Da4
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( 注:この見開き右側の片面、146ページ目は丸々余白になっている) 
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第19章 ニュートン
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| 学者
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| 生没年:1643~1727
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| 出身地:ウールスソープ=バイ=カールスターワース( イ
| 
|     ギリス)
| 
| 
|  幼少期に実父を、14歳で養父を失い、以後祖母に育てら
| 
| れる
| 
|  1661年、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジ
| 
| に入学
| 
|  1665~66年の間に流行したペストの影響で大学が
| 
| 閉鎖し故郷で思案に没頭する機会に恵まれたことが「 万有引
| 
| 力の法則」 「 運動の法則」 「 流率法( 微分積分法) 」 など
| 
| 多くの発見につながり( 「 創造的休暇」 ) ケンブリッジ大
| 
| 学のルーカス教授職に就任( 1669年) 、在職中に「 光
| 
| 学」 「 プリンキピア」 を書き上げた
| 
|  先の二大主著の執筆後、研究を巡る軋轢などもあり一
| 
| 時は精神的に不安定な状態に陥るも1896年に弟子の
| 
| チャールズ・モンタギューの推薦で王立造幣局監事に就任
| 
| し1899年には長官に昇進すると精力的に仕事に打ち込
| 
| み死ぬまでその職を務めた
| 
| ( この間、王立協会会員、庶民院議員、王立協会会長、グ
| 
| リニッジ天文台観察委員長もつとめている)
| 
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集合魂に戻っていないニュートン
彼が亡くなってからすでに300年近く経っていますが近代科学の父ともいえるニュートンはどうしているのでしょうか。
彼は新しい地球に残ろうとしているのでしょうか。
彼の思いを見てみました。
「 必要とされるなら残らないではない」
数学も科学も近代文明の礎を作った方ですから多少偉そうなのは仕方ないですが、それにしてもちょっとな感じです。
しかしそれ故にこのままだと彼は消えていく方のカテゴリーに入ってしまうことになります。
それは彼の思いが「 望まれるのなら」 「 必要とされるのなら」 「 残らないではない」 という一見エラそうに見えるその思いが「 人に依りすぎる」 ということなのです。 彼自身の思い「 自分がどうしたい」 「 自分が残りたい」 という思いがそこにはないのです。
ただ彼の中には「 必要とされたい」 という部分で引っかかるところがあるので、そこに一縷の望みがないこともないのです。
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しかし彼は今幽冥界に一人でポツンといます。 魂の故郷である集合魂には戻っていません。
何故なのでしょうか。
彼には「 必要とされたい」 という思いはあるのですが、先ほどもいいましたようにその中に「 自分が」 というところがなぜか希薄になっているのです。 「 自分が」 という思いが希薄ということは「 エゴ」 が薄くていいのではないかと思うのですがどうも逆のようで、エゴがないのではなく却ってエゴだらけということがいえるのです。
ちょっと難しいですが、エゴだらけなのに「 自分が」 という思いがないということはつまり「 人に依っての自分」 、人に求められて、必要とされてのエゴでしたので、ある意味自分が空っぽなのです。
「 今自分がどうしたい」 というのがそこにはないのです。
地上にいたときは好奇心いっぱいで一生懸命精力的に探求して色んなことに邁進していました。
でも今は空っぽなのです。
エゴ
ニュートンは生きているとき「 人に必要とされなければならない」 という思いが強くありました。
人に必要とされて初めて自分があったといってもいいでしょう。
ところが今はそれがまったくないのです。
幽冥界の彼の周りには誰もそういう人がいないのです。
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しかしあの世という想念界では「 自分が思ったことが即実現する」 という法則があります。 それはニュートンでも例外ではないのですが、彼の場合は必要とはしているのですが、その必要としている人が、「 必要とする」 人を「 必要としたい」 のです…ややこしいですね。
なぜ望んでいるのにそういう人たちが彼の周りにはいないのでしょうか。
よく見てみますと彼が「 彼を必要とする人」 に条件を付けています。
そこに一定のステイタスといいますか、ステージを持った人でないと嫌だという一種の虚栄心に似たものがありました。
「 自分を評価してくれる人達はものすごく立派な人達じゃなきゃいけない」
自分が認めた立派な人たちじゃなきゃ駄目だといっています。
そういう人たちが認めて必要としてくれて、崇め祭ってくれないと嫌だという、ちょっとわがままな人なのです。
生きているときはそれが「 称賛」 としてありましたが、今は彼の周りにはそういう人たちは一人もいません。
しかし彼の思いは今でもそのままなのです。
かなり変わった方のようです。
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ニュートンの出身星
何度も申し上げますがニュートンは近代科学の土台を作った方です。 その彼がどうしてそんなにつまらないところで躓いているのでしょうか。
自分に自信がないといいますか、自己完結すべきピースがポンッと外れてしまっている感じなのです。
