でこうなったのか」 というような問答を自分の中で延々考え「 どうしたらいいのか」 とか、
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初めのうちはそういうことでしたが、その内他にもこれまで学んだ色んな経典のこととか、とにかく常人ではついていけないような様々な内容を頭の中で交錯させて猛烈に考えています。
それでやっと三日目になって自分でも何か納得できたのでしょうか、天狗さんに自ら頼んで「 降ろして」 といっています。
空海はものすごい「 反省魔」 とでもいうのでしょうか、実際にウジウジしているわけではないのですが、向上心がものすごくその反動で「 反省」 「 修正」 を自分に関することはこと細かくしています。
そして納得が出来たらすぐに忘れるといいますか、五井先生の「 消えていく姿」 ではないのですが、そんな感じでサッパリとしています。
この時( 襲われたとき) すでに空海は求聞持法を会得していましたが、求聞持法というのは一種のシステムですから、たとえ完全成就したとしてもその時どこまで求聞持法を進化させるか…といいますか、使いこなすかというところが難しいのです。
例えば求聞持法をパソコンに例えますと、平安時代にパソコンというスーパーアイテムを手に入れたわけです。 記憶力や演算力、視野の広がりや様々なメソッドの取得が容易に出来てしまいますから、同時代の人たちと比較したらスーパーマンになってしまったようです( もちろん求聞持法はパソコンなどとは比較にならないものですが)。 しかしそのパソコン( 求聞持法) をどう使うか、いかに生かしていくかはその後の空海次第なのです。
ですから不気味な男に襲われた時でも、普通ならすでに頭脳は超明晰になり、ある程度の自在力も手に入れていますし、天狗さんも味方に付いているわけですから、もっと丁々発矢と渡りあえばいいと思うのですが、空海はそういうことはしないで「 私のどこが悪かったのか」 「 もっと何かいい方法はなかったのか」
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「 まだ心がぶれているから木の上に飛ばされている」 というような自責の念でもないのですが反省をしきりにしています。
そしてそこからきちんと結論を出していて、それをその後の自分の生き方に反映させています。
つまり「 事件」→ 「 反省」→ 「 フィードバック」→ 「 階段が上がる」 というサイクルシステムが自ずと彼の中にあるのです。
そういうことをずっとやっていますから、空海の中で求聞持法は時と共に醸され、発酵し、やがて偉大な力( 神通力) に変質していきます。
さてそろそろここで空海の正体を明らかにしておこうと思います。
あそこまで特殊な業績を残した方はやはり特殊な出身でした。
出身はアルデバラン方面から来ておられますが、すでに地球に溶け込んでしまっておられて、一種の地球原人のような感じになってしまわれています。
しかし通常の地球原人の天然系とは対極にあるような方で、亜流といいますか突然変異的な地球原人と思えばいいかもしれません。
本来仏陀や五井先生は地球生命の大集合魂に溶け込むことを望まれていますが、それをさっさとやってしまったのが空海でした。
ただ通常は地球という巨大な魂に溶け込んでしまうとその魂や個性は一瞬で吸収され地球そのものになってしまうのですが、大きなエネルギーを持つ空海はその中で自由性を保持したまま衆生と関わっていきます。
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空海という存在を見ていますとまず感じるのが「 やさしい」 ということです。
とにかく若い時から「 人を救いたい」 「 ( 人の) 苦しみを除きたい」 という思いが強く、それがずっとぶれていません。
空海は835年3月21日に高野山の奥の院で入定しています。
その前に彼は病にかかっていますが、その病も衆生の業を背負っての病でした。
現在空海の遺体がどうなっているのかは高野山の一部の僧侶の方しかご存じないのでしょう。
伝説では空海は生身のままで奥の院にあり、そのため今でも毎日担当の僧侶が食事を運んでいるという日常行事がありますが、実際は空海はミイラになっています。
本来空海ほどの境涯に達していますと、肉の身を持ったままあの世といいますか、想念界に帰っていくのですが空海はあえてそうはしていません。
地上界との関わりを自らの肉を残すことで深いきずなとして刻んでいます。
私もやがて地上を去っていくのですが、その時は肉体もエネルギー化してその全体性を保持したままこの宇宙を離れていくことになっていますが、空海や五井先生、植芝先生もそうですが皆さんあえてそういうことはしないで、何らかの痕跡を残すことで慈悲の波動を濃く深く浸透させようとしておられます。
月読之大神のお言葉です
「 偉いね…この人たちは」
( この人たちとは仏陀、五井先生、空海のことです)
