現代日本の開化
他の講演にも言えることだが、漱石はいつもつかみがうまい。つかみまで省かずに記事にするなんて現代の取材物にはなかなかないから一層感心する。
「この二様の精神すなわち義務の刺戟に対する反応としての消極的な活力節約とまた道楽の刺戟に対する反応としての積極的な活力消耗とが互に並び進んで、コンガラカッて変化して行って、この複雑極りなき開化と云うものができるのだと私は考えています」 「そうそう身を粉にしてまで働いて生きているんじゃ割に合わない、馬鹿にするない冗談じゃねえという発憤の結果が怪物のように辣腕な器械力と豹変したのだと見れば差支ないでしょう」
開化が人間存在の本能である以上、10から20、20から30と常に次の段階に進もうとするから、いくら開化が進んでも人間の苦痛は減らない。
さらに日本の開化は西洋のような内発的なものではなく外発的なものだから、10から30に一足飛びに進むことになる。10から20へ自然に消長する人間の意識とは一致せず、日本の開化は上滑りしたものになってしまっている。
だから大学の教授は矛盾に耐えきれず神経衰弱になるんだと自虐してみせる漱石。 ではどうすればいいのかというと名案はなく、実に困った、アア知らないほうがよかったと嘆いて終わる、悲観的な結論の講演。「現代日本」の矛盾への漱石の諦念が感じられる。