そこで満足できない、空っぽなのにそこでしか満たされないと思い込んでいるエゴがあります。
ニュートンの集合魂はどこから来ているのでしょうか。 今度はその方向から探ってみます。
集合魂全体はやはり頭のよい人たちですが、称賛を得たいという思いも非常に強いものがあります。
そしてその称賛が「 快楽」 に直結するというすごい構造がそこにあります。
何かエル・ランティに通じるところがあります。
ですからエル派閥ではあるのですが、エル何とかというエルの称号が付くような階級ではなく、支配される側のイルプロラシオンにあった非常に特殊な階層でした。
しっぽ切り
20年後の地球には「 自分たちだけが楽しければそれがいい」 という人たちだけが残りますから、人に崇めてほしいと思っていても、地上にもあの世にもどこにもそういう人はいなくなってしまうのです。
そうすると自ずとニュートンの集合魂の行く末が見えてきますが、それはどうなのでしょうか。
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●残りたいと思っても残れないのではないでしょうか
月読之大神
「 その辺だろうね」
「 かなり残らない方には傾いてはいるだろうね」
「 完璧にそっちに傾いているわけじゃないけどさ」
「 どっちかというと残らない方のほうが強いね」
ここでニュートンさんの守護霊さんに確認してみました。
守護霊
「 どうにもならない」
「 話しかけてはいる」
「 問いかけてはいる」
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「 でも本人が殻に閉じこもってしまっている」
守護霊さんというのはこの世でのコンタクトよりあの世でのコンタクトの方が格段にやりやすいはずです。
しかしニュートンがあまりにも頑なにシャットアウトしてしまっていると、逆に肉体がない分少し厄介なところがあるようです。
月読之大神
「 殻に閉じこもっちゃうと結構鉄壁なのよねぇ」
このままですとニュートンは地球を去っていく、あるいは消えていきますが、集合魂はどうなるのでしょうか。
集合魂
「 踏ん張りたい」
●踏ん張れるのでしょうか
月読之大神
「 そうね」
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●すでに伺っていますが、地球界の想念界におけるアセンションは幽冥界が決定するはずですが…つまり今幽冥界にいるニュートンが決定権を持っているのではないのでしょうか。
「 その通り、しかし集合魂の踏ん張りたいという思いが強いね」
「 幽冥界が決めるのだけど、今は集合魂が踏ん張りたいという意志の方が強いから…どっちに転ぶかな…っていうと残る方に転ぶ感じだね」
●そんなこと出来るのでしょうか
「 出来る」
●それでは幽冥界に迷っている魂が残っていても、集合魂が強く思えば地球に残れるんですね
「 幽冥界が決めるということは原則なんだけどね」
「 まあ残れるね」
●それならば自分たちの集合魂の中から悪い要素をみんな適当な魂として地上に放り出して、それが死んだら( おそらく幽冥界に行くでしょうから) 幽冥界に置き去りにして集合魂だけさっさとアセンション
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してしまえばいいということですか
「 集合魂のエネルギー数値というかそれにもよるよ」
●そういうことが出来る集合魂もあるということですね…それではニュートンは捨て駒になるということですね
「 まあはなれ駒のようなものかな」
●もともとそういう意図だったのでしょうか
「 そういう意図はしていない」
「 結果論としてはなれ駒になってしまった」
「 取り込みたいとは思っている」
「 集合魂はね」
●今はどうしようもないのですね
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「 本人が頑なだからね」
●もう少しニュートンが生きているときにチヤホヤしてあげたらどうだったんでしょうか
集合魂
「 やった」
「 出来るだけはやった」
●でもニュートンは子供時代に両親の愛情を受けられるような状態になかったじゃないですか。 そこを克服してあれだけの業績を上げているのですから、もう少しチヤホヤしてあげてもよかったのではないでしょうか
「 本人がどう取るかっていうのは本人次第だから」
「 こっちはできる限りのことは全部やっている」
「 サポートはしてる」
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「 両親のことはこちらで協議のうえで出したことだからね」
●そうかそういうカルマを背負った上で納得して出て来ているんですね
月読之大神
「 最大限やっぱり力を発揮する為に、つまりカルマの解消という形をする為には力のある所ほどそういう所あるよ」
解消すべきもの
それではニュートンが集合魂から持ってきた「 向き合って解消すべき感情」 とはいかなるものだったのでしょうか。
その一番大きかったのが「 他人から称賛されたい」 というものでした。
自分はもっと称賛されるべき人間だという傲慢さから抜けられていないのです。
生きているときにそれだけのことをやっていたのですが、自己評価が非常に低い人なのです。
月読之大神
「 それは自分自身で納得して埋めなきゃいけない感情だったよ」
●でもそれは彼が幼いころ両親の愛を受け取れなかったというところが大きいのではないのでしょうか。
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「 発端はね」
●そこから何とかしてほしかったというのが集合魂の願いだったんでしょうね。
それにしても集合魂としては「 サポートはしている」 といいつつも、ニュートンに重いカルマを押し付けて、地上でクリア出来なかったら切り離して、自分たちだけアセンションしていくというやり方はあまりにも合理的といえば合理的ですが…私も魔導師たちのカルマを背負って降りて来ていますから…何か共感する部分があります。
