35 M1
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表紙
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画 古川益三
みわ
武蔵             虚空蔵55
宇宙全史三十五部品収蔵
虚空蔵東京品第二冊
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表紙
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表紙裏
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白紙
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表紙裏
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武蔵
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まえがき
本書には久しぶりに虚空蔵55が関わっています。
そのため 目風と虚空蔵55のコラボになじむまでだいぶ苦戦しました。
宇宙全史というのは、当初私たちが望む( 観測できる) 範囲の世界を解明していこうという意図で書かれた書物です。
そこには私たちを囲む世界と、私たち自身の内的世界も含んでいます。
これまで想像を絶するような内容を明らかにして来ていますが、それらの情報は私たちをどこに導こうとしているのでしょうか?
今地球は終末期に入っています( その詳細は2014年に出された「 20年後世界人口は半分になる」を参照)。
新たな時代に入りつつあり、これまで人類を搾取し続けてきた人たちや存在を排除し、ユートピアともいえるような新世界を地球自身が創ろうとしています。
( これまでどうして( どうやっても) 地上にユートピアが築かれなかったのかといいますと「 地球がそれを意図しなかった」 ということがいえるのです)
こんな時期に私たちはどう対処して、どう生きたらいいのでしょうか。
それを「 虚空蔵東京本」 では明らかにし、今後の私たちの行く末を見定めておきたいと思います。
「 宇宙全史」 はメインが月読之大神と五井先生により導かれたワークです。
それ故、単なる現象界における事象の解明にとどまらない内容を初めから有していました。
それは究極の「 救い」 である「 真我」 という境地に導くための指導であり「 罠」 でもありました。
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罠というのは、あなた方は、そうでもしないと微塵も「 本当のこと」 を知ろうとも見ようともしないからです。
しかしそれは100%あなた方が悪いのではなく、そもそもこの地球が、この宇宙がそういう形で存在しているからでもあったのです。
そのカラクリを「 宇宙全史」 のワークでは次々と明らかにしていきました。
それでもそれだけでは、皆さんを新たな地球に残すには足らない何かがあったのです。
それはユートピアになる地球に残る「 資格」 のようなものが必要だったのです。
しかしそれも宇宙全史のワークでは散々お話ししています。
そこで今回は もう少し踏み込んで「 人としての本当の生き方」 を、「 外道」 とカテゴライズされる小次郎や武蔵を通して学んでいきたいと考えています。
古川
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武蔵 目次
2ーーまえがき
7ーー宮本武蔵
7ー「 外道の書」
11ー縄文の大異変
12ー(縄文時代・1万5千〜3千年前)
16ー関門海峡
18ー空白の日本史
19ーー1587( 天正15) 年・佐々木小次郎誕生
19ー小次郎出生の秘密
21ー小次郎の幼少期
22ー孤児狼
23ー小次郎のケンカ
25ー小次郎の剣の師
29ー成人の小次郎
32ー小次郎
32ー武蔵
37ー1610年・小次郎( 23歳)沢庵のとの邂逅
38ー小倉藩
41ーー巌流島前夜
41ー1608年・武蔵小次郎との初出会い
44ー1582( 天正十) 年・宮本武蔵誕生
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44ー兵庫県高砂市米田町
47ー武蔵の前世
49ー1536年・天海生誕
50ー1571年・柳生宗矩誕生
51ー1573年・沢庵宗彭誕生
51ー1588年・祖心尼( 岩手城主の娘)生まれる
52ー1593〜4年・妙心寺で禅を学ぶ
52ー1596年・武蔵14歳・初の勝負・決闘・新当流有馬喜兵衛
53ー1600年・沢庵27歳・関ヶ原の闘い( 武蔵18歳・東軍で出ている)
53ーガラシア没( 37歳) 細川忠興の妻( 本名・玉)
54ー1602年・沢庵覚醒
55ー1602年・沢庵( 29歳) と武蔵( 20歳) 1回目の邂逅
56ー1603年・家康・征夷大将軍になる
56ー1604年・祖心尼・離縁され妙心寺へ
56ー1604年・武蔵( 22歳) 吉岡一門と決闘
57ー武蔵の女性関係
58ー1605年・秀忠徳川将軍になる
59ー1607年・沢庵( 34歳) 大徳寺の住職に任命される
60ー1607年・武蔵( 25歳) ・沢庵( 34歳) との2回目の邂逅
63ー1609年・沢庵( 36歳) ・武蔵( 27歳) ③
64ー沢庵は隠密だった?