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「 つらいのに苦しいのに、そういうものをキチンと自分で引き受けるというそういう皆さんだね」
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第24章 ブルース・リー
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| 映画俳優、プロデューサー、武術家
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| 生没年:1940~1973
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| 出身地:香港( 中国/出生はサンフランシスコ)
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| 
|  香港で幼少期から俳優として活躍するとともに詠春拳の
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| 稽古に励む
| 
|  1959年に父の命で単身渡米するとワシントン大学の
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| 哲学科に入学( 1961年) 、道場経営にも勤しみ「 截拳
| 
| 道」 を創始した
| 
|  その後『 グリーン・ホーネット』 の準主役に抜擢された
| 
| 頃から徐々に知名度が上がり映画会社「 ゴールデン・ハー
| 
| ベスト」 と契約、主演映画『 ドラゴン危機一髪』 『 ドラゴ
| 
| ン怒りの鉄拳』 『 ドラゴンへの道』 が立て続けに大ヒット
| 
| し一躍有名人となるも次作『 死亡遊戯』 で共演予定の女優
| 
| 丁珮の自宅で頭痛を訴え病院に搬送、そのまま死亡が確認
| 
| された( 死因は脳浮腫とされる)
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ご存じのように「 燃えよドラゴン」 の世界的ヒットを目前にして突然亡くなったブルース・リーですが、その死因については様々いわれていますが、本当のところはどうだったのでしょうか。
死因
直接的な死因はいくつかの複合要素が重なっています。
① 彼は修業時代から体全体に衝撃を与えるような修練をしていたため、頭部にもその影響が積み重なるように残っている。 いわばパンチドランカーに似た症状が出ていて、脳が豆腐のような感じでブヨブヨになっています。 そのため普段はいつもボーっとしていて鬱っぽく、暗い感じでいるのが普通でした
② 麻薬をやっていたわけではなく、日頃の①の症状を軽減するため漢方のゴマ汁( 麻の実をゴリゴリすって絞ったもの・一種のマリファナ) を常備薬のように飲んでいました。 これは日頃の不安や頭の痛みをおさえるのと、頭の混乱と、ボーっとしているのを何とかしようと服用しています。
この①と②の複合作用により、ちょっと強い薬をやって迷い込んでしまったような症状になり、そのまま亡くなっています。
今彼は幽冥界にいますが、どうしているのでしょうか。
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ジャージのようなものを着て一人ぼっちでぼんやりしています。
自分の世界に入ってしまっていて周囲を見る目がありません。
月読之大神もこの機会に「 どうよ」 と話しかけられていますが、まったく反応なしです。
どうも自分の中で映画を撮り続けているようなのです。
生前色んなアイデアがあり「 あれもやりたい」 「 これもやりたい」 というのをシミュレーションといいますか、想念の中でやっています。
本当はハリウッドやヨーロッパにも進出したかったようですが…
●( 虚空蔵55)
あなたの作った「 燃えよドラゴン」 はものすごい世界的なヒットになりましたよ
リー
「 世界で?」
●そう世界で
リー
( すごく疑いの眼でこちらを見る)
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月読之大神
「 心を開いてご覧」
「 そしたらほんとのことが見えるから」
リー
「 いやだ」
どうもこちらを信用していない感じなので、ユーチューブにあるブルース・リーのヒット作の様子を見せてあげました。
すると、
リー
( ニヤッと笑う)
●だからいつまでも閉じこもってないで世界はあなたを必要としているのだから出て来たらどう
そうすると段々暗いところから薄い闇のような場所に彼が移動している感じがしますが、彼の周囲には卵のような薄膜が張られてあり、それが邪魔して外の世界と自由な交流が出来ません。
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そしてそこから「 出る」 とはいいません。