しかし月読之大神によりますと、ニュートンと異なり私の背負っているカルマがあまりに重いので、そういう場合は切り離すことは出来ないようです。
ニュートンの本音
殻に閉じこもってしまっているニュートンに何か気づくよすがのようなものはないのでしょうか。
月読之大神
「 100%ないことはない」
●どういうものでしょうか
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「 共感するものがあれば」
●彼は何に共感するのでしょうか
「 それは彼自身あんまりよく分かってないようなんだね」
さらに彼には強力な選民意識のようなものがあり、ひとことでいいますと「 馬鹿は好かん!」 という波動をまとっています。
初めはみわが話していましたが、
みわ
「 ちょっとお願いします」
ニュートン
「 話にならん」
とけんもほろろです。
仕方がないので私が、
「 どうしたいの」
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と聞くと、
ニュートン
「 楽になりたい」
と答えてきました。
そうなるとこっちのものですから、すぐに五井先生のお祈りを教えようとするのですが、スパン!とシャットダウンされました。
それはニュートン自身がやっていますが、どうも守護霊たちも間に入ってやっているようです。
それまでは守護霊さんたちはノータッチでしたが、五井先生のお祈りを教えようとしたとたんに介入して来ています。
どうやら彼らには「 怖れ」 があるようです。
その「 怖れ」 とは一種の「 壁」 のようなもので、五井先生の大きな慈悲の波動が理解できないようで、それがどうも怖いらしいのです。
自分たちが持っていない、想像もできない巨大な「 愛」 に怯えているのです。
その怯えは彼らのプライドから来ているもので、その無駄なプライドを守るため「 怖れ」 という感情にすがるしかなかったようでした。
最後は「 楽になりたかったら連絡してきなさいね」 と申し上げて通信を切りました。
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第20章 ジャンヌ・ダルク
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| 軍人
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| 生没年:1412~1431( ユリウス暦)
| 
| 出身地:ドンレミ( フランス)
| 
| 
|  12歳の時に大天使ミカエルから受けた「 フランス
| 
| からイングランド軍を駆逐し王太子( シャルル7
| 
| 世) を王にせよ」 という命に準じシャルル7世に謁
| 
| 見、その正当性を認められたことからオルレアン包
| 
| 囲戦への参加を許され劣勢だったフランス軍を勝利
| 
| に導く( 1429年)
| 
|  その後、勢いに乗ったフランス軍を指揮して領土
| 
| を半分まで取り返すも1430年にブリュゴーニュ
| 
| 公国軍に捕まりイングランドで異端審問にかけられ
| 
| 火あぶりの刑に処された( その死後わずか25年で復
| 
| 権裁判の末に無実と殉教が認められ、20世紀には列
| 
| 福、列聖されている)
| 
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シャルル7世の奇跡
日本でいいますと戦国時代のような感じでしょうか。
しかし戦国時代ほど群雄割拠していたわけではないのですが、フランス内部の2極対立の隙につけ込んで、海をこえたイギリス( イングランド) が侵攻して来ています。
ですから国内だけの戦いではなく、そこではフランスの存亡を賭けた闘いが繰り広げられていました。
ジャンヌが歴史の表舞台に出て来るのは、シャルル7世がまだフランス国王になっていない時、シャルル7世派のフランス軍がイングランドとの闘いに連戦連敗している時期でした。
このあたりのお話は皆さんよくご存じでしょうから少しはしょりますが、農家の娘だった12才のジャンヌが天啓を受け、シャルル7世の軍を助けて当時まだ王太子( 王子) だったシャルル7世を正規の王に就けるというものでした。
田舎の農家の少女が神のお告げを受けたという噂を聞いたシャルル7世はジャンヌと会うことにします。
ジャンヌが謁見した時、シャルル7世は彼女を試します。
その結果シャルル7世も臣下の者たちもたちまちジャンヌを信用してしまうのです。
しかしその時何をジャンヌに試したのかは歴史には残っていません。
今回はそこを調べてみました。
その時まではシャルル7世もその取り巻きの人たちもジャンヌが神のお告げを受け取ったということには
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半信半疑でした。
そこで謁見前にちょっと準備しています。
一つはシャルル7世自身に臣下の服を着せ、似たような臣下にシャルル7世の衣装をつけさせて中央の豪華な椅子に座らせています。
そこにジャンヌが来るのですが、中央にいる偽のシャルル7世の方は見向きもせずに真っすぐ脇の臣下
( 本当のシャルル7世) の方にいきひざまずいて礼をします。
これには一同驚きますが、ジャンヌは冷静にそのまま問答を続けます。
その後シャルル7世の家族の構成や、母親の出身などを聞かれてジャンヌは正確に答えています( シャルル7世のような人の家族構成など誰でも知っているかと今は思いますが、当時は意外とそんなに知られていることではありませんでした)。
この時ジャンヌに教えていたのは大天使ミッシェル…宇宙全史ではミカエルというものでした。
その後ジャンヌはシャルル7世の正式な軍に加わり、連戦連勝を重ねていきますが、シャルル7世が王位についた後、敵軍につかまり不当な裁判により火あぶりの刑に処せられてしまいます。
煽動の火
一人の少女が今から約600年前にフランスを救いました。