72ー1611年・4回めの邂逅・武蔵( 29歳) ・沢庵( 38歳)
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77ーー巌流島の闘い・1612( 慶長17) 年
77ー武蔵( 30歳) ・小次郎( 25歳)
96ー木刀裁断からのシーン
99ー真の剣の奥義・極意とは
99ーその後1
102ーその後2
103ー沼田家記
103ー巌流島の意味①
104ー巌流島の意味②
107ーー巌流島その後
107ー1614年・大阪の陣
108ー1615年・鷹峯の芸術邑・本阿弥光悦
112ー1616年・家康没
113ー1620年・沢庵隠棲( 47歳)
114ー1621( 元和7) 年柳生宗矩( 50歳) ・のちの3代将軍となる
徳川家光の兵法指南役になる
114ー徳川家光
115ー1624年・武蔵( 42歳) ・尾張( 愛知) で円明流指導
116ー1625年鷹峯で勢揃い
116ー1625年9月
117ー俵屋宗達( 55歳)
118ー柳生宗矩( 54歳)
119ー沢庵( 52歳) ・武蔵( 43歳)
124ー1627年・( 寛永4年紫衣事件)
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124ー1628年祖心尼江戸に出る
124ー1629( 寛永6) 年・沢庵流罪
125ー金地院崇伝
125ー1632年・宗矩・大目付になる
125ー1632年・( 2代目将軍秀忠没) 家光3代将軍になる( 28歳)
127ー1633年・武蔵( 51歳) 小倉藩に客人として迎えられている
127ー1638年・島原の乱
128ー1636年・宗矩・大和国柳生藩を立藩
129ー1639年・沢庵( 66歳) 家光の命により東海寺住職
130ー1640年・武蔵・熊本・細川に招かれる
130ー1643年・祖心尼( 55歳) 出家
130ー1646年・済松寺を与えられる
131ー著書「 挙一明三」
132ー宗矩の言葉
132ー1645年5月・武蔵( 62歳) 熊本城近くの千葉城の屋敷で没
132ー1646年・1月27日・沢庵( 73歳) 江戸で没
132ー1646年・3月・宗矩( 75歳) 没
133ー最強の剣士は
134ー1650年・4月・家光( 48歳) 没
140ー1675年・祖心尼( 88歳) 没
142ーーあとがき
146ーー裏の者たちの宿命「 最終的には彼方を目指す皆さん」
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白紙
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宮本武蔵
「 外道の書」
本書を進めるにあたって収録の時、植芝先生から頂いた「 外道」 という言葉の意味を考察していこうと思います。
一般的に外道とは「 人外」 「  非人間的な行い」 「 獣のような有様」 の人の道を指します。
しかしその対象となる人の道が何なのかを知らないとこの外道の本当の意味が知れません
ここでは宮本武蔵と佐々木小次郎を中心に、沢庵和尚、柳生宗矩、三代将軍徳川家光の5人のキャラを通してその「 道」 を明らかにしていきます( サブとして天海僧正、祖心尼なども出てきます) 。
※注意事項①・当時宮本武蔵や佐々木小次郎などを呼ぶとき「 武蔵殿」 とか「 小次郎」 とかは呼んでいませんでした( もちろん 呼ぶときもありますが、たいがいは「 おい」 とか「 そこのやせっぽ」 、武蔵は「 新免殿」 や「 宮本殿」 ( 宮本の呼び名はあまりいなかったようでした) です。
人物が 幼少時なのか青年時なのかその時により異なってきますし、呼ぶ側が誰かによっても異なります。
この物語はできるだけ事実に忠実に辿どりましたが、史実に基づくつもりはなく、ましてや 時代 交渉がメインではないので、煩雑を避けるため「 武蔵」 「  小次郎」 のままの呼称で通します。
( 但し佐々木小次郎の幼少期に限っては、生い立ちの環境に重点が置かれるため、後にある程度の交渉が入ります)
※注意事項②・本書では 分かり易くするため、基本 年代順に綴っています。ただ 構成上、どうしても順番にこだわれない場合は、前後する場合があります。
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関門海峡
関門海峡は山口県の下関市と福岡県の門司を挟む日本海と太平洋( 瀬戸内海) を抜ける海峡です。
ここに今回の物語のハブになっています「 巌流島」 ( 当時は船島) があります。
現在は埋め立てなどが施され 周囲が1600m ほどありますが 以前はもっと小さくて 時代によっては 海没していた時期もありました
現在の巌流島付近の海峡
島の周りは近代化が進んでいます
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連絡船から見た巌流島
この山々は九州サイドの山
もうすぐ船が巌流島に着きます
巌流島の船着き桟橋
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現在の巌流島の原っぱ
舟形の石碑があります