いきなりは無理かもしれませんが、それでも真っ暗な空間からグレーの世界には入って来ています。
リーの守護霊様たちは何をやっているのかと見てみますと、二人が何かどっしりと構えています。 ただ見ているだけで「 向こうから来い」 「 卵は内側から割れ」 というスパルタっぽい雰囲気を出しています。
ただここまで来るとあとは薄膜だけですので、それを破るのは早いと思われます。
本当の死因
陰糸により生贄の代役になってしまっています。
本来死ぬべき人の代わりに生贄にされています。
リーが亡くなったことで同情や賞賛が世界中から集まっています。 そのエネルギーは陰始にとっては大きなものでした。
それでは本来死ぬべき人とは誰だったのでしょうか。
それはリーの周りにいた人で俳優仲間でありプロデューサーもしていた人でした。 元々俳優をしていたのですが、芽が出なくてプロデューサーに転身したという感じで、人種を調べますと「 華僑」 と出ます。
中国人でも香港人でもなく「 華僑」 と出るのでよく分かりませんが、そのままにしておきます。
プロデューサーはリーが亡くなるとその才能と生命力を引き継ぎ、優れた仕事をしていきます。
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陰始はリーよりもプロデューサーの方が操れるからそちらを選択しているのです。 本来リーの生命力・魅力は陰始の攻撃をチェンジしてしまうくらいの力はあったのですが、リーが弱っているタイミングでつけ込まれてしまったのです。
2015年12月22日が冬至になります。
おそらくこの日を境にブルース・リーは薄膜を破り、外の世界に出て来るかもしれません。
そして彼は新しい地球に残ることをおそらく選択すると思われます。
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第25章 聖徳太子
┏―――――――――――――――――――――――――
| 
| 飛鳥時代の政治家、「 厩戸皇子」
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| 生没年:574~625
| 
| 出身地:不詳( 日本)
| 
| 
|  橘豊日皇子( のちの用明天皇) と穴穂部間人皇女との間
| 
| に生まれる
| 
|  幼少期から仏教に傾倒し、崇仏派で血縁関係にあった蘇
| 
| 我馬子と協力して排仏派の物部守屋を殺害、その領地に
| 
| 「 斑鳩宮」 を造営し移り住んだ( 605年)
| 
|  その後も推古天皇の摂政として政治に関わり「 冠位十二
| 
| 階」 「 十七条の憲法」 を制定、天皇集権を進める一方で遣
| 
| 唐使を派遣し大陸との交流にも努めた
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あらず
聖徳太子は一般的にもわりと謎に包まれた人物のようですが、霊的にも謎の多いキャラでした。
今回の本で収録する随分前にも気になった方なので、少し調べていたのですが不可解な部分が多くてそのまま保留になっていた方です。
まず通常の人間のように地上に出て来る過程でのセオリーをあまり重視しないといいますか、ある程度は順守するのですがかなりイレギュラーな有り様を呈しておられます。
つまり通常の人間のように昔どこそこの星にいて、そこでの有り様が良かった( あるいは悪かった) ので地球に来て指導( 修行) する立場にある…というような形ではなく、ある意味私( 遊撃手) と似た形で出て来ておられる方です。
ですから聖徳太子は地球に残るのでしょうかとお尋ねしてもまず降りてきたお言葉が「 残る」 「 残らない」 ではなく「 あらず」 でした。
そのカテゴリーにはないということなのでしょう。
それは彼はどこから来た方なのでしょうか。
精霊という言葉がありますが、私たちは「 精霊」 と聞くと、たいがい自然のカテゴリーにおける物を想像します。
例えば木の精霊や水の精霊、花の精霊などですが、適当な地球言語がないので一応精霊とはいいますが、
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聖徳太子も一種の精霊でした。
しかし通常の精霊ではなく、この地球を超え、銀河も超えた宇宙全体の精霊といったらいいでしょうか…そういう形の有り様をお持ちでした。
ですから普通に地球に来るときは集合魂など存在しませんから、「 とりあえずの」 集合魂というのを模擬的に造って、そこから地上に降りて来ておられます。 なので彼が地上を離れた後はその集合魂は跡形もなく霧散しています。
やはりどんな存在であっても人間として地上に降りて来るときは一旦集合魂というものを阿頼耶識界( 6次元) に造って、通過地点としてそこを通して顕現するというセオリーは外せないようです。
それでは何ゆえに聖徳太子は地上に降りて来られたのでしょうか。
そこには、
「 インバクト」
というお言葉が出ています。