それも身を挺して前線で自ら指揮をとり、傷つきながらも兵士たちの士気を高め、常に勝利をおさめていったのです。
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そのパフォーマンスは現代に至るまで多くの人たちを鼓舞し、宗教的には「 聖人」 、人間的には「 英雄」 としてほぼ神格化されています。
それでは実際のジャンヌはどういう女性だったのでしょうか。
一介の少女がフランス軍を率いるというあり得ない現実の中では、誹謗中傷、裏切り、妬みが渦巻いていました。 特に火あぶりになった裁判の前後は醜い人間の有り様をまざまざと目前で見ています。
しかしそれでも彼女の本性は一言でいいますと、
「 人が好き」
それですごく純粋に神様を信じるというピュアさを持った女性でした。
このジャンヌを利用したのがミカエルであり、そのミカエルを通じてエネルギーの奪取をはかる陰始でした。
しかし利用したのはしたのですが、現実的にジャンヌはフランス人民に今日に至るまで勇気とアイデンティティを与え続けているのも事実です。
そういう意味ではエル派閥のミカエルもそんなにバカな事ばかりしていたわけでもないとは思うのですが、ジャンヌの最後の火あぶりによる処刑はチグハグでした。
結末が「 火あぶりにした方が焦点が彼女に集まりやすい」 という理由からやっています。
皆さんの「 同情」 を…つまり「 エネルギー」 を劇的に集めるパフォーマンスとしてやっているのです。
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そもそもが彼女の純粋な宗教心を利用して、その思いを戦いに向かうエネルギーとして変換しています。
それにより多くの人々のエネルギーが極端に彼女に集中し、まとめて収奪するのに便利だったということがありました。
人々を煽動するその炎は、陰始にとっては( あるいはその配下の者にとっては) とても都合のよい美味しい機会になっています。
独裁者に踊らされる人民、プロパガンダに流される知識人、プロスポーツに熱くなる人々、人気歌手に夢中になるファンたち、それはある意味一種の作られた「 煽動」 による効果なのです。
その煽動を担ぐ人、あるいは煽動される人たちも共に陰始の結界の中で蠢き踊らされる人たちなのです。
地球に残りたい
確かにジャンヌはミカエルにより操られ、利用され、そして火あぶりになりました。
しかしそれでも、
「 裏切られても裏切られても人が好き」
その思いが彼女を地球に残らせるのです。
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( 注:この見開き右側の片面、166ページ目は丸々余白になっている) 
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第21章 イエス
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| 「 神の使徒」
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| 生没年:1~33
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| 出身地:ベツレヘム( パレスチナ)
| 
| 
|  大工ヨセフとその妻マリアの子として育ち父の仕事を手
| 
| 伝いながら物思いに耽る日々を過ごす中、荒野で羊飼いの
| 
| 老人( 洗礼者ヨハネ) と出会ったことをきっかけとしてに
| 
| わかにガリラヤで民衆に教えを説き始める。
| 
|  次第に信奉者が増え布教活動が目立つようになるとロー
| 
| マから捕縛命令が出されるもこれを黙殺、32才の時に捕ま
| 
| り異端審問ののちにゴルゴンの丘で磔刑に処された
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奇跡( 超能力)
人類の歴史では多くの聖者、聖職者、教祖等が神通力、自在力、超能力などを駆使し人心を集めるということがありました。
イエスもその一人で病人を癒したり水上を歩くというパフォーマンスは有名です。
しかしその超能力( キリスト教では奇跡とかいっていますが) のエネルギーは一体どこからきているのでしょうか。
「 それは普通にイエス本人から来ているんじゃない?」 と思われるかもしれませんが、詳細に調べてみるとそうではなかったのです。
まず実際には「 宇宙全史」 第一巻で書いておきましたように、一つには「 人類の贖罪」 という一面があったことは確かです。
それがイエスの本望なのですが、反面「 利用された」 というパフォーマンスであったことも事実でした。 そのパフォーマンスというのは陰始の操作であり、陰始の操作を受けたエル派たちの意図でもありました。
それ故本来あそこまでの奇跡といいますか超能力を発現することは出来なかったにもかかわらず、それが可能だったのは多くの人々から集めたエネルギーをそうした超能力に変換してイエスに降ろしていたということがありました。
しかし仏陀や五井先生、植芝先生もそういう力をお見せになっていますが、そういう力の由来はどこから来ていたのでしょうか。
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仏陀の場合は集めておられますが陰始を通してではなく、ご自分でやっておられます。
五井先生の場合はご自分の霊団や守護霊の力がものすごく大きく、それでまかなっておられました。
植芝先生は自然の力といいますか精霊の守りが強く、その発現が特異な形で現れています。
仏陀のお弟子さんなどにも自在力をお持ちの方がおられましたが、その場合通常は簡単に陰始に傾いてしまう方もおられましたが、すべて仏陀の目で修正させられていました。
傾きそうになると仏陀の目で全部修正しています。
ちょっとおかしくなり始めていると、仏陀にキュッと見つめられると「 ハッ!」 となって、そこで気づくといいますか覚醒しています。