小次郎の碑
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また 山口県側と地続きになっていた時もあり、その様相は様々でした。
こんな感じ( すぐに水没しています)
縄文の大異変
この関門海峡の原型ができたのが縄文時代になります
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( 縄文時代・1万5千〜3千年前)
詳細は皆さん小学校でも習われたと思いますが、日本史においては非常に長く続いた一つの時代として扱われています。
しかしそれはただ単に今日まで伝わる情報があまりないというだけの話で、実際には人間社会においても自然界においても穏やかではない様々なイベントがありました。
それは今から約6000年前のことです。
低い山々に囲まれた盆地のような地形なので、東の地平線は望めませんが、すでに陽が昇っていると思われる明かりが反映していて、雲がたなびく空が雲がたなびく空が朱い黄金色に照らし出されていました。
まだ本体が見えない 朝日の光芒だけが空全体を彩るように広がり、秋口の爽やかな風と共に今日一日の平穏を約束しているようでした。
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クナジは山芋の群生地である谷の入り口で「 むかご」を獲りに来ていました。
女房のイが妊娠しており、何か精のつくものを食べさせたいと思ってのことで、いつも山芋を取りに来ていて、むかごが生えていたのを思い出したからでした。
当時としては珍しく、クナジはコミュニティの男たちと異なり、
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妻のイをとても大事に扱い「 変な奴」視されていました。
イは体が弱く、結婚はできないだろうとみんな 思っていましたが、いつも大人しいクナジがいきなりイと同居し始めたときは、部落の者一同が祝うことも忘れ、ただ驚いていただけでした。
むかごが腰カゴに一杯になる頃、背伸びしてあたりを見回すと、何か異様な雰囲気に気づきます。
最初はそれが何が分からなかったのですが、やがてハッと気づきます。
「 静かだ」
何の物音も、虫の声も、鳥の声も聞こえません。
先程まであった気持ちのよい秋のそよ風も
ピタリと止まり、谷の入り口の小さな空間は、時間が止まったかのように静まり返っています。
その時わけの分からない恐怖がクナジを襲います。せっかくかご一杯に獲ったむかごも放り出し、クナジは部落に向かって一目散に走りだしました。
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巨大な何かが押し寄せてくる 前兆のようなものを、クナジの本能に教えていましたが、自分ではなぜそんなことをするのか分からないまま、岩だらけの坂を駆け下り、息も切らさず10分ほど走って、部落の小屋に戻ります。
小さな土間で片付けをしていたイを引っ張り出し、そのまま反対方向の部落の裏山に抱きかかえる様にして 登りました。
イはまだスッキリと目が覚めていたわけではなかったので、訳が分からないまま( 低いとはいえ) 山の頂上に連れてこられて「 ・・・・?」 な感じでした。
普段大人しいクナジがいきなりそんなことをしたので、イは驚きのあまり山を駆け上がった疲労も忘れ、ただ夫を見つめるだけでした。
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クナジは相当な運動量をこなした後とは思えないくらい静かに、南東方向の空を凝視しています。
その時それまで静かだった周囲に音が戻ってきます。
チ・チチチ・・・
小鳥たちの声がしました。
その瞬間、今まで聞いたことのない大音響が空全体から轟いてきたのです。
同時に足元の地面がなくなったかと思えるくらい降下し、二人とも地面に投げ出されています。
しばらく( 5分くらい) はそのままでした。
その時、空に巨大な閃光が走り、先程より遥かに巨大な轟音があちこちから鳴り響いて来ます。
そこからこの世の終わりかと思えるような光景が二人の前で繰り広げられたのです。
二人のいた山がじわじわ降下していきます。
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しかしあるところまで来るとピタリと止まりましたが、今度は逆にその周囲が急激に陥没していきます。
見る〜うちに二人のいた部落もその陥没にのまれ、遠くの山芋の谷辺りも1時間ほどで沈んでいきました。
それからすぐにあちこちから直径15メートル、高さが数10メートルの水柱が立ち、たちまち辺りを水浸しにしていきます。
しかし 恐ろしいのはその後でした。
ある程度浸水した土地に、今度は西と東から濁流が流れ込んできています。
クナジは遠出したときに対岸が見えないほどの大きな川を見たことがありますが、その何百倍もあるような流れが クナジのいた土地を飲み込んでいきます。
それから2時間ほど経ちますと、クナジたちのいる周囲30メートルほどの土地以外は全て海になっています。
