大人になることとは何か
inspired:
「複雑な世界を因果論と類型化によって単純にしてわかった気になること」から意図して距離を取る努力、
の連続が「大人になること」なんだなあと、ジョーン・G・ロビンソン『思い出のマーニー』(岩波少年文庫)を読みながら思う。
意図して距離をとることを引き受けること(永遠の逃走)、あるいはそうした引き受けをせざるを得ない状況におかれたことを自覚することが「大人になること」なのだろうか。 少なくとも、ポスト・イノセントではありそう。
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世の中を眺めると、むしろ「さっさとわかったことにする」ということが「大人らしい態度」のように解釈されていることに悲劇がある気がしました。
「わからないでいる」を維持することが「子どもっぽさ」として認識されているとも言えるか。テレビ番組でも「なんで?どうして?」を「子どもが抱えるもの」のイメージとして使われているような…
「わからない」という状態は「一刻も早く手放したいもの」であるという焦燥感をそこかしこから感じています。
「わかった気になる」が必ずしも「怠惰」の結果ではなく、むしろ「努力」の結果で生まれてしまっている悲劇。