「 衝撃」 「 打撃」 という意味なんでしょうが、歴史の様々なポイントでカンフル剤的なインパクトを与えたいときに出現されているようです。
遊撃手も似たようなものですが、私はもう少し自由な存在であまり「 なければならない」 という縛りはないようです。
そういう意味でも聖徳太子は遊撃手よりはこのオーム宇宙寄りの存在で、有り様としては皆さんには親し
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みやすい存在でしょう。
仲間
変わった種族のようなのでこれまでの歴史上どのようなお仲間が出て来ておられるのか調べてみましたが
「 幾人かいる」 というだけで明確なお答えが降りて来ていません。
どうも「 いう必要もないし、いう気もない」 といういやな雰囲気をひしひしと感じますが、そこは宇宙全史ですからネチネチとお聞きしています。
名前はわからないのですがわりと古い方で、ロシア、モンゴル、アラル海に出ていて、書物には残っておらず、ローカルな伝承では伝わっているという方もおられるようですが、ローカルな伝承では確認のしようもありません。
新しいところではインドの覚醒した行者がいるようですが、これも「 いう必要もなし」 「 いう気もなし」 で見当がつきません。
この行者は地上界にインパクトを与えるというよりは精神世界にショックをもたらすという意味で出て来ておられるようでした。
オーム宇宙の命令系統
聖徳太子の大元はこの宇宙における大自然の精霊のようなものだと書きました。
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その精霊たちはオーム宇宙の近辺で「 巣」 のような基地を持って本来そこに定住しています。
そこはこの宇宙の最終実験星である地球とつながっていて、いつどこへでも出現できるようになっています。
出勤するときはJUMUやUMUからの命令で出て来るわけではなく、もっと上の要請といいますか会議のようなもので決めて出て来ています。
その辺りもあまり明確に教えてはもらえず、銀河団よりももっと上ということくらいしかわかりません。
どちらかといいますと割合「 自分本位」 といいますか、自分たちのやりたいことが明確に出ている方たちだという事がいえるようです。
私( 遊撃手) たちは地上に出るときは必ず枠があり、何かしらの殻に閉じ込められて出なければならないようになっています。 その殻がどこかの集合魂のカルマであったり、人類そのもののカルマであったりはするのですが、そういう枷のようなものをまとって出てこなければならないようです。
そこは何故なのかお聞きしますと、
「 エネルギーの差だね」
ということでした。
以前聖徳太子を収録した時に私語になりましたので書いておかなかったのですが、お互いがぼやくことがありました。
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聖徳太子
「 あなたはいいね」
「 こっちは( 分からんちんばかりで) ひどかったんだよ」
●( 私)
「 いやいやそうでもないですよ」
確かに聖徳太子もご苦労されたでしょうが、終末期の地球も中々のものなんですよというようなやり取りがありました。
月読之大神
「 まぁ、ぼやくことぐらい許してあげるわ」
「 ただね、ぼやいて停滞してしまうこと、そこで後ずさりしてしまうことはこちらとしては望んでないね」
ちゃんとくぎを刺された私達でした( 私だけか)。
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予言の書
聖徳太子が予言の書のようなものを書いていたのではないかという噂が飛び交っていますが、そのあたりを確認してみました。
月読之大神
「 ない」
どうもそういうものはないようですが、彼が生前「 近い将来こうなるよ」 とか「 あそこはやがてこうなってしまうね」 くらいのことは頻繁にいっていたようです。
それも小さいころから「 あの人は死ぬ」 「 病気だけど大丈夫」 とかいっていますから、知る人は結構知っていたようですし、噂にもなっていました。
しかし「 平安時代が終わる」 とか「 江戸幕府が出来る」 「 明治政府が出来る」 などという大きな歴史的なことには全く言及していません。
せいぜい「 大きな都が出来る」 「 京都に都が出来る」 という平安時代初期あたりまでのことはいっていました。
結局聖徳太子の「 未来記」 らしきものは存在せず、色々文献にあるものを都合のいいように適当にまとめたものがそういう形になっているようです。
しかし実際に近未来のことではありますが、彼は予言的なことは周囲に語っていたことは確かでした。
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それは一種の巫女的行為になりますから、その場合陰始に利用されるということがなかったのでしょうか。
そこを検証してみました。
聖徳太子と陰始
聖徳太子の場合は仏教を普及するのに勤めていました。
そこを陰始に利用されています。