あちこちに岩礁のような感じで岩や山の名残が見られますが、流れの早い水が二人を取り囲んでしまっています。
二人のいた 山よりも高い山は周囲にたくさんありましたがすべて沈んでいます。
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先程まで秋の清らかな日和だったのが、周りは轟々という濁流の不気味な響きと、空には暗雲が立ち込め、雷のような閃光が頻繁に走っています。
部落の人たち( 30人ほど) は誰も見当たりません。
イとクナジは今何をすべきか、これからどうしたらよいかと何も考えられずに唯々呆然と辺りを見回すだけでした。
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関門海峡
これが縄文人のイとクナジが体験した関門海峡が出来た時の状況です。
翌日明け方頃になると、あちこちから色んな漂流物が流れ着き、それでしばらくは糊口を凌いでいましたが、いかんせん水がなく
( 周りは全て海水でした)
大きな流木が流れ着いたのを機に、それに乗り、二人は新たな新天地を求めて漕ぎ出しています。
その後 二人がどうなったのかは収録していません。
この時九州と本州にヒビが入りました( ヒビというには大きすぎますが) 。
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まだ完全に分断されたわけではなかったのですが、ほぼ今の関門海峡の原形は見えています。
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2世紀から3世紀にかけて仲哀天皇の時代には、まだ地続きの部分があったと記されていて( 「 穴門」 と称されている) 、4世紀の中頃までは本州と九州を地続きで歩いて行き来することはかろうじて出来ていたのですが、( 幅はありましたがAC365年前後に完全に陥没してしまい、海峡としての形が完成しています・1年半 ほどかけて徐々に分断しています) 。
ただ今とは異なり、まだ 地続きだった名残の山の頂や岩礁は海上に残っていて、その大きなものが後の船島・・・巌流島となっています。
しかしこの巌流島も江戸期より前の歴史の中で、侵食や沈下で小さくなったり消えかかったりしています。
冒頭でも書いておきましたが、山口の方とたまに地続きになったりしていたようです( 地続きといいましても、海流の関係で砂道ができたという位の感じです) 。
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空白の日本史
4世紀は日本史上で「 日本史の空白」 といわれています。
九州中心の卑弥呼に代表される時代から本州を拠点とした大和朝廷へと変遷していく過渡期になりますが、この時代の情報が遮断されています。
宇宙全史ではそこも掘り下げたいので、いつかやってみたいのですが今は忙しくて放置になっています。
1つだけ現代の日本史に与えるであろう情報を書いておきます。
この時代を前後して日本の権勢は九州から本州に移行しています。
その時大和朝廷は、卑弥呼の持っていた力をしっかりと認識していました。
そこで敬いつつも畏れ、( その力が欲しいという) 憧れのような意味を込めて、名称や言葉( 言霊) などを呪術的な意味も含めて、自分たちの権威や力に利用しています。
最も大きなところでは、邪馬台国→大和国「 やまたいこく」 →「 やまとこく」 ・・・これは実は音魂(おとだま)が同じなのです。
4世紀のミッシングリング
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大和朝廷も数多くの優れた巫女や神官を抱えていましたが、当時はまだ卑弥呼の力の言い伝えは色濃く残っており、 影響力は大でした。
( この後大和朝廷は意図的に卑弥呼の情報を取り入れつつ、すり替えていっています) 。
マントルは常に地中を巡り、地殻、大陸は大地の表面を漂っていますから、地球上どこでも沈んだり浮き上がったりはしています。
関門海峡の巌流島地域は近代において形成されたまだ初々しいエネルギーを持ったままのエリアでした。
もちろんそこを決闘の場所に選んだ小倉藩の人たちは「 あそこがいいだろう」 位の気軽な感じで決めていますが本当は武蔵と小次郎という外道たちが集うに相応しいエネルギーを秘めた聖地でもあったのです。
時代の流れで今は埋め立てや、整備もされていますから、その面影はもはやありません。
しかしやがて新たな時代が来ると、逆にこれまで埋め立てや、護岸整備されたり、舗装されたりしたところが自然回帰していきます。
そうすると大地も本来のエネルギーを取り戻し、 各地に散ったり、残ったりした人間たちに分け与えてくれることでしょう。
※ ( 誤解を招くとまずいので蛇足ですが、邪馬台国はもちろん九州にありました。そこは間違いないようにして下さい)
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1587( 天正15) 年・佐々木小次郎誕生
小次郎出生の秘密
まったく情報が残っていないのが佐々木小次郎です。
彼の生い立ちは隠されるべくして隠された因果がありました。
