議論における逆ジェンガ
ジェンガは、プレイヤーが一度ずつ積んであるパーツを抜いていき、そこで全体(タワー)が崩れたら敗者となるゲームである。そこでは、プレイヤーは最大限自分が安全に抜ける部分を探すか、ギリギリをせめて次抜いたら絶対に崩れる部分を探す戦略を取り得る。 もし、議論を逆ジェンガとして捉えるならば、プレイヤーはいかに他のプレイヤーが木を積みやすくするかを考えることになるだろう。 また、自分が積んだ木によって、次のプレイヤーが何も積めなくなったら、その木を積んだプレイヤーが敗者と言える。
これは「論破」の逆と言える。
全体の構築物を壊さずに、いかに相手が次の木を積みやすくするか。そういうことを考えるゲームだとして議論を捉えるならば、論破にとらわれた悲しい議論からはずいぶん距離を置けるようになるだろう。
そして、論破を目的とした議論やディベートとは違った形の議論の技術や戦略も整理できるだろう。
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ジェンガのたとえを広げると
他人が積んだ木によって、次のプレイヤーが何も積めなくなったら、その木を積んだプレイヤーが敗者
なのではなく、その木を良いところに積み直してあげて、誰も敗者にせずに高い塔をつくる遊びなのではないか