つまり宗教としての仏教という集客作用をエネルギー収奪に利用されているのです。
しかし確かに仏教は( 仏教だけではないのですが) 陰始に利用されましたが、人々にとってたとえ陰始にエネルギーをとられても、仏教という高度な教えがあったことは人間として良かったのではないのでしょうか。
月読之大神
「 仏教はあっていいと思うのよ」
「 でもその仏教を利用して」
●とるのは陰始の勝手ですが…
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「 エネルギーがきちんと自分に還流するっていう意味なら100パーセント良かったと思うよ」
「 そうね」
「 私から見るとまぁ取られて可哀そうかなっていう感じの思いをする」
●そうなんですか
「 効率悪い」
「 遅れたじゃない」
「 そのせいでさ」
●でも陰始を地球に呼び込んだのは月読之大神ですよね
「 私は呼び込んだりしてない」
●でも許可はしていますよね
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「 許可したのはそう」
「 でも呼び込んではいないんだよ」
「 黙認した」
「 で、ここまで効率が悪いとは思わなかった」
( 月読之大神でも予測が狂うということがあるのでしょうか。
そこでさらに質問をしてみました)
月読之大神
「 経過を見ているだけ」
「 ただ予測というか」
「 まぁ私達にも希望はあるからさ」
●希望とは何でしょうか
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「 こうなったらもっと効率いいだろうな」
「 もっと短いだろうな…とかね」
●月読之大神レベルでも未来は定まっていないんでしょうか
「 完璧に定まっているわけではない」
●その不確定要素っていうのは何でしょうか
「 不確定要素があなた達の産み出すエネルギーではあるよ」
●私たちの産み出すエネルギー…
「 《 ゆらぎ》 っていうことかな」
●ゆらぎっていうのは不確定要素なのでしょうか
「 不確定要素だね」
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●それは月読之大神にとっての不確定要素なのでしょうか
「 そうね」
●もっと上の存在にとっては不確定要素ではないのでは?
「 ゆらぎでさえ不確定要素ではない」
「 まぁあなた達が言う《 計画》 だね」
●でも計画という言葉の中には…何ていうんだろう…不確定要素が含まれていますよね
「 そうね」
●不確定要素がないものっていうのはあるのでしょうか
「 この宇宙ではない」
●この宇宙では…もっと上の方では
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「 割と上の方でもそれは存在してる」
「 むしろ存在《 させてる》 っていう感じかな」
●させているのは何でしょう
「 そのまた上」
●また、前の問答になっちゃいますね…これはまたこのあたりで打ち止めにしておきます
私と月読之大神の問答では常に行き止まりになってしまうテーマがあります。
それはひとえに私の境涯がつまらないところに留まっているためですが、それでもそこから深遠を垣間見る試みはいつも続けています。
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( 注:この見開き右側の片面、218ページ目は丸々余白になっている)
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第26章 レオナルド・ダ・ヴィンチ
┏―――――――――――――――――――――――――
| 
| 芸術家、「 万能の天才」
| 
| 生没年:1452~1519
| 
| 出身地:フィレンツェ共和国( 現在のイタリア)
| 
| 
|  14歳の時にフィレンツェの有名画家ヴェロッキオに弟子
| 
| 入り、芸術のみならず設計、化学など幅広く研鑽を積むが
| 
| 作品が思ったように評価されずにミラノへ移住する( 30歳
| 
| 頃)
| 
|  その後ミラノ公( ルドヴィーゴ・スフォルツァ) の庇護
| 
| のもとで芸術家としてのほか軍事技術者、音楽家などとし
| 
| ても多彩に活躍するもやがて第二次イタリア戦争が勃発
| 
| 拠点をヴェネツィア→ チェゼーナ→ フィレンツェと移す生
| 
| 活を強いられる( ミラノに戻れたのは1506年のこと)
| 
|  1516年にパトロンのフランソワ1世の居城の側に邸
| 
| 宅( 「 クルーの館」 ) を与えられ、そこを終の棲家とした
| 
| 
| 作品―『 受胎告知』 『 最後の晩餐』 『 モナ・リザ』
| 
|    『 洗礼者ヨハネ』 など
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これからの地球のキーパーソン