彼を語るにはその生い立ちの複雑な事情を辿らねばなりません。
小次郎は1587( 天正15) 年山口県、当時の周防8 房州) 生まれています。
( この頃秀吉が九州征伐をやっています)
「 周防(すおう)」 今の山口県の一部
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父は武士の子で、母は格上の家のお姫様でした。
こちらは禄高もあり旗本っぽい家柄で、とても厳格な家風でした。
家系は二人とも明かしません。
どちらの家名かは分かりませんが 、四苦八苦してやっと聞き出したのが「 槇原」 という苗字でした。
ちなみに小次郎は本名ですが、性の槙原は全く名乗らず、佐々木は後世( 巌流島の決闘前後)に勝手につけられた苗字になります( ゴロがカッコいいというところでしょう)
男は結婚していますが、女の方は独身で、いわゆる不倫ということになります。
こうしたややこしい事情があり、一緒になれない訳があったのですが、二人は惹かれあい、密会を重ね、女が小次郎を生んでいます。
もちろんそこで二人の関係が発覚したのですが、姫が頑として男をかばい、相手の素性を明かさなかったのです。
この時お互いの家は、薄々事情がわかってはいたのですが、姫はどうしても口を割らないので、本来なら男の方は「 お家取り潰しの上斬首」 くらいの罪だったのですが、女の親が折れています。
娘が非常に 気丈に振る舞い、命がけで男を守っています。
「 それ以上問われるなら自害します」 と短刀を自分の白くて細い首元に突き付けています。
( 決意を示すように少し血がにじんでいます) 。
普段は大人しくて、親にも従順な子でしたから、厳格な父親の方が驚いてしまい「 これはまずい」 と思ったのかそれ以上責めていません。
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結果男はお咎めなし。
すべてはうやむやにしてしまうということで決着しました。
女はすぐにほかに嫁に出されてしまい、子供( 小次郎) とは別れ〜になっています。
もちろん嫁ぎ先は、女が子供を産んだことは知りません。
そこでは不遇ではなかったのですが、当時としては普通の幸せな生き様になっています。
彼女の思いです。
「 命をかけてはその人だけだった」
それでその生をのりきっています
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小次郎の幼少期
さて生まれからして波乱万丈ですが、その後赤ん坊( 小次郎) は、どうなったのでしょうか。
女の嫁ぎ先には乳母がついて来ています。
その乳母にあれこれ指図して、小次郎の世話を頼んでいました。
この乳母がやり手で、不倫や出産騒動をなんとか穏便に取繕(とりつくろ)えたのも彼女の活躍が大きかったようです。
女( 姫) の子供の頃からの育ての親のようなもので不倫相手の男の方とも面識がありました。
小次郎は幼児期からあちこちを転々としています。
それは女の方の要望でしたが、男も承知でした。
男( 小次郎の父親) は既に女とは連絡は取っておらず、乳母を通してだけ子供のことを聞いていました。
そしてある程度の金銭を渡し、子供の世話を頼んでいます。
もちろん女の方が裕福で、余裕もあったのですが、男は男で( それほど気に病んではいませんが) 、責任を背負う形で渡しています。
小次郎が誰にも所在を悟られないように転々としていたのは、女の意図で育ての親を色々変えています。
乳母が直接やっていたわけではなく、間に出入りの斡旋者がいて、その男に頼んでいます。
乳飲み子の時代は、近所にいい人がいて、いくらでももらい乳ができていましたが、その後はあまりまともに育てられてはおらず、 ほ
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ぼ 放置状態でした
物心つく頃には、自分の食い扶持は自分で稼ぐといいますか、食い物はどこかからか自分で調達しています。
ですから小次郎も親がいないのが当たり前と考えていて、たまに見に来る斡旋屋とも情を交わすこともなく、淡々と子供時代を生きています。
小次郎の特徴的な性格なのでしょうが、こういう子供時代を経ていても「 荒んでいない」 ということがあります。
元々そういう性格だったのか、生きていく中でそういう形の自我が形成されていったのかハッキリしませんが、おそらく両方が相まって小次郎という人格を作っていったのでした。
10歳くらいまではこういう状態で、父親も知ってはいましたが、一切放置でお金だけ出しています。
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孤児狼
幼少期の小次郎にとって重要なファクターになる場所があり、それが「 遊郭」 で、当時周防には大小( 小はほぼ個人経営) 遊郭がありまして10歳の時にはすでに遊郭に出入りしていて、そこに馴染んでいます。
5歳くらいから人恋しかったということもありますが、なんとなくふらりと遊びに行って「 おや、どこから来たのかい」 と遊郭自体が小さな小次郎を受け入れています。
