草の根・共有・scrapboxに期待するものはなにか?
みんなどんな風に「共有scrapbox」を使っているんだろう?
どんな風に使われていたら、“それらしい”?
2. 住人の反応を知りたい話題を、言いはなちに来る
3. 詳しい人や、みんなの意見を緩募しに来る
4. 特定のテーマに関するwebのクリップやリンクをみんなで集積して、知識が散逸しないようにする
5. ガチらずに情報収集、情報共有、議論などがしたい
「5.」以降もあれば募集。 ikkitime.iconの場合は「1.」「2.」が強くて「3.」はそれほどでもなく、「4.」的な関心はあまり強くないかもしれない。
やっぱりまずは、「読む場」としての感触がある気がする。
(もちろん、「4.」が「1.」を生むとかそういう関係性はあるかもしれなくて、これらは完全には独立の要素ではないかもしれない。)
4象限マトリクス的に見るのなら、「1.」「4.」は情報的で、「2.」「3.」は人の顔がイメージできることが大事、みたいな分け方もできるかもしれない。 nishio.icon
多分ここでイメージしているものにWikipediaは含まれないのだと思うけども「共同編集のWikiという点では同じだし、人数やページの規模を成功の尺度とするならScrapboxよりWikipediaの方が圧倒的に成功してるってことになるけどなぜWikipediaではダメなの?」というところに鍵がありそうな気がする
Wikipediaではそもそもこのような発言が書かれない
meganii.icon
人間味あふれる誰かの考え、主観が読みたい
かつそこにコメントしたい。誰かの反応も合わせて見てみたい
そう考えると、個人的には「1.」「2.」なのかもしれない
sta.icon
5.を足した
Wikipediaだと「唯一の正解」に向かう感がある
表現も客観的で説明的にするしかないし、エビデンスも要求される
主観も混ぜれるScrapboxだともっと手を抜ける
ドイツでは娯楽で好き勝手に議論するらしいが、そんなイメージだろうか
あるいは一般人?は「全世界の情報源から正解を探す」ではなく「自分が属してるコミュニティの人の言葉で妥協する(例: 親や先輩や上司が言ったことを信じる)」が多いと思うが、そういう楽さ
「ぼくがかんがえたさいきょうの」もしやすい
nishio.iconさいきんドミニオンWikiで「このカードは最強!」と書くユーザと差し戻すユーザで編集合戦が起きてるのを連想した
Scrapboxのアイコン記法付きで「このカードが最強!」と書いてあるなら、特に消そうという気は起きない気がする
「Aさんがそう思っている」は客観的事実なので。
異論があるなら「そうは思わない」とアイコン付きで書くかな
整理すると「匿名の共同編集で個人によらない普遍的真実を書くことを目指すと、何が真実かの解釈違いで揉める」ということか
sta.iconScrapboxはn人分の意見を並べやすい点が強いのかもしれない
Wikipedia(のベースとなっているMediawiki)で5.をやろうとしてもあまり上手くいかなかった覚えがある
Scrapboxのおかげで5.が(少なくとも自分の中では)開拓された
アイコン記法が強いのかな
ikkitime.iconなるほど、アイコン記法。
Q&A的なものなら、画面の匿名性が高くても成り立つのかもしれないけど、ある種のチャット性というか、対話感を演出するには必要なことなのかも。
「知恵袋」みたいに固定ハンドルがあってすら、発言者に人格を感じながら読むのはなかなか難しい。
nishio.icon知恵袋でも特定の狭いカテゴリーの質問回答を見ていくと、そのカテゴリーの全部の質問に答える牢名主みたいな人が見えてきたりするかも
この観点が私には意外と盲点。参加人数の大小とか、メディアが大規模な公開をしているかとか、そういう視点でしか考えてなかったな。
あと、このアイコン記法について、実装されたのを見たときには「なんだ? その中途半端な機能?」と思っていたことを、素直に白状しておきます。だって、単にブラケットなんだから、本人以外の人が、発言者を示す以外の目的でも記入できちゃうじゃん! 用法が統一されないじゃん! と思っていたので……。
日本の日常生活ではテキストベースであーだこーだする場所がない(なかった)
Scrapboxによって生まれた
というか、sta.iconみたいな(従来の手段では確保できなかった不器用な人でも比較的かんたんに)遊べるようになった
issac.icon
1.2.5.あたりがモチベーションになっていそう
同好の士、気の合う方を探してみたい
自分の感覚と近い人
見方の違う人の話も読んでみたい
自分が興味を持たないものに興味を持っているような人
ikkitime.iconツールの制約的な話で考えると、ある種の「どちらにも振り切れていない」感にこの「手触り」が根ざしている感覚がある。
社内wikiとしてscrapboxを使うときには、そこにいる相手に血の通っている感が感じられるのは当然なので、情報だけを集約するようにしたほうが集合知が育ちやすい
(でも、ここはそれとは違う)
他方、知らないもの同士で、ネタでわいわい盛り上がりにここへ来る側面も強いけど、匿名はてなブログみたいに、ものすごく多くの人の目に触れるわけではない。よくもわるくも、知ってる人の反応や提案を見にくる感覚も、基礎としてある。
(それとも違う)
知ってる人同士でつるんでる側面もつよいけど、サロン的にコミュニケーションをするというには、ツールの制約上、スレッドが縦に伸びると走査性が悪くなるので、ネタでの盛り上がりごとにスレッドを新たに立てていくことになる。
(結果的に、あるサイズに育つごとに、トピック単位でそれが過去に押し流されていく、タイムライン性を持つことになる。たぶん、iPhone 4画面分から10画面分くらいで)
(で、もちろん、古いスレッドが押し流されても、タグやリンクが貼られていれば、再発見される可能性はひらかれている。)
kuuote.icon
共有Scrapboxの使用経験がほとんど「井戸端」というProject由来なので、そこの性質に引っ張られてはいそうだが、個人的には「1.」「2.」「3.」とたまに「5.」だと思う 1. 常に誰かが書き込む状態なので、見に来る度に発想の種が書き足せる形で増えていく
nishio.iconこれをみて、だから自分は井戸端を見に行くことの方が多いのだなと気づいた
更新頻度が高いことは「何か新しいものがある確率」を高める 2. 自分もそこに意見や感想を書き込め、たまに反応がもらえる
3. 井戸端には「書いてけ」というアンケートページを作る文化があり、特定の話題に対してのみんなの反応が得られる
もちろん自分も書ける
4. kuuote.iconはそこまでナレッジベースに関心がないが、興味がありそうな人は観測している
5. 共同での情報収集には「4.」同様あまり興味がない。議論はたまに発生するし面白いとは思うがあまり重視していないと思う
井戸端以外の共有Scrapboxに行けばこの価値観は変わるかもしれない
初めてここに書き込みをしたが、この使い方でいいのかいささか不安ではある
rashita.iconまったく問題ありません(>_<)/