ダヴィンチはすでに速やかに集合魂に戻ってそのバックアップをしていますが、地球に残りたいとも思っています。 もちろん集合魂の意向も「 残りたい」 なのですが、それでもこのダヴィンチという意識( 魂) は集合魂に埋没しないで「 自分が再出動したい」 と非常に強く思っています。
( ピカソの章で書きましたが、おそらくダヴィンチもピカソのようにアーティストの集合魂状態になっていて、強力なエネルギー場を有しているため、個としての魂を永続させているのだと思います)
とにかく、
「 もっと創造したい」
「 もっとやりたい」
「 もっともっと」
という感じで前へ前へという意欲、生きたい力、地上に出て行って生きたいという力がすごく旺盛です。
本来出たばかりなので集合魂の中での順番待ちというのがあるのですが、それがもう待てない、今これからの地球にどうしても出たいとうずうずしています。
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確かにこれからの20年間は彼が出てきたら活躍する場はいくらでもあるでしょう。
そしてどうやらこれからの移行期に必要なものを人類にもたらすため、彼は本当に出て来るようです。
彼が出てきたら一番やりたいことは何でしょうか。
500年前に生きていた時、芸術はもちろん科学、数学、土木、建築、工学、医学、兵器とあらゆるジャンルにわたって当時としては突出した力を見せつけていた人です。 それが今の世に出て来て、まずやりたいこととは何なのでしょうか。
「 科学」
「 科学と自然の融合」
そうおっしゃっています。
おそらく感じではエネルギー的なことをやりたがっているようです。 地球移行期の動乱の20年で私たちが最も困ることはエネルギー供給がなくなることです。
地面が陥没し、火山が噴火し、地震であちこちが地割れした時、交通手段、輸送手段は寸断してしまいますから、通常の車のようなものはもう使用できなくなってきます。
いつかはるか未来にはUFOのような乗り物が重力制御で飛び交うこともあるかとは想像していましたが、そういうSF的な乗り物がもう近い将来に実現してくるようです。 それは空も海も陸上もどんなに荒れていてもスイスイ飛びますから、今からは想像も出来ないような便利なものになりそうです。
ただそれを動かす動力が問題で、そのエネルギーと動力機関などをたぶんダヴィンチが生み出すのではな
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いかと推測しています。
世界の崩壊に先立ちまして、まず日本から壊滅が起こり始めることはすでに「 20年後…」 の本で書いておきました。
そしてその瓦解した日本の中から多くの新たな発明や工業、文化が勃興してきます。 それではその中にダヴィンチはいるのでしょうか。
ダヴィンチはこの世に再誕したのなら当時は色々制限のあった芸術活動を思う存分好きなだけ地上に展開したいのではと思ってしまいますが、どうも今回はそうではないようでした。
当時もそうですがあれだけの芸術作品を残しておいて、あれは「 たしなみ」 程度のものだったようです。
ですから今回も出て来てたぶん絵も描くこともあると思うのですが、それもおそらく彼にとっては「 たしなみ」 程度のものになるようです…が、私たちにとってはそれなりにすごい芸術作品ということになるのでしょうか。
ヴォイニッチ手稿
以前宇宙全史のネット上にある質疑応答のBBSで「 ヴォイニッチ手稿」 について質問がありました。
その時は他が忙しくて保留にしていましたが、ダヴィンチの出所について調べているうちにどうしてもこのヴォイニッチ手稿と交わる必要が出て来ていますので、ここでこの奇書について調べました。
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ご存じかもしれませんが簡単に説明しておきますと、ヴォイニッチ手稿とは1912年にイタリアでヴォイニッチ( アメリカ人) という人により発見され、解読のできない文字と不思議な絵で構成された直筆の羊皮紙で出来た手作り本です。
このヴォイニッチ手稿につきましてはネットで検索しますと内容はほとんど見られますので、そちらで確認してみてください。
これまで多くの研究者がこの本を解読しようとして来ていますが、正確な解読は全くなされていません。
それにはわけがあるのですが、その詳細をこれから解読していくことにします。
手稿はどこで作られたのか
この本の由来は現在全く不明で、様々な説がありますがすべて間違った推測から来ているものになります。
まずヴォイニッチ手稿が作られた場所を特定していきます。
そこはイタリアとクロアチア( あるいはボツニア・ヘルツェゴビナ) の間にあるアドリア海に浮かぶラストボ島という周囲35キロ程の小さな島でした。
イタリアはよく長靴に例えられますが、ちょうど長靴のふくらはぎの中間地点の沖合にある島です。
さびれた漁村が点在するくらいで、多少の畑や牧畜はありましたが、人口が200人足らずの僻地の島でした。
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そんな所でどうしてこのヴォイニッチ手稿が書かれたのでしょうか。
いま「 書かれた」 と書きましたら、
「 編纂だね」
と修正がありました。
どうも一人でやっていたのではなく、複数の人間が関わっていたようです。
メインは1人でしたが、常時2人くらいで、たまに増えて3人という具合でやっています。
時は16世紀の後半でしたから、イタリアのローマやフィレンツェなどという大都会なら黒魔術とか悪魔崇拝、もう少しまともな錬金術等々、精神世界系の土壌はありました( 手稿に使用されている羊皮紙の炭素年代測定で15世紀の前半という結果もありますが、羊皮紙は古くても、手稿自体が作られたのは1500年代の後半です)。
しかし地図で見つけるのも困難なアドリア海に浮かぶ小さな島で、細々と漁業やヤギを飼っているくらいの村でどうしてこのようなレベルのものが作られたのでしょうか。
誰が作ったのか
ヴォイニッチ手稿には奇妙な文字と共に多くのイラストが描かれています。
その絵はかなり達者な人が描いたもので、半分プロ並みの絵になっています( しかも元々相当才能のある
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| 注:この本誌片側左面の226ページは、ヴォイニッチ手稿の
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| この四角の枠線を図版としたら、その下部に横書きで説明が
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| 入っている。 枠線下部にその文章を設置する。
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ヴォイニッチ手稿で目を引くのが湯浴みをしている様なこの女性群です。 これは文章中にありますように、実際にこういう小人のような女性たちが存在していて、様々な用途で植物人間が使用しています。
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人の絵です)。
ですからおそらくどこかで絵を学んだ経験がある人だと思われますが、こんな辺鄙な小さな島ではそれには無理がある感じです。
ヴォイニッチ手稿を書いた人はフーリョ( FULVIO) という名のイタリア人で、元々イタリア本土に住んでいました。
イタリアではわりとあちこち転々としていますが、主にボローニャやサンマリノを拠点として活動していました。
風貌はインテリっぽい感じですが、商人、役人、学生風というちょっととらえどころのない雰囲気も持っています。
元々は学生で助教授の秘書のようなことをやっていました。
足が軽いので助教授は重宝していたのですが、手も軽くて女癖が悪く、助教授の上の厳格な教授に嫌われクビになっています。
当時はみんなそんな感じでしたから仕方がないといえば仕方がなかったのですが、いかんせん教授の頭が固すぎました。
そこから食いっぱぐれてしまい色んなことをやっています。
今風にいいますと「 何でもやります」 的な便利屋をやっていましたが、当時オカルトっぽいことが流行っていましたので、そういう方面にも色々関わっていくようになっています。
そんな中、招霊会といいますか交霊会で「 亡くなった人に会おう」 みたいなイベントがあちこちで開催さ
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れていました。 そこに彼も関わることになるのですが、それがまともなものではなく、詐欺まがいのイベントだったのです。
つまり詐欺の片棒を担がされたというわけですが、結局それがばれて逃げ出しています( 実はこの時も女性に手を出していました)。
それまでにちまちまと小金はためていたので、悪仲間の伝をたどりサンマリノから船に乗り、ラストボ島に渡っています。
こういう島にはまともな村人もいますが、海賊や逃亡者たちもいて、紛れ込むにはちょうどいい場所だったのです。 またそういうところでは警察も中々手が出せないという事がありました。
この時彼は26歳という若さでしたが、とりあえずほとぼりが冷めるまでは島にいようと決めています。
島では村人から使っていない小さな小屋を借りて住み、食事や身の回りの世話は、近所のおばさんや娘さんにお金を渡してやってもらっています。
島に住みだしてしばらくすると彼に変化が起こります。
初めは夜寝ているときに奇妙な夢を見るという程度でしたが、それが次第に起きていても目の前に展開するという事態になっていきます。
そしてさらにそれが進行していき、単純に「 見える」 というところから、その世界を感じるという感覚に入っていっています。
これは彼の境涯がこのラストボ島という場所の地場に合致したという事があり、そこで突然インスピレーションのようなものがどんどん湧いて出て来ているのです。
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| 注:この本誌片側右面の228ページは、ヴォイニッチ手稿の
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| この四角の枠線を図版としたら、その下部に横書きで説明が
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| 入っている。 枠線下部にその文章を設置する。
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小人の女性には主に2種類の用途があり、観賞用と( 奴隷ではないのですが) 使役用の女性たちがあります。 使役用の女性たちは食事を作ったり、掃除をしたり、作物を作ったりもしています。 ここに描かれているのは働く女性小人です。
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| 注:この本誌片側左面の229ページは、ヴォイニッチ手稿の
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|   図版になっている。
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| この四角の枠線を図版としたら、その下部に横書きで説明が
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| 入っている。 枠線下部にその文章を設置する。
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一見地球上のどこにでもあるような植物も手稿のなかにはあります。 この世界が私たちの世界い近いため相関的な形態も存在しています。
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その内自動書記のようなものも始まって、絵心がありましたから浮かんだイメージを絵に描いています。
元々彼はそういうオカルトっぽいものが好きでしたから、それが自分の身に突然降りかかって来たものですから驚きますが、とりあえずそこらにあった紙( 羊皮紙) に書きとめています。
その時彼はイタリア本土と全く断絶していたというわけではなく、イタリア本土から手紙や生活必需品を運んでくる業者のような人間が何人かいました。
その情報網を頼って、昔の仲間たちに「 俺にこんなことが起こっているのだがどうしたものだろうか」 と伝えています。
それを聞いた仲間も面白がって島に渡って来ています。
彼らは詐欺師みたいなこともしていましたから、逆に「 これは本物だ」 と直感しています。
そこからお金持ちの好事家( パトロン) を呼んでいます。
それを見て「 面白い」 となり、「 もっと見せて」 「 もっと欲しい」 となり、「 これじゃあダメで、ちゃんとした本にして残そう」 ということになっています。
そこで結構なお金をもらい、本格的に書き散らした紙をまとめ、更に精力的に書き続けていきます。
この情報は伝をたどって最終的にボヘミア王のルドルフ2世にまで届き、王が600ダカット( 金貨) でヴォイニッチ手稿を買い取っています。
( 現在1ダカット金貨の取引価格は約1万4千円程ですから、単純に計算して840万円位になります・ただしこれは目安で当時の実勢価格とは少し離れています)
この時あたりから一人で書くというのではなく、一人はイタリアから来た仲間でフーリョの雑用をしたり
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フーリョが書いたものについて話し合ったりしています。 もう一人は島の人間で絵心があり、アシスタントをやっています。 絵を描くというのではなく、フーリョが描いた絵に色を付けるという作業をアシスタント的にやっています。 まるで現代の漫画家のアシスタントのようです。
こうした量産されたヴォイニッチ手稿は、すべてそのままの状態で本にまとめられています。
清書とかはしておらず、草稿のままという感じで、手で簡単に本の状態にしたものですから、手稿というカテゴリーに入るのでしょう。
2冊あったヴォイニッチ手稿
このヴォイニッチ手稿といわれるものは実は2冊あり、現在見つかっているもの以外にもう1冊あるはずです。
その1冊は発見されているものよりも小さく、内容は同じようなものですが、もっと大雑把でページ数も少なく、薄いものでした。
それが最初に書かれたもので、それからさらに今発見されているものを詳しく2、3人がかりで編纂しています。
この最初に書かれた小冊子は朽ち果ててはいず、いずれどこかからか見つかるかもしれません。
作者のその後
さてこの手稿の作者フーリョはその後どうなったのでしょうか。
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