他ではあまり孤児は変わってくれないのですが、郭では遊女はもちろん亡八たち( 郭の従業員) にも可愛がられていました。
孤児に近い育ちですが、なぜか伸び〜と育っていて、遊郭では皆からかまってもらえていたのです。
特にここの郭の亡八の親玉( 楼主) には可愛がられていて、色々よくないことを教わっています。
この楼主は変わった男で、一見普通の男に見えますが、そこそこ
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使い手でもあり、やり手でもありました。
「 使い手」 というのは、剣術もそうですが、喧嘩も強くて、当時の普通の男性の背丈ですが結構な大男でも一人で始末をつけています。
「 やり手」 というのは経理といいますか、形状の算段もうまく回せ、遊女たちの管理ケアも上手で、役所( お上) との付き合いも狡猾にやっています。
( そうでないと遊郭の責任者は務まりません)
小次郎は乳児から拠り所のない孤児でしたから、外ではいじわるや迫害に近いことも散々されています。
しかし元々「 物事にこだわらない」 といいますか、サッパリした性格だったので、心身にダメージを負っていません( やさぐれていない) 。
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小次郎に関しては「 天衣無縫(てんいむほう)」 という言い方がピッタリな感じです。
逆にそれが気に入らないのか悪ガキたちに疎まれ、 小突かれたり袋叩きにされています。
しかし初めのうちは叩かれていますが、すぐに反撃し、非常に俊敏な動きで撃退しています。
この辺りは天賦の才といいますか、何かそういうものの片鱗を見せています。
小次郎のケンカ
10歳くらいまでは 育ての親( 場所は移動していますが) のところにいましたが、その後は独立しています。
(  一定の監視はされていますが、放し飼いのような感じです) 。
でもたまに戻ってあちこちで少し世話になって・・・とそんな感じです。
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「 人なつこさ」 というものがあり、野良猫みたいな放浪癖もありました。
12、3歳くらいになりますと、喧嘩相手も大きくなってきますので、少し大事になっています。
港や飲み屋、廓(くるわ)には荒くれたちが、縄張りをめぐって常に争っています。
また廓のような正規の売春システムではない、立ちんぼや船遊女などにも小次郎は可愛がられ、そこでもトラブルを起こしています。
ゴロツキたちは小次郎の何が気に食わないのか、見かけると色々吹っ掛けて来るのです。
おそらく彼らと異なり小次郎はどんなに苦労していても荒んでいないということがありました( そもそも苦労とも思っていないようです) 。
その態度が「 あいつは気に食わない」 となり
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からんでいたようです。
しかし身のこなしがそこいらの荒くれとは異なり、すぐに決着がついています。
そういうことが重なり、小次郎は自ずと修羅場を数多く経験していくことになります。
やがて本格的な 剣豪としてデビューしますが、その基本と言いますか糸口は、先ほどの楼主が手ほどきしてくれて、 実践の経験(ニュアンス)はニュアンス はこうした巷(ちまた)の喧嘩で培(つちか)っています。
手ほどきといいましても、剣の持ち方や簡単なさばき方ですが・・・まあ喧嘩のやり方、心構えといったところでしょうか。
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何事も実技というのは大事で、特に喧嘩や格闘技では、ルールなしの実戦経験での感覚が大事です。
一時ネット上で気の達人と格闘家が対戦した時も、気の先生は 簡単にやられています。
これは気の達人が偽物というわけではなく、道場などでは通用する気の技が、実戦では通用しないという事があるのです( 特に気と打撃のような異種格闘技戦のような場合は) 。
そういう時は何度か実戦経験を積んでから試合をやるべきでしょう。
この時小次郎は 木刀で練習していますが、真剣の闘い方には別に師がいました。
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小次郎の剣の師
小次郎が12、3歳の頃です。
この時師から真剣を拝領しています。
問題はこの師ですが、いくらお聞きしても名前も素性も明かそうとはしません。
時間をあけて色んな角度からお聞きしましたがダメでした。
どうしても素性を明かしてもらえないので、その心の内を探ってみました。
ものすごく自分を恥じている
負け犬のように思っている
世に出ることも、名を明かすことも、封印した世捨て人のような放浪の人
そういうイメージが伝わってきます。
小次郎の師と称する剣の先生は一人だけではないのですが、この最初の人がかなりの腕の方でした。
ある日村外れの街道筋で小次郎とゴロつき数人が争っていました。
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しばらくしていつものようにゴロツキが退散すると、離れたところから見ていた浪人が小次郎に話しかけてきます。
