映像言語メモ(受験)
#受験
「私固有の映像言語」とは
ストーリーや物語構造よりさらに背後にある、根本的な「世界そのものの質感や存在感」を翻訳し、その圧倒的な解像度で作品の一部分に触れただけでもその重厚感に圧倒されるような新たな映像。
「鑑賞」する映像ではなく「世界に触れる、発見」するような映像を目指す。
私の最終目標。
その言語は単なる自己表現のアートの域を超えて気づきの連鎖を起こし、「世界ってこんなにも自由なんだ」と皆に共通して存在している潜在認識を呼び起こす踏み台になることが目的です。 
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ただ、一つの「作品」で鑑賞者全員に画一して同じ印象を与えるなんてできないと思う。
他人なんてどこまでいっても何を考えているかなんてわからないし、きっと第三者からしたら想像もつかない体験を過ごして きている。 そもそもの前提が全員違うなら、同じ印象を与えるなんてできない。
だから、この試みは、私自身の世界観を観賞者に一方的に強制するものではない。
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ストーリーや作品世界感を第三者に提供し、深い印象を与えるのが目的では無い(大事)
nunnnu.icon 最終的な目標は鑑賞者自身の意欲に直接働きかける力そのものになることである。
この「直接働きかける力」は人によって異なる。上記で書いた通り人の経験と想像は全員違う。この質感が刺さる人もいればそうでない人ももちろん存在している。
だから。作品外で皆に共通して伝わるもの、それは何だ。
nunnnu.icon私固有の映像言語において、それは正直なこの世界の「好き」による情熱の濃度である
自分の「好き」な要素だったり印象を一つの作品に注ぎ込めるだけつぎ込む。全力で自分のやりたいこと限界までやる。
そうして完成した愛溢れた作品は必ず人々に深い「情熱」と「印象」を与える。自分の好きを全力で表現した作品はきっとなによりも崇高であるし圧倒的。
実際。全力で自分のやりたいことを限界、極限まで突き詰めた世界の解像度はすさまじい。
世界の解像度とは
世界の解像度の高さとは「世界を構築する力」である。自分の「好き」を極限まで織り込み、新たな内面世界を構築するということ。その作品が提示する「物語」や「登場人物」の背後に、どれほど広大で、重厚で、生々しい「世界そのもの」が存在していると鑑賞者に感じさせられるか、「世界の解像度が高い」とは、その“存在感”の強度と密度を指す。
「解像度が高い」と感じる作品は、作者が自身の「好き」な要素や印象を、極限まで突き詰め、織り込んだ結果、その「情熱」が作品から溢れ出し、「"世界そのもの"の存在感」として迫ってきたものを指す。
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「触れる」ような体験とは
「触れる」ような体験を提供するに当たって、その技法はすべての作品に対して一貫し確立した技術ではなく、構築したい世界観やテーマによってその正解は異なってくると考えています。
鑑賞者に完結した「物語」を消費させるのではなく、その背後に映る「世界の断片」を手がかりに、作中世界の巨大なシステムや歴史を能動的に推論・想像させること。
鑑賞者が映像で表現されたその世界に一部でも触れた瞬間、その世界についてさらに想像力を広げ、妄想し「考え始めた」とき、それは「観る」から「触れる」に変わると考えています。
私は、技術的工夫と内面世界を分けて考えている。
表現したい世界を明確にし、その魅力を"最大化"して「飽きさせない」技術を工夫する。両方が揃って初めて深い印象を残せると考えている。
触れる体験とは、確立された技法ではなく、極限まで突き詰めた世界設定の作り込みと、その魅力を最大化して翻訳し、飽きさせないための映像的技法の複合である。
「好き」の濃度(情熱)が「原因」となり、それが作品に「世界の存在感」を与える。(世界の解像度が高い)
その「存在感」を「翻訳技術」と組み合わさることで、鑑賞者の「能動的な推論(=システムを想像すること)」を強制的に引き起こさせる。
nunnnu.icon鑑賞者が「世界のシステムについて想像し始める」のは、あなたの「極限まで突き詰めた“好き”の情熱」に、鑑賞者自身が「触れて」しまったから?
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わああああこんがらがってきた
nunnnu.iconまとめます
概要「私固有の映像言語」とは何か?
「あなたの『好き』の濃度」を「鑑賞者の『能動的な推論』」へと変換するための、高解像度な「翻訳装置」(技術部分のほう)
何を翻訳するか?
ストーリーや物語構造ではなく、その背後にある「“世界そのもの”の質感と存在感」
翻訳の源泉は?
あなたの「好き」な要素や印象を極限まで突き詰めた「情熱」の濃度。これが作品の「世界の解像度(=存在感の強度)」となる。
どう機能するか?
鑑賞者に「観る」のではなく「触れる」体験の創出。
メカニズム「触れる」体験はどう起こるか?
「映像言語」は、鑑賞者の「受動的な鑑賞」を「能動的な思考」へと強制的に切り替える仕掛けである。
1. (制作者)圧倒的な世界の構築
「好き」を突き詰めて構築した「高解像度な世界(強固な存在感)」がまずある。
2. (技術)高解像度の世界の設定や質感を示唆するような要素をの提示
その世界を不完全に提示。(まぁ設定を全部盛り込むのは長時間映画とかにならないと物理的に限度があるので、現実的にというか本質じゃない)
(例:『みがってで〜』の「起承」までしかない物語)
(例:「注釈のない固有言語」や「意味不明なプロセス」)
3. (鑑賞者)「ズレ」と「違和感」の発生
鑑賞者は、「提示された世界の“存在感”は圧倒的なのに、“情報”が欠落している」という強烈な「ズレ(違和感)」に直面。
4. (結果)「触れる」=能動的推論の開始
この「ズレ」を埋めようと、鑑賞者は「この世界はどうなっているんだ?」「この続きは?」と能動的に推論・想像し始めます。
この「考え始めた」瞬間こそが、受動的な「観る」が能動的な「触れる」に変わった瞬間です。
目的:最終的に何を目指すのか?
「触れる」体験(=能動的な推論)を通じて鑑賞者の「意欲や潜在認識に直接働きかける」こと。
そして、その人自身の内側から「世界ってこんなにも自由で面白いんだ」という「気づきの連鎖」を引き起こす「踏み台」になること。
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