しかし仏陀が亡くなってしまうと何人か陰始に囚われてしまったお弟子さんはいたようでした。
西洋世界をコントロールするために利用されたイエス
イエスは地球に残るか残らないかという問いに、
「 ずっと共にいる」
と答えています。
もちろん集合魂に戻っていますし、戻るも戻らないも自由な境涯な魂です。
しかしそういう存在でありながら生前もずっと陰始、そしてエル派の影響( 操作) を受けて、それに気が
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つきもしなかったというのは実に驚くべきことでもありますし、私たち凡夫にとっては恐るべき事実になります。
それではイエスの集合魂はどうしていたのでしょうか。 何も手出しができなかったのでしょうか。
なすがまま、されるがままにしていたわけではなかったのですが、どうも手出しは出来なかったようです。
そもそもその時点で陰始の結界といいますか、システムが回り出していて、そこに手を出すということは不可能だったようです。
それならそのシステムが回り出す前に何とか出来なかったのかと考えますが、そこも無理だったようで、そのあたりは実に巧妙な陰始の取り回しがあったようでした。
いってしまえばこちら側が幼くて、陰始サイドが実に巧妙だったといえます。
その結果としてイエスの十字架での磔というパフォーマンスは、その後の西洋世界の有り様をコントロールすることになっていきます。
例えば十字架による「 贖罪」 という名の犠牲、生贄の正当性、悪魔と神、善と悪という2元対立等の分かりやすい、しかし愚かな幼い価値観を西洋社会に根付かせていくことで、支配しやすい、コントロールしやすい世界を構築していったのです。
イエスの源
これまでの宇宙全史ではイエスの出身は仏陀と同じアルデバランと記してきましたが、今回の収録でとり直してみますと、アルデバランはアルデバランなのですが「 そっち方面」 という曖昧な表現になっています。
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仏陀と全く同じアルデバラン出身ということではなく、アルデバランという星系に基づく方向性は同じなのですが、出身星は別ということが判明しています。
いずれにしましても人類を含む地球生命とその行く末を共にし、慈悲と慈愛に基づく関わりを未来永劫に請願されている尊い存在ですが、どうも仏陀その境涯まではまだまだという感じで、何といいますか…「 慈」 を学ぶ段階にある「 悲しみ」 と「 愛」 の有り様の段階に見えます。
それ故陰始にはかすめ取られやすかったのかも知れません。
それでも私たち人類には親しみやすく分かりやすい有り様であり、これからの地球にはなくてはならない存在だと思います。
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( 注:この見開き右側の片面、172ページ目は丸々余白になっている) 
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第22章 卑弥呼
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| 邪馬台国の女王、巫女
| 
| 生没年:不詳~247頃
| 
| 出身地:不詳( 日本)
| 
| 
|  中国の歴史書『 魏志倭人伝』 に「 親魏倭王」 として登
| 
| 場する古代日本の女王
| 
|  「 鬼道」 に通じて民を支配し、死に際しては巨大な墳
| 
| 墓が建設され100人の奴隷が殉葬されたとされる
| 
|  彼女が統治した「 邪馬台国」 の所在地を巡っては主に
| 
| 九州説と近畿説が存在し、今現在も様々な憶測が飛び
| 
| 交っている( 「 邪馬台国論争」 )
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┗―――――――――――――――――――――――――
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174
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卑弥呼に関しましては宇宙全史のワークでは何度か前に収録してあります( おそらくまだどこにも書いてはいないと思いますが)。
それは卑弥呼自体というよりも「 邪馬台国」 や「 天皇の系譜」 という中に現れる卑弥呼の姿として描写されていました。
しかし天照大神の指示により「 今のところは卑弥呼は放置しておきなさい」 ということでそのままにしてありました。
「 邪馬台国がどこにあったか」 という命題は、日本の歴史学上皆さんがとても興味を持つテーマのようなので明確にしておきたかったのですが、中々出せなかったということがあります。
場所の特定は時代とともに二転三転していますが( これを書いているときは何やらまた新しい事実が判明したようで、邪馬台国は近畿にあった説が有力になっています) 、実際は九州にありました。
そうした歴史的な事実は卑弥呼、邪馬台国も含めてまたどこかで詳しく書こうとは思っています。
今回は「 卑弥呼の今」 にフォーカスして、この本のテーマに沿って調べていきます。
その前に卑弥呼は天照大神の眷属といいますか、分霊の様なもので、そのため彼女のことに関しては天照大神の指示に従うことになります。
それは卑弥呼の今の状態が、直接私が接触すると少し危ない状態にあるということなのですが、それもまた別のテーマになりますので後回しになります。
卑弥呼は新しい地球の時代を前にして、今二つに分裂しています。
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174
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どうも「 片方は残る」 と「 もう片方は残らない」 というあのサタンのような様相を呈しているようです。