この時浪人は小次郎の風貌、太刀筋( 木刀でした) が 気に入り、手取り足取り「 ああだこうだ」 と教えています。
それから毎日ではないですが、そこに留まって色々教えています。
どうやら「 ほっておけない」 と思ったようでした。
結局2、3ヶ月は逗留しています。
どこからでも
打ち込んで
来なさい
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通常は絶対にそういう事はしないよ 捨て人のような人でしたので、やはり小次郎という存在にそういう魅力があったのでしょう。
力量を計ってみますと「 物凄く強い」 というジャンルに入る方でした。
ハッキリ言って、この時代の最強戦士の一人かもしれません。
武蔵とドッコイといったところでしょうか。
ただ武蔵と異なるのは「 恥を知る」 という人間的な弱さを持ってい
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た方です。
強くなるためには何でもやらないといけないのは兵法修行者のセオリーです。
そこに人間的な情や思いやり、配慮といったものは必要ないし邪魔なだけです。
この人も若いうちは武蔵と同じでただ「 強くなりたい」 一心で、ガムシャラに兵法修行をして来ています。
そして才能もあったのでしょう。
気脈を通じる覚醒を果たし、無名ながら( おそらく)天下無双に近い強さを手に入れています。
問題は「 運がない」 というところでした。
武蔵も「 仕官」 というところでは、運がないといえばなかったのですが、名声自体はそれなりに手に入れていましたから、ある程度の「 仕官」 的なステージは手に入れています。
さらに後世にも名を残しています。
しかしこの無名の小次郎の師は、「 修行時代の自分を恥じる」 という重荷を背負うことで、運自体を自ら見放してしまっています
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今( 400年以上経った現代) でも恥じているのかという問いに
変わらず「 悔いがある」
というお答でした。
それはどういう悔いなのかさらにお聞きしました。
後悔とか、恥の連続だった
それをまだ自分の中で消化できない
すごく因果が強い・濃い人
再びそういうイメージが強く来ています。
しかし小次郎に魅入ることが出来るので、本来悪い方ではないのでしょう。
あるいは小次郎と導通できる部分があったので、そこに何かの糸口を見たのかもしれません。
自身も「 小次郎を通じて自分を浄化できる」 と少し思ったようでした。
しかしそうは思ったが、
「 自分が教えたということや、名前を出すことはいってはいけないこと」
と思ってしまっています。
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ある意味「 やましいこと」 という感じでしょうか。
既に当時から400年以上たっています。
さらに重ねて思いをお聞きしました。
「 見届けるものも、自分が教えたということを継承するものもなく、ただ自ら( 自分の想いを) 風雪に晒されることのみ」
この400年の間にそういう心境にはなったみたいです。
「 暴かれたくないし暴きたくない」
「  触れられたくない」
「 だから我が残っているのは承知」
ここでこの方の収録は終わっています。
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小次郎の剣はこの時一〇代前半で既にほぼ達人の域に達していました。
今後実践を重ねていくことで、さらに強くなっていくと思われました。
しかしそこが問題なのです。
「 実戦を重ねて」 というところですが、彼は兵法修行者は常に「 真剣勝負」 です。
いつ死んでもおかしくないといいますか、負けたら「 死」 なのです。
それを小次郎の師は知っていましたし、「 今教えてやることがある」 と思ってしまったのです。
おそらく教えなければ、無敵状態になるまでに大怪我をするか死んでしまうということを知っていたのです。
もちろん小次郎も天賦の才を持っていますし、子供の頃からの実戦も重ねて来ています。
しかしプロの兵法者との闘いを知っているこの浪人は、「 この子には教えておきたい」 、「 教えてあげたい」 と思ってしまったし、そうすることで、自らが歩んできた「 明かせない事情の過去」 をいくらかでも浄化できると思ったのです。
小次郎は非常に強いのですが、その有様がピュアなのです。
囚われがなく、人間的な負の気質を元々あまり 持ち合わせていないし、そこに染まることも選んでいません。
それでここまで強くなって来ているのを、浪人は「 観て」 しまったのです。
そして「 確かに強いが、このままではいつか負ける時が来る」 こと
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も「 観て」 います。
それを13歳の小次郎に教えています。
それは通常ですと「 剣の奥義」 と謂(い)われるものでした。
それを伝授された小次郎は、この後、巌流島までその教えを真剣に研鑽していきます。
