偏見について考える
かたよった見方・考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断。「偏見を持つ」「人種的偏見」
偏見が「偏った見方」であり、非好意性を帯びるのはなぜか。
偏りとは、視点が広範囲ではなく、限定的であることを意味する。
先入観は、事前に持っている見方のことであり、その場所から動かなければ、その視点は限定的だと言える。よって、先入観は偏見になりやすい。
あらかじめその対象について広い視点で考えている人の先入観は、そうでない人の先入観に比べて広い(狭くはない)とは言えるだろう。
単純に考えると、偏った見方には、好意的なものもありうる。しかし、一般的に偏見という言葉は、上に引いたように、非好意的なものが主眼である。
一つには、好意的なものの場合(恋は盲目、あばたもえくぼ)、差別的な社会問題が生じにくい、ということがある。
ただし、偏見的好意は偏見的悪感情に簡単に変身する点でデメリットを持つが、いったんその問題は横に置いておく
もう一つには、他者(外部者と言い換えてもよい)と接するとき、基本的に私たちは防衛的になり、なんなら敵視する見方が強まってしまう、ということはあるかもしれない。
おそらくこれは、生物学的というか遺伝子的な反応であり、その意味で「きわめて人間的な」反応だと言える(少なくとも動物的な反応である)。
そう考えると、偏った見方は、内部者に対しては好意的に(親バカなども含む)働き、外部者に外部者に対しては非好意的に働き、前者については偏見とは別の言葉が与えられていると考えられる。
贔屓目、欲目