魂はサタン並みに大きいのでサタンの女性版かなと思いましたが、そうでもないようで、二つに分裂しているという面では確かにサタンに似ていますが、「 サタンの女性版」 という表現はそぐわないようです。
ただ生きているときは二つの側面を併せ持つ魂ではありました。
例えば性欲とか金銭欲とか政治欲、名誉欲等の要求を重ねるのにすごくストイックだったといいますか、奔放といったらいいでしょうか、そういう側面がありました。
あらゆる欲を極めたい、そしてずっと長生きして、ずっとこの位置にありたいという女性でした。
しかしもう片方ではとてもピュアな巫女の側面もあって…ありとあらゆる欲を奔放に追求するのとは全くかけ離れた天然の、地球原人のような有り様も持つ女性でした。
ですからサタンほどキッパリと白黒分裂というのではなく、もう少し人間的な二つの側面を持つ者としての魂ではあります。
消えるということの意味
卑弥呼のその黒い部分は、
「 もういい」
といっています。
「 もう消える」 と「 陰始に従う」 といっているのです。
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しかしもう片方は、
「 生きて、生きて、もはやずっと生きて、永遠に生き続けて、私はここにいる」
とものすごく原人側を主張しています。
これまで「 地球に残れるかどうか」 をテーマに色々書いてきていますが、それは実際に地球を去って
「 消えていく」 という選択をした魂はどうなっていくのでしょうか。
すでにこの本を書いている時点では、これから未曾有の人間が地上から消えていきます。
「 消えていく」 ということはどういう事なのでしょうか。
その人たちは本当にこの宇宙から消えていくのでしょうか。
多くの人たちにとってはわりと切実な問題ですので少し深く追求しました。
●「 消える」 っていうのはどういうことなのでしょうか
月読之大神
「 いられなくなっちゃうということね」
●「 いられなくなる」 というのと「 消える」 とは違うと思います・「 いられなくなる」 というのはどこか別の所でまたそういう…私から見るとめんどうくさい世界ですけど、支配されようが何しようが、そっち
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の方が好きだから生きていくっていうのと、「 消える」 というのはまた別の話ではないのでしょうか
「 《 消えざるを得なくなっちゃう》 っていうことかな」
「 本人達は消えるためにいってるんじゃないんだけどね」
●「 消える」 っていうのは「 この宇宙から消える」 っていう意味で私は消えると思っているのですが・この地球から消えるっていうなら分かりますが・どこか別の世界へ行くということなのでしょうか
「 《 地球から消える》 といって宇宙へ飛び出した時点で、その人達はもう滅びの道しか選択肢はなくなるのね」
「 そういう意味だよ」
●でも色んな世界があるから、そういう支配される世界もあればもっと低い世界もありますよね・そちらへはいかないのでしょうか
「 そっちにはどうもいかないねえ」
「 いこうと思って食い合いを始めて、それで消滅しちゃう感じだよ」
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「 消滅しちゃうけど、最後の最後の生き残ったやつはどこへいくか分かんないね」
「 いくんだろうね、自分のそのまた世界を探して他の宇宙にね」
●食い合いをして最後の最後に残るやつがいるんですね
「 まあ…いる」
●そういうシステムになっているんですね
「 弱肉強食のほんとに極まったような状態になる」
●卑弥呼さんみたいな大きな魂だと残るかもしれませんし、サタンなんかも残るかもしれませんけども…弱いのが最初にどんどん食われていくわけですね
「 そうね」
●そこで消えるんですね
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「 それに吸収されるといってもいいかな」
「 その食った方にね」
●最後に残ったもの…それが、今回の地球の最初の陰始のタネのようなものなのでしょうか?どこか他の宇宙のそういう成れの果てのような存在だったものが、地球の黎明期に降りてきた…ということなのでしょうか
「 そう」
●どこかで食い合いして残ったものが来ているんですね
「 来てる」
●何かしら残るんですね
「 そうだね」
●消えていませんね
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「 消えていないね」
「 残る」
●なんで消えるなんておっしゃったんでしょうか
「 それが皆さんの奥底のまぁ…最初の気持ちだからね」
「 自分を滅ぼして欲しいけど滅ぼしてくれなくて、じゃあみんなを滅ぼそうとする」
「 でもそれが叶わなくって、思いが変化してしまって、みんなを滅ぼせないのなら仲間のお前達も」
「 自分を滅ぼすけど、お前らも道連れだ、みたいな感じで来てる」
「 でもそれがまた叶えられないと、また地球ごとその魂をポン!と追い出されちゃうと、もうそれは宇宙空間を漂って、同じような魂を食い合って、食い合って、食い合って、それでまた自分を知らない所に潜り込もうとしてどこかにいくしかないんだよ」
「 そういう魂なんだよ」
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●でもどこかでまた復活するんですよね?じゃあ
「 そう」
「 また違う地獄」
「 地獄というか、その魂が生きていける場所が実はあるからね」
「 宇宙にはね」
●そうですよね、消滅はしないと…
「 しない」
「 ただ《 滅びたい》 は永遠の命題だろう」
「 やつら…あの魂たちの」
●滅ぼしてあげればいいのかなと思いますが
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「 そうだね」
●だからそこを滅ぼさないっていうのは「 やつら」 とか仰っていますけども必要なんでしょうね
「 そうね」
●( この宇宙を) 美味しくする為に
「 そう」
私たちの宇宙は「 生命( 意識) の進化」 という大きな命題を持ったまま動き続ける巨大な構造体です。
そこで統括する方たちは一種の「 必要悪」 としての様々なアイテムを活用されています。
それが私たちから見ますと「 無い方がいい」 と見えてしまう有り様なのですが、「 生命の進化」 を「 美味しい」 と表現される統括者たちには、「 必要悪」 はある種の調味料のようなものかも知れません。
なければ無いで仕方がないが、あったほうが美味しいといことかも知れません。
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第23章 空海
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| 僧、真言宗開祖、「 弘法大師」
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| 生没年:774~835
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| 出身地:讃岐国/現在の香川県( 日本)
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|  788年に上京( 平城京) 、やがて大学寮に入るも学問
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| では満足できず山林修行を開始し20代で「 虚空蔵求聞持
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| 法」 を修して「 空海」 を名乗るようになる
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|  804年、30歳の時に遣唐使の留学僧として入唐し師事
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| した恵果より密教の秘儀を悉く伝授されわずか3年という
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| 異例の早さで帰国
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|  その後は日本で真言密教の完成と普及に努め、高野山で
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| 入滅した
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| 書にも優れ「 三筆」 の一人に数えられている
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この本のテーマ「 地球に残れるかどうか」 ですが、大きく分けて3つのパターンがありました。
① 地球には残れない( 滅びを選んでいる)
② 地球に残る( 生きることを選択)
③ 地球に残ることを選んでいる( ①②とは異なり選択の自由を持つ)
人類の大多数は①か②ですが、稀に③の存在がおられます。
そしてこの章の空海も「 見届けたい」 という意図を選択しています。
空海に関しましては史実も充実していますからあまりそのあたりは触れないで、彼の修業時代、山野を駆け巡っていた頃の明らかにされていない部分に光を当てて見たいと思います。
それはやはり歴史の裏事情ということになるのですが、宇宙全史では「 裏」 にこそ本質が秘されているとこれまで多くの信じられないような事実を解明してきました。
そこには自分たちの都合のいいような情報だけを祭り上げた現代の薄っぺらな人類史からは絶対に得られない生きた記録が提供され続けて来ています。 しかしそれを生かすも殺すも受け取る人間次第ですが、陰始に絡め取られた思考形態のままでは、中々受け入れられないのも事実でしょう。
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空海の修行時代
( 求聞持法)
空海が19歳で長岡京の大学寮を辞め山野での修行に入っていきます( 直後の794年に長岡京は平安京に遷都)。
大学で学ぶことがほぼなくなったということがありましたが、少し人間関係に疲れてしまったということもありました。
これはこの章の最後に明かされる空海の性格とも関係があるのですが、発達障害ではないのですが、少し空気が読めない疎いということがあり、下界を離れたいと山に入ってしまっています。
この修業時代に空海は二つの大きな出来事を体験しています。
一つは有名な密教の秘法「 求聞持法」 の成就、もう一つは陰始との闘いでした。
求聞持法に関しましては様々な文献に憶測に近い記述がみられますが、ここでは空海の人生においての最も大切なファクターの一つになっていますので、少し詳しく「 求聞持法」 の本当の姿を調べてみます。
求聞持法とはその修法を一旦成就すれば頭脳明晰、一度見聞きしたものはすべて忘れず、無尽蔵の智慧を授かるというものですが、実際に成就したという人を空海以外に聞いたことがありません。
ここからこの本の内容とは少し軌道がずれていったのですが、色々調べてみますと実際にまともに成就した人間は二十一人でした。
それもすべていわゆる行者と称される方たちで、高名な僧侶とか知名度の高い方などは一切おられません
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でした。
覚鑁上人( 1095年~1144年) が何度か成就したと史実にありますが、すべて完全成就にはなっておらず失敗しておられます。 彼の場合は空海と異なり集中力が終盤無くなっており、各チャレンジで百万回真言( ノウボアキャシャキャラバヤオンアリキャマリボウリソワカ) を唱えてはいるのですが、正確に発音していませんでした。 最後の方は自分ではちゃんと唱えているつもりだったのですが、言えていませんでした。 それで何回もチャレンジはしているのですが( 確か九回くらいやっていたと思います) 、成就はしていなかったのです。
今回調べていくうちに「 求聞持法」 の本当のシステムが解明されていき、そのシステム通りにちゃんとやれば誰でも成就できるということが判明しています。
基本的にあまり面倒な規則はなくザックリと「 こうしてこうすれば良し」 という行法になっていて、何日間で百万回真言を唱えなければならないという時間制限は本来なかったのです。
この発見は私たちにとって僥倖で、やってみたいという方にはかなり関門が低くなったはずです。
ところが同じく調べていくうちにこのシステムにチャレンジした方たちの死亡率が異様に高かったということが分かって来ています。 成就した人がこれまで二十一人でしたが、失敗して亡くなってしまった方はその数百倍になっています。 この失敗というのはちょっとお試しに百回や千回真言を唱えてみたという方たちは除いて、ちゃんと百万回唱えようと真剣に頑張った方たちでした。
確かにこの宇宙全史のワークにもたらされた求聞持法のシステムはシンプルなもので、きちんとやれば誰でも成就出来るものですが、逆にそこに大きな落とし穴もあったのです。
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やはりリスクはあるのです。
例えば百万回唱えようとしても喉がもたないということがあります。
だいたいは血を吐いてしまいます。 それで真言を唱えようとしても唱えられない状況に陥ってしまいます。 その頃はもう後戻り出来ない時期に入ってしまっていますから、命にかかわる事態になってしまうのです。
そして一番大事なことは、これまで伝えられてきている求聞持法の修法には伝わっていない肝心のシステムがあるのです。
その理由がありまして、求聞持法に関しましてはある種の禁忌がかかっています。 それを感知しないで文献を調べても本当の求聞持法の姿は見えてこないといいますか、見せられないようになっているのです。
その禁忌とは求聞持法にチャレンジし、失敗して亡くなった人たちの怨念が集合して求聞持法に関わる情報を「 禁忌」 として封印してしまっています。
つまり本当の求聞持法は累々たる屍の下に封印されている形になっているのです。
ですから現在多くの求聞持法の本が世に出回っていますが、その中に一冊たりともまともに成就する法が書かれてあるものはありません。
つまり中途半端な行法しか皆さんは知らないということなのです。 そうした本を読んで何度チャレンジしても失敗してしまうのは当たり前なのです。
しかもその失敗の致死率が異常に高いということに不安があります( 致死率は99・6%になります)。
本来流れ上ここに求聞持法のすべてを書いて、チャレンジしようという皆さんに空海のような「 超人」 になっていただこうと思っていたのですが、どうもそれはかなり危険なことと判断しました。
やはりある程度宇宙全史の勉強をキチンとしておられる方たちなら大丈夫でしょうが、この本は最終的には一般書店にも出回る予定ですので少し慎重にならざるを得ないというところがあります。
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そこでここでは大まかなことだけを書いておき、求聞持法の詳細は来年発行予定の非公開情報10で開示いたします( 非公開情報9もまだ出ていませんが、それが出た後に出す予定です)。
さて空海は山での修行を始めて5、6年経った頃求聞持法を成就しています。
つまり彼が24、5歳の時に修めているのですが、24、5歳と明確ではないのは求聞持法の性質によるものです( これも非公開情報10で確認してください)。
教わったのは名も無き行者でした( 名のある僧だとする説もありますが間違いです)。
そしてこの求聞持法を修得した直後に陰始の誘惑にあっています。
陰始との闘い
空海が求聞持法を取得してすぐの頃、山中において頻繁に陰始の使い魔が人として、修行中あるいは夢の世界に訪れています。
山中に人として来る使い魔は当時は行者くらいしかいないのですが、行者にも二通りありまして、良い行者と悪い行者というのがいました。
空海は若い時から気合いが入っている人でしたからこの悪い行者の誘惑をはねのけています。
それではその顛末をご覧ください。
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閉じられた世界( 超能力集団)
山中で出会った若いその男の容貌は崩れていました。
いきなり山中で出会ったら普通は肝をつぶしてしまうかもしれない姿をしていたのです。
人間ではありましたがちょっと気味が悪い感じで、雰囲気が爛れたような趣をしていました。 爛れたといいましてもかさぶたが出来たり腫れていたりというのではなく、顔全体が歪んでいるといいますか、異様に変形している感じが不気味に見えています。
それでも力は持っていて「 自在力」 はかなりのものでした。
例えば空海を50メートルくらいの高い木のてっぺんに飛ばしてしまうくらいは出来ました。
その自在力を与えるからということを聞けと空海に迫っています。 その男は空海から「 約束」 の取り付けが欲しかったようでした。
男は人里離れた山中の谷間にある川のそばのちょっと小高い土地の部落のような所に住んでいました。
その部落は特殊な人たちが住んでいるところで、一種の超能力集団とでもいいますか、行者部落のような所でした。
そこでは何代にもわたって無茶な修行や黒魔術に近いメソッドを続けるうちに特殊能力を得る人間が出て来ていました。 ただそうした無理、無茶を繰り返して血を濃くしていったため、力は得たのですが一種の業病のようなものにかかる者が多くなってしまっています。
部落を存続させるためたまに生命力が強そうで見目麗しいといいますか、好みの女性を他所からさらって来ていますが、自分たちの呪われた宿命を変えることは出来ていなかったようでした( さらわれてきた女性
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