しかし 天才であった小次郎にとって、逆にその奥義は困難な課題になっていたのです。
小次郎と武蔵は共に二人の師により、巌流島でほぼ同格の剣士として戦うことが出来ています。
その師とは、
●小次郎の場合は、先ほど述べた名もない浪人
●武蔵の場合は沢庵でした
二人が教わった内容は、それぞれ 全く異なるものでしたが、しかしそれはあらゆる武道、剣術の奥義でもあったのです。
詳細は巌流島の項でお話しします。
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成人の小次郎
周防山中
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武蔵の剣と小次郎の剣は巌流島( 船島) で交わるわけですが、二人の剣は全く在り様で磨かれて来ています。
小次郎の場合は天才的といいますか、生まれ持った本来の気質、才能のようなものが彼の剣を導いていました。
小次郎は喧嘩 などの実践で闘いの間合いのような感覚を会得していますが、真剣勝負の場合は、自然の中で会得したものが大きかったようでした。
漫画や小説ではよく出てきますが、海や川の波の様を眺めていて、そこから自然のリズムといいますか、何やら会得した感じになっていたりしますが、実際はどうだったのでしょうか。
小次郎は今でいうところの( 数学的には1/fと表示される) 「 ゆらぎ」 の感覚を会得しています。
このゆらぎは「 リラックス」 とか「 癒し」 の感覚に重点が置かれていますが( 確かにその面もありますが) 小次郎の場合は、剣の「 間合い」 のようなものをそこで感得していました。 例えば( これも例としてはよくあるのですが) カワセミが川の中の魚を獲ろうと枝から狙っています。
それを少し離れて小次郎 はじっと見ています。
ここで通常の漫画や小説では、単純に水面下の魚の動き、それに呼応するカワセミの目が焦点になっているようですが、実際はそうではないのです。
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それを 小次郎 はじっくりと観察していて見破っています。 「 風の揺らぎ・木々のそよぎ・自然の揺らぎの間の取り方・・・全てをそこから会得・体得していく」
今の人間でもできるでしょうか
「 昔は容易だった」
「 今よりは研ぎ澄まされていた」
「 ギリギリのところで生きていたから」
ここからは 誰も教えてくれない剣術の極意になります。
小次郎が感受していたのはカワセミと水面下の魚の動きもありましたが、それ以上に大気や風の動きでした。
風の向き、変化するその方向(ベクトル) 、そして揺れ動く風の強さ・・・これらを一体として瞬間〜で感じ取ろうとしています。
それは カワセミが感じている感覚と同じものでした。
カワセミは水面下の魚の動きを細かく
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測ってはいましたが、実際に素早く動く魚を確保するには水面に到達するまでの正確な飛行軌道動が必要でした。
カワセミの翼は小さくてあまり大気の影響は受けないようになっていますが、それでも空気の抵抗で浮力を得て飛ぶわけです。
ですから空気( 風) の動きは非常に重要になっています。
しかしさらに踏み込んで観察しますと、カワセミも小次郎も「 風」 を見ていたわけではないのです。
見た感じは風を見てるように見えますが、実際は共に「 気」 をはかっていたのです。
そして風に影響される一瞬の間の取り方は、獲物を獲るときも剣を交える時も同じなのです。
こういう感じで小次郎は、風のゆらぎ、木々のそよぎ、そういう自然にある「 気」 や「 間」 の感覚を体得していったのです。
そしてそれが剣の闘いの場で生かされています。
後ほど出てきますが巌流島での戦いは「 気」 と「 間」 の戦いでした。
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ですから武蔵も同じく会得していますが、しかしそれは小次郎とは異なる取得方法でした。
これはまた後ほど武蔵の章でお話しします。
ですから一般の剣客と小次郎や武蔵とでは剣の筋といいますか、剣術の有様が全く異なっていたのです。
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この辺りは歴史上の剣豪と同じ感覚になっています。
伊藤一刀斎を をはじめとして史上剣聖と言われた人物は何人かおられますが、フィジカル面、技術面だけでは真剣勝負をクリアしていくことは出来ません。
気の領域をマスターして初めて敵を凌駕(りょうが)できるのです。
まさに巌流島の闘いはその神髄を見せてくれていました。
巌流島での武蔵と小次郎2人の技量はほぼ互角でした。
小次郎は先述しましたように剣の師がいました( メインは一人だが複数いた) 。
しかしそれだけではなく、天才ではありながら小次郎自身も常に研鑽し自然天然(じねんてんねん)から色